【プロローグ】
この本の主人公は外交官である。一九七七年生まれ、名前は西京寺大介。二〇二二年の今、彼 は、尖閣諸島の扱いで外務事務次官に真っ向から反対し、外務省から追い出されるか否かの瀬戸際にいる。多くの人が彼の行動をいぶかるだろう。「黙って勤務していれば大使と呼ばれる職に就く。なぜそれを捨てるのか」と。
西京寺は石川県の鶴来で生まれた。加賀はかつて一向一揆衆によって支配され、「百姓のもち たる国」といわれた。百年近く門徒の百姓たちが治め、一人の百姓が絶対的な権力をふるうこともなく、また、権力のある一人の百姓に媚びへつらうこともなかった。権力に迎合するのを極端に忌み嫌う土地柄なのである。
そこで育った彼は、東京大学を経て、一九九九年に外務省に入り、ロシア語の研修を命じられ、最初の二年間はハーバード大学で、三年目はモスクワ大学で研修を受けた。
彼に大きな影響を与えたのはロシア勤務である。ソ連・ロシアは最も全体主義的な国家だ。弾 圧が厳しい。ここで自由を求めて闘う人々がいる。犠牲を伴うことを承知の上でだ。
国際ジャーナリスト連盟は、二〇〇九年に「ロシアでは一九九三年から約三〇〇名のジャーナ リストが殺害されたか行方不明になっている」と伝えた。そのほぼすべてが政府の批判を行っている。民主化弾圧と闘うロシア人は、多くの場合、逮捕され、シベリアなどの過酷な収容所に送られる。この中で国際的に最も著名なのはアンナ・ポリトコフスカヤである。彼女は次のように書いた。
「権力機構に従順なジャーナリストだけが我々の一員?として扱われる。報道記者として働きたいのであれば、プーチンの完全なる奴隷となることだろう。そうでなければ、銃弾で死ぬか、毒殺されるか、裁判で死ぬか―たとえプーチンの番犬であっても」
ポリトコフスカヤは自らの予言どおり、二〇〇六年、自宅アパートのエレベーター内で射殺さ れた。
これらのジャーナリストはなぜ自分の命を犠牲にしてまで、ロシア政府を批判するのか。この 現象は何もプーチン政権特有の現象ではない。ソ連時代もあった。ロシア帝国時代もあった。権力と闘える人、それがロシア・ソ連の文化人の資格かもしれない。
この国に勤務する西側の外交官や情報機関の人間は、権力と闘うロシア人に共感し、時に助け る。やがて彼らは自国に帰る。そして、自国の政治や社会状況を新たな目で見、その腐敗に驚く。 「なんだ。腐敗しているのはロシアと同じではないか」と思う。彼らの中に、自国の政治や社会状況が問題だとして闘い始める人間が出る。
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