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元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩と、元『週刊プロレス』記者・安西伸一。80年代末に勃発した天龍革命当時、天龍源一郎の担当記者だった2人である。つい先日、その天龍が年内での引退を表明。ひとつの時代が終焉を迎えるにあたり、“ミスタープロレス”が生きた時代を『ゴング』と『週プロ』のそれぞれの立ち位置から振り返っていただいた。18000字にも及ぶロング対談!



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Part
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今日は『週刊ゴング』と『週刊プロレス』の“天龍番”だったおふたりに、先日引退表明をされた天龍源一郎が生きた時代を語っていただきたいと思います。

小佐野 ……安西くんって“天龍番”だったの?

――あ、そういう認識はない(笑)。

安西 そもそもボクが天龍番か否かという話から始めると、当時の『週プロ』編集部には団体担当とか明確なものはなかったんですよ。みんなでサポートしあっていて、天龍革命後の全日本の場合は、ビッグマッチのメインの試合担当は(ターザン)山本さん、もしくはジャンボ鶴田がらみの試合は市瀬(英俊)くんで、天龍革命後の天龍さんがらみの試合はボクが書くという分担だったんです。その頃は大会数もそんなになかったから、みんなで取材してたんだよね。

小佐野 当時は団体が多くなかったからね。

安西 ただ、宍倉(清則)さんは台割(雑誌の全体構成)を決めたり、飛行機には乗りたくないということもあったから、出張はほかの記者が行ってたんだけど。ボクは新日本やUWFが多くて、市瀬くんは全日本が多かった。

小佐野 市瀬くんって『週プロ』にいつ入ってきた? 安西くんより遅いでしょ。

安西 いや、ボクと同じ時期に編集部に出入りし始めた。ほぼ同じ。

小佐野 市瀬くんが全日本の会場に来るようになったという記憶があるのは、87年の天龍同盟結成の直前あたりかな? タイガーマスク七番勝負の天龍戦を金沢でやったじゃない。あのへんから市瀬くんを認識し始めた。すごく大人しい人だったじゃない。天龍さんを取材をするのも大変だろうから、他誌だけど取材ができるように協力してあげていたんだよ。

安西 彼はとにかく馬場派だったから、新日本の会場に行くと、さめた記事を書くことがあったよね。

小佐野 市瀬くんが来る前の『週プロ』ってさ、全日本から取材拒否されていた時期もあったよね。

安西 『週プロ』は全日本から取材拒否されていた。当時の編集長だった杉山さんから「殴られたりすればいいんだよな!な!」とか言われながら、チケットを買って取材してたんですよ。一回だけだけど、間違いなくそう言われたことがあったなあ。

小佐野 そういえば、『週プロ』で『イジメられ日記』を連載してたよね。イジメられるために永源(遥)さんにチョッカイを出したりね(笑)。

安西 そうそう(笑)。あれは俺が書いてたんじゃないけどね。「全日本のレスラーからこういう仕打ちを受けた」と編集部に報告して、それをもとにフリーライターが書いて。

小佐野 面白く読んではいたんだけど、たまに読んでいてカチンをくることがあったよ。輪島さんが全日本に入ったとき、取材の統制が凄く厳しかったのね。『週プロ』は取材拒否だから論外なんだけど、俺らも輪島さんの取材は難しかった。ようやくハワイで取材ができるように馬場さんと交渉してこぎつけたわけ。

――なんでそんなに厳しかったんですか? 

小佐野 馬場さんは「ダメ」の一言。ていうのは、まだ身体もできていないから見せたくなかったんでしょう。最終的にボクと『東スポ』の若い記者がハワイに行ったんだけど、そのときに『週プロ』が「馬場さんのおメガネにかなった『ゴング』と『東スポ』の記者だけは……」と嫌味ったらしく書くんですよ。

安西 ハハハハハハ。

小佐野 取材決定に至るまでにはもの凄い努力をしてるんだよ。おメガネじゃねえんだって。

安西 凄く努力しておメガネにかなったんじゃないの?

小佐野 でも、あのニュアンスは、馬場さんに気に入られて呼ばれたというものだから。

――しかし、ワイまで取材に行くっていい時代ですねぇ。

小佐野 やっぱりあの当時の輪島だからね。でも、現地に行っても、輪島さんがどこにいるのかさえ教えてくれないんだよ。取材の何時間しか会えない。携帯もない時代から連絡も取れない。

安西 それほど、しょっぱい身体を見せたくなかったんだろうね。

小佐野 取材で1回も裸にはならなかったから。ハワイには3日間いて会えたのも数時間。まいったなと思って、ロッキー・ジョンソンが旗揚げした団体を取材に行っちゃって(笑)。

安西 その頃の『週プロ』は取材拒否の真っ只中だったので、ボク個人は当時の馬場さんや全日本にいい印象はないんですよ。あの頃、感じたのはさ、プロレスラーって、一般社会のサラリーマンと違って豪放磊落に生きているのだとばかり思っていたらさ、全日本の選手たちは馬場さんや元子さんには何も言えなくて、小じんまりとしてるなって。

小佐野 言いたいことはなんとなくなるわかる。ボクも全日本を取材し始めた頃、それまでアスリートはタバコを吸っちゃいけないと言われていた中で、マイティ井上さんは試合前にタバコを吸っていてさ。「あ、そろそろ俺の出番か」ってタバコの火を消してリングに向かうわけ(笑)。

安西 ハハハハハハ!

小佐野 それでリングに上がったら、凄い華麗な動きをして、また控室に戻ってきたら「あー、終わった終わったあ」とタバコに火をつけるわけですよ。これがプロの世界なのかって驚きでね(笑)。

安西 全日本にはそういう雰囲気の中、選手は好き勝手なことは言えないし、新日本の選手と比べたら、インタビューをしてもつまらないだろうと思っていたわけ。ところが長州さんたちジャパンプロレスが全日本を抜けて、そのときに天龍さんが正規軍を抜けて反旗を翻すという記事が『東スポ』に出たのかな。

小佐野 天龍同盟になる前ね。

安西 その記事を見て天龍さんのことが凄く気になって、栃木県の興行に行ってみたんですよ。

小佐野 小山ゆうえんちの大会。シリーズの開幕第2戦だ。

安西 そこで天龍さんに話を聞けないかなと思ってね。それまで天龍さんとはまったく話をしたことなかったんだけど、試合前に控室に行っみたら取材に応じてくれて。「鶴田、輪島と戦いたい」と言ったんだよね。

小佐野 あの人の表現だと「ジャンボのおもりも疲れたし、輪島の背中も見飽きた」という言い方だね。

安西 ボクにはそういうニュアンスだった記憶がないんだけど、「全日本でそういうことを言っていいの!?」という驚きがあったんですよ。だって、これまでの流れを大きく変える発言でしょ。しかも一回も話をしたこともなく、取材アポも取っていないボクにそんなことを話すんだから。どう処理していいかわからなくて困ったんだよねぇ。 

小佐野 なるほどね。安西くんは全日本の体質をわかってるから、フライングでこの発言を載せていいのかもわからなかったんだ(笑)。

安西 そうそう。その天龍さんの発言がフライングなのか、そうやって流れができていく第一歩なのかもわからない。そもそも突然取材した人間にそんなことを言うとは思えなかったんだよね。だから、どう解釈していいかわからなかった。

――当時は選手取材をするとき団体を通さなくていいんですか?

小佐野 控室は出入り自由だったんですよ。いまみたいに立入禁止じゃなかったから、話が聞きたい選手のところに行ってたんだよね。正式にインタビューするときは、全日本の場合は必ず広報を通さないといけないというルールが決まっていた。その抜け道としては、ホテルや電話なりで話を聞くんだけど、広報には「控室で聞いた」と言うわけ。

――控室はなぜOKなんですか?

小佐野 新聞社が自由にやってるから。

――ああ、なるほど。それだと同じマスコミとして規制はかけられないわけですね。

安西 天龍さん初取材の続きだけど、「鶴田とやりたい」以外にも面白い話が出てきてね、プロレスの本質みたいなことも話してくれたんですよ。ジャンボと自分の8センチの身長差、それがいかにプロレスをする上で大きな差になるか。そういう話を2週にわたって載せたんだけど、ボクにとってプロレスラーの取材の中では最も印象に残ってるくらいの記事になったんです。

小佐野 『ゴング』ってね、どこまで行っても新日本が主役なんですよ。全日本の唯一の切り札は天龍源一郎だった。インタビューをやれば絶対に面白いし。 

安西 「こんなに面白い話ができる人がなんでいままで表に出てこなかったんだろう」って不思議に思っちゃって。それで自然と天龍さんに魅入られてしまったんだよね。それまでは市瀬くんが全日本の取材をやってたんだけど、天龍さんはボクが取材するという感じになって。ボクは馬場さんや鶴田さんには、試合後のコメント以外、ほとんど話を聞いたことない。会場に行っても天龍さんの控室にしか行ってなかったから。

小佐野 その頃の『週プロ』の記者は地方に行っても、ほかのマスコミと一緒にメシを食ったりしなかったよね?

安西 しなかった。

小佐野 それは山本さんに言われてたの?

安西 いや、ボクはそうじゃなかったけど。山本さんがそう言っていたことはあったけど、俺は別に気にしてなかったな。普通に接してれば問題ないわけだから。

小佐野 ボクはきっと山本さんが「一緒に行動するな」と命令してたと解釈してたけど。実際に「他社の人間とは口を利くなと言われた」という『週プロ』の人間がいたから。誰がそう言ってたかは忘れたけど。それなのに無理矢理に誘っても、その人がかわいそうじゃない。

――安西さんは食事に誘われたかったですか?

安西 誘われたかったよ、俺は(笑)。

小佐野 ハハハハハハ!

――20数年の時を経て告白(笑)。

安西 『ゴング』や他社と付き合わなかったのは、独自の取材をしろという山本さんの考えがあったからだと思う。でも、みんなと食事もしたかったし、酒も飲みたかったよぉ(笑)。

小佐野 村社会というわけじゃないけど、俺はレスラーも記者も仲間だという意識が強かったからね。あの頃だとボクはレスラーでもないのに、天龍さんからすれば、同じ仲間扱いだったから。たとえば折原(昌夫)がボクのことを指を差して何か言うものならば、「兄弟子に指を差すな!」と怒ってね。

安西 プロレス縦社会の一員になってるのね。

小佐野 そういう上下関係にいたんだけど。あとで困ったのはその時代のレスラーは呼び捨てなのに、あとの時代のレスラーは呼び捨てじゃない。なぜならその時代に接していないからね。いまはもちろんレスラー全員呼び捨てにはしていないけど。

安西 たとえばA社B社が赤コーナーの選手に試合後のコメントを取りに行って、C社D社が青コーナーのコメントを取って、みんなでコメントをすり合わせることも、山本さんは嫌がっていたことがあったよね。

小佐野 ボクなんかは他社との付き合いがあったけど、週刊誌と新聞は競合しないじゃない。どうやったって新聞のほうが先に載るだもん。そうすると、こっちが“週刊誌の人間”ということで知らない情報を教えてくれるわけ。

――教えても先には載せないだろうと。

小佐野 たぶん山本さんは記者仲間がナアナアで取材をやってるんじゃないかと思ってたんだろうけど、当時の取材はガチンコだよ。ボクはたしかに馬場夫妻や天龍さんと仲は良かったけど、取材は予定調和の世界じゃない。たとえば、山本さんはのちに馬場さんと仲良くなったじゃない。

安西 一転して凄く仲が良かったよね。

小佐野 シリーズのオフに馬場さんに「そろそろ天龍とハンセンがタッグを組むんじゃないですか?」と向けたんだけど、何も答えてくれなかった。「じゃあ自分が思ったとおりに書いていいですか?」と聞いたら「好きにしたらいい」と。それでハンセンと天龍さんがタッグを結成するんじゃないかと書いたら、全日本は後追いのかたちで慌てて発表するような状況になって馬場さんが怒っちゃって。キャピタル東急に呼び出されたら、なぜか馬場さんと一緒に山本さんがいて「小佐野くん、ダメだよ!こんなこと勝手に書いちゃ!!」って怒るんだよ

――山本さんは龍艦砲結成を事前に知っていたんですね。

小佐野 知っていたんでしょう。でも、ボクは何も知らないで書いたし、馬場さんにも「思ったように書きますよ」と言ってたわけだから。そうしたら元子さんが「ごめんね。あなたに否はない」と謝ってくれて。

安西 山本さんと馬場さんって急に仲良くなったよね。

小佐野 ジャイアント馬場という人間はなかなか他人を自分の枠に入れないんです。山本さんはその枠に入りたかったはずだし、入れてくれたから馬場さんの虜になったんだなって思うけど。長州さんがジャパンプロレスを抜けたときに、キャピタル東急で山本さんが馬場さんに「俺が長州を潰してやりますよぉ!」と言っていたしね。

――長州批判は馬場さんのゴキゲン取りのところもあったんですね。

小佐野 だから長州さんが新日本に戻ったときは「『週プロ』は取材拒否だ」と言っていたんだよ。長州さんは『週プロ』のカメラマンだった石川(一雄)さんのことも「石川ぁっ!撮るんじゃねえ!!」って怒鳴り散らして。あとで長州さん、「年上の石川さんのことを呼び捨てで怒鳴りたくねえんだよ」ってボヤいてて。

安西 ボクも出張で沖縄に行ったときに、大会前の夕方、長州さんとマサ斉藤さんが会場の周りでランニングしているところに近寄ったら「来るな!こいつう!!」と怒鳴られてね。長州さんが拳を振り上げたから、殴られると思って頭を抱えたら、長州さんの拳のグーがパーになって「おまえが悪いんじゃないからな」って頭を撫でられたの(笑)。

小佐野 ハハハハハハ! 

安西 数年経ったあと長州さんに「沖縄でおまえを殴りそうになったとき……」という話をされて「おぼえてらっしゃったんですか?」と驚いたら「自分で悪いことをしたと思ったことは覚えてるんだよ」って言ってたよ。

小佐野 ボクも長州さんに胸ぐらを掴まれたことがあったんだけどね(苦笑)。

安西 なんで?(笑)。

小佐野 87年春の全日本のチャンピオンカーニバル開幕戦に長州さんは「出る」と言っていたの。でも、ジャパンの事務所に籠城して出場をボイコットしたんですよ。ボクは全日本の担当だったから、ジャパンの事務所を見張ってて。「写真を撮るな!」と言われるのはわかってたから、長州さんが事務所を出てきた瞬間にバシャバシャ撮ったんですよ。そうしたら「おまえ、撮りやがったなあっ!?」って怒鳴りながら長州さんが追いかけてきてねぇ。

安西 怖いなあ(笑)。

小佐野 最初は思わず逃げたんだけど、今後も仕事で付き合っていくわけだから立ち止まったら、胸ぐらを掴まれて「おまえ、俺の性格をわかってんだろ? フィルムを出せ!」と。

安西 フィルム出したの?

小佐野 「渡しますけど、ほかの写真も入ってますから壊されるのは困ります。長州さんの写真は使いませんから」と言って。長州さんも冷静になって「使わないなら返すから。今度ちゃんと取材を受けるから、今日は帰ってくれ」と。道場に寝泊まりしていた新人時代の健介が一部始終を見ていたんだけど、「絶対に殴られると思ってました……」と言ってたよ(笑)。

安西 そんなことするのって長州さんくらいだよね。

小佐野 あと、ジャパンプロレスのときに長州さんの取材を事務所でやる予定だったんですよ。締め切りギリギリだったんだけど、そうしたら取材日の朝に『ファイト』を読んで機嫌を悪くしたみたいで、約束の時間になっても長州さんが事務所に来ないんだよ。家に電話してみたら相当怒ってるわけ。「おまえ、『ファイト』の記事を読んだか?ふざけるな!」「ボクは『ゴング』で『ファイト』の人間じゃないですよ……」「うるさい!マスコミはどこも一緒だぁ!」って(笑)。

安西 ハハハハハハ!

小佐野 締め切りもギリギリだったし、「約束してるんだから絶対に来てください!」って思わず強く言っちゃったんだよ。「マズイこと言っちゃったな……」と思ったらちゃんと来てくれて。取材が終わったあとに「おまえ、シェイクハンドするか?」って言われて。「ありがとうございます」って握手しようとしたら「バーカ、嘘だよ」って言われたけど(笑)。

――取材する側も“真剣勝負”だったんですね。

小佐野 あの当時は何をやるにしても厳しかったですよ。

安西 そうそう。

小佐野 いまは控室の出入り禁止、あの当時は自由だったけど、自由なのにいろいろと掟があって厳しかった。門馬(忠夫)さんに日プロ時代の話を聞いたら、猪木さんと馬場さんは札幌でファンクスとやってインタータッグを獲られるじゃない。猪木さんはそれが日プロの最終試合で追放されるわけだけど、門馬さんは「試合後、選手と同じホテルに泊まったけど、異変に気が付かなかった」んだって。

――クーデター失敗により猪木追放が決定していたのにその空気を感じなかったと。

小佐野 裏側に気が付かないで、ほかのレスラーと酒を飲んでいたというから(笑)。

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