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【喧嘩日本一見参】“ケンドー・ナガサキ”桜田一男インタビュー「SWSは全部で99億円使った」

2014/10/22 13:00 投稿

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「喧嘩をやらせたら日本で一番強い」と言われたプロレスラー、桜田一男。大相撲からプロレスに転身。ナメられたらオシマイのアメリカマットでトップの地位を確立し、「ケンドー・ナガサキ」などのリングネームで暴れまわった。そして“金権プロレス”と批判されたメガネスーパーのプロレス団体「SWS」設立に深く関与。同団体崩壊後も当時メガネスーパーの社長だった田中八郎氏との密接な関係は続いたという。そんな桜田一男の怒涛のプロレス人生を14000字のロングインタビューで追った!


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――このサイトの読者は「喧嘩が強い」プロレスラーのお話が大好きなんです。
 
桜田 フフフフフ。弱いよ、俺は。負けたから。

――大日本プロレス時代に出られたバーリトゥードのことですね。47歳という年齢でよく出られましたよね。

桜田 あれは(グレート)小鹿が決めた企画だから。40代はキツイよ、やっぱり。いちばん元気な30代じゃないと。掴まえたら極められたんだろうけど、パンチの練習もしてなかったし。

――あの企画の流れでブラジルにも行かれてたりしてましたよね。

桜田 1ヵ月くらい行ってたね。向こうで山川(竜司)が試合したんだけど。ブラジルは凄いよ、治安が悪くて、よくオリンピックをやるなって。「すぐそこで誰かが撃たれた」という話も聞いて。

――あのときは平(直行)さんら総合格闘家も一緒でしたね。

桜田 あー、誰か来てたな。おぼえてないけど。危なくてひとりで便所に行けないとか騒いでたよ。俺は海外が慣れてるからなんとも思わなかったけど。

――さすがですね(笑)。ヒクソン(・グレイシー)に会われたことはおぼえてますか?

桜田 会った。山川が出た大会はヒクソンがプロモーターだった。スポンサーがいなくなってお金がないから最後の何日かホテルを変えてくれって言われたな。練習場にも行ったけど、向こうのガキは小さい頃からやってるんだもんね。あれは強くなるよね。

――桜田さんはマルコ・ファスの道場でスパーリングされたんですよね?

桜田 やったよ。グラウンドは負けなかった。強い奴がいたな。新日本で来てた奴。

――武藤(敬司)さんと伝説の格闘技戦をやったペドロ・オタービオですね(笑)。話はさかのぼって、桜田さんは相撲からプロレスに転身されたわけですが、のちに全日本プロレスで一緒になる天龍(源一郎)さんやロッキー羽田さんとも角界で面識はあったんですよね。

桜田 知ってたよ。まさかあとでプロレスで一緒になると思わなかったけど。あの頃は相撲をやる人間がいっぱいいたんだよ。

――相撲は花形スポーツでしたよね。いまは、なり手が少なくなってますけど。

桜田 ウチの立浪部屋だけで60人くらいいたから。やめてく人も多かったけど。1日でやめたりね。

――いまは指導法が問題になってたりしますが、当時はとんでもなく厳しかったんですよね。 

桜田 しごき、凄かったよ。いまだと大問題になってみんなやめちゃう。俺も何度も「つらい」と思ったけど、実家が北海道だし、帰るに帰れないから。そんな中でもイジメられる奴と、そうでない奴に分かれるんですよ。

――桜田さん、イジメられなさそうですね(笑)。

桜田 うん。俺はイジメられない。どこに行ってもイジメられる奴っているじゃないですか。会社や学校だったり。

――桜田さんが相撲をやめたのは、部屋内のイジメを止めたことがきっかけなんですよね。

桜田 そうそう。若い衆が入ったばっかの新弟子をイジメたから、俺が怒ってぶん殴ったんだよ。そのやりとりを見てた女将さんが親方に報告して。親方が俺にブツブツ文句を言うから「もうやめる」って。あっちは縦社会だから、説明したってダメだから。でも、何度も止められましたよ。いいところまで行ってたからね。

――相撲に未練はなかったですか?

桜田 永源遙(日プロ→新日本→全日本→ノア)っていたじゃん。あの人は立浪部屋にいたから、遊びに行くと「いつ相撲をやめるんだ。プロレスをやろう」とか煽られてね。それでやめることになっちゃった。少しは相撲に未練はあったんだけど。

――プロレスが魅力的に見えたところもあるんですか?

桜田 プロレスは自由に見えたよね。アメリカとかあちこちに行けるし。相撲は親方になってもずっと部屋にいなきゃならない。そういう自由はないじゃないですか。

――それで永源さんの繋がりで日本プロレスに入られて。

桜田 練習はキツかったよね。やったことないことをやるから、やっぱし。でも、やってくうちにおぼえていったよ。その頃は山本(小鉄)さんと大坪(飛車角)さんというコーチがいて、練習には厳しいけど、普段は優しかった。当時一緒に練習していたのは藤波辰爾、キラー・カン、佐藤(昭雄)、シンガポールから(ドナルド・)タケシという奴が来てた。キラー・カンはいっつも泣かされていたよ。イジメられる役なんだよ、アイツは。藤波は練習も真面目だからイジメられない。キラー・カンは真面目じゃなかったから。それで永源さんなんかにいっつも怒られて、すぐ女のところに逃げちゃってた。あだ名が「オバケ」だったよ。身体がオバケみたいに大きかったから。

――日本人離れした身体ですもんね(笑)。

桜田 あのときは永源さんや藤波、キラー・カンとか5人くらいで八百屋の2階のアパートに住んでいたんだよ。場所は三軒茶屋。部屋は3つあって、永源さんがひとつの部屋でベッドで寝てて、あとの部屋に俺たちが布団を敷いて寝てた。

――永源さんは先輩だから別格なんですね。

桜田 永源さんが「タクシー!」と言ったら、みんなでタクシーを拾いに行ったよ。あの当時タクシーはなかなか拾えなかったから、誰が拾うか勝負だったよね。

――桜田さんは上田(馬之助)さんの付き人だったんですよね。

桜田 そう。上田さんはちょうどアメリカから帰ってきたばっかだった。キラー・カンは吉村(道明)さん、佐藤は馬場さん、藤波は猪木さん。俺が上田さんだったけど、何も用事がないんだもん。付き人として凄く楽。ほかはみんな大荷物だけど、上田さんは荷物も小さいしさ。優しい人だったよ。仕事はちゃんとやるけど。

――上田さんは仕事もできたうえに、ガチンコも強かったんですよね。

桜田 何回もやったことあるけど、メチャクチャ強いよ。猪木さんも強いです。猪木さんと上田さんは用事がないかぎり道場で来て練習してたから。馬場さんは来なかったけど。

――そこはイメージどおりですね(笑)。当時“柔道日本一”という触れ込みで日プロに入団された坂口(征二)さんはどうでした?

桜田 坂口さんはあんまり強くない。でも、引っ張る力は凄かったね。あの身体でロープ登りしちゃんだからビックリしたよ。同じ柔道でいえばアントン・ヘーシンクも引きつける力は凄かった。

――柔道五輪無差別級の金メダリストですね。

桜田 俺がプロレスを教えたけど、ヘーシンクにガッと引きつけられたら動けないんだから。でも、プロレスセンスがなかったね。

――話を戻すと、上田さんはそんなに口うるさくない先輩だったんですね。

桜田 うるさいのは大木金太郎。あとユセフ・トルコもうるさい。

――トルコさんはたしかにうるさそう(笑)。

桜田 試合が終わったらタクシーで旅館まで帰るじゃない。タクシーを呼ぶのは若い衆の仕事なんだけど、トルコは「タクシー!タクシー!!」って騒いでうるさいんだよ。早く来なかったら怒って大変だし。性格的にあんまり好きじゃなかった。悪いことばっかやってたし。悪いよ。凄く悪いよ。

――三度も繰り返すほど悪いですか(笑)。

桜田 トルコは猪木さんや上田さんとくっついてた。

――幻に終わった日プロクーデター計画のメンバーですね。

桜田 上田さんが全部バラしちゃったけど。

――どうして上田さんは猪木さんを裏切ったんですか?

桜田 それは知らないけど。「猪木と一緒にクーデターをやるはずだった」ってことを芳の里さん(当時の日本プロレス社長)にバラして。その内幕を原稿用紙10枚くらいに書いてきたんだよ。上田さん、字が凄くうまいから。

――「こういう計画を猪木が企んでいる」と。

桜田 選手全員集められて、上田さんがその原稿を読み上げて。みんなビックリしたよ。芳の里さんたちがゴルフをやってるあいだに、猪木さんと上田さんが会社を乗っ取ろうとしてたんだよ。

――事務所に乗り込んで手続きなんかをしてしまおう、と。日プロのエースだった馬場さんは知ってたんですか?

桜田 馬場さんも知らない。だからみんな反発したよ。やっぱり乗っ取られるのは嫌じゃん。自分たちのやりやすいようにやられちゃうかもしれないから、みんな反発した。猪木が事務所に来たら叩きのめせってことで、5〜6人で待ってたんだよ。でも、来なかった。

――猪木さんは先輩ですけど、やりづらくなかったですか?

桜田 やるとなったら仕方なかった。

――な、なるほど(笑)。

桜田 グレート小鹿、キラー・カン、サムソン・クツワダもいたのかな。藤波はアッチ(猪木派)だから。

――当時のプロレス界はかなり儲かってたから利権争いの面もあったんですよね。

桜田 あの頃は凄かったよ。どこで興行をやっても満員満員で。ハンパじゃないです。客が押し寄せて、大阪府立体育館の前にあった大きな鉄柱が折れ曲がったから。切符が売れ切れで「金を払うから入れてくれ!」って頼んでくる客もいたし。

――それに日本テレビとNET(現・テレビ朝日)でテレビ中継していたわけですもんね。

桜田 テレビが2局ついてたから。事務所は代官山の一等地にあって、そこに寮も作って俺たちが住んでいたし。でも、経理の遠藤幸吉が売り上げを勝手に持って行っちゃうんだよ。

――昭和のどんぶり勘定経営ですねぇ(笑)。

桜田 吉村さんも毎晩、会社の金で銀座で飲んでるんだもん。いっつも呼び出されてさ。「桜田、銀座にいるから来いよ!」って。そこで初代・若乃花とよく飲んだもんだよ。「おまえは有望株なのになんで相撲をやめたんだよ」なんて言われてね。

――猪木さんはそんな乱脈経営をなんとか糺したかったんですね。

桜田 そうそう。

――猪木さんは新日本、馬場さんは全日本を立ち上げて、日プロに残っていた坂口さんも新日本に合流しますよね。

桜田 あんときは揉めたな。キラー・カンと大城(大五郎)、木村健悟、坂口さんが新日本に行くとなったとき揉めた。

――坂口さんたちが日プロ最後の試合のとき、桜田さんはシングルマッチでその大城さんをボコボコにしたという。

桜田 まあ最後の試合だったから。

――やっちゃえ!と(笑)。

桜田 レフェリーの田中米太郎も向こうに行くことになってて「桜田、やめろ!」って止めるんだけど、まあやめなかったよね。

――それは制裁的な意味もあったんですか?

桜田 うん、そうだね。

――そ、そうですか。

桜田 大城もイジメられ役だったんだよ。俺が強いことを知ってるから手を出してこなかったね。震えてるだけでやられっぱなし。顔がすげえ腫れてたよ。坂口さんたちは試合が終わったら、会場からバタバタバタっていなくなったもんな。

――桜田さんは新日本や全日本に行こうと思わなかったんですか?

桜田 俺は行こうとは思わなかった。芳の里派だったから。でも、上が大木金太郎だったから、なんだかんだ揉めるんだよな。

――大木さんとは合わなかったですか?

桜田 うん。大木金太郎は変わってるし、自分本位。他人のことを考えないから。それに大木金太郎、上田馬之助、グレート小鹿がトップだから興行をやっても客が入らない。そのうち力道山の奥さんと話をして全日本と半々でやるという話だったけど、馬場がマッチメイクするからそんなわけにはいかない。結局、全日本に吸収されちゃったんだけど。

――外様の桜田さんからすると、全日本の居心地はよくなかったんですか?

桜田 うん。上田さんと海外に行くということになって。一緒にマルベル堂でプロフィール用の写真を撮ったんだけど。それなのに上田さんはひとりでアメリカに行っちゃったんだよ。何も言わないで。理由はわからない。

――桜田さんの初渡米は、相撲から転身したばかりの天龍さんと一緒だったんですよね。

桜田 馬場さんに頼まれて天龍と一緒にアマリロに行ったんだよ。馬場さんは「最初だけ面倒を見たらあとは好きにしていいぞ」ってことでね。天龍はプロレスに入ったばっかで何もわからなかったから。アイツをボディスラムで投げたら立ってこれなかったもんな。「こんなに痛いのか」って。天龍も最初は大変だったよ。向こうではぜんぜんメシが食えない。プロモーターはできるレスラーしか使わないから、一週間にいっぺんくらいしか仕事がない。

――海外は自分の力で生きていかないといけないんですね。

桜田 自分でやっていくしかない。使ってもらわないとお金にならない。当時は使ってくれるところはいっぱいあったんだけどね。

――天龍さんも食えるようになったのはだいぶあとだって言ってましたね。

桜田 最初の2ヵ月は俺と一緒だったんだけど、ひとりになったら何もわからないじゃない。俺は日本にいた頃ガイジン係だったから、だいたいのレスラーのことは知ってたんだけど。

――そういう繋がりがアメリカで活きたんですね。当時のアメリカはどのマーケットも好況だったから稼げたんじゃないですか。

桜田 週1000ドルは稼げた。1ドル250円の時代だよ。

――いい時代だったんですねぇ。トップ中のトップだったアンドレ・ザ・ジャイアントやリック・フレアーはとんでもなく稼いでいたんでしょうね。

桜田 彼らはもっと稼いでいたよ。アンドレなんか凄い稼いでいた。

――アンドレが出る興行はいつも満員だから、ほかのレスラーのギャラも上がったといいますもんね。

桜田 ギャラは興行収益のパーセンテージだからね。アンドレが出ればお客がたくさん入るから、ほかの選手のギャラも上がる。アンドレは試合が終わると、バンの後ろに乗って250〜300mlのビール瓶を2ケースくらい飲んでたな。あれは凄かった。

――怪物ですねぇ。

桜田 俺も稼いでいたけど、ホテル代は日本と違って自分持ちだからね。あとガソリン代はみんなと車を乗り合いしてたから割り勘だったし。

――向こうは移動移動の連続で、車を持ってないと仕事にならないんですよね。

桜田 俺も最初は車を持ってなかったんだよ。テキサスにいたとき、ディック・マードッグにルイジアナに呼ばれて、そこで1年間カール・コックスのパートナーをやってた。あのときはカール・コックスの車に乗って動いてたんだよ。どこに行くのも一緒ですよ。24時間カール・コックス。

――ハハハハハハ!

桜田 あのときカール・コックスからいろいろと教わったよ。プロレス界のわからないこともいろいろと。どうやったらお客をヒートさせることができるのか。勉強になった1年だったね。

――そうやってアメリカマットで生きていく術を身につけて。

桜田 2年目からはひとりで移動しなくちゃならなくて新車を買ったんですよ。国際免許も取りに行ったんですけど、上田さんが一緒に来てくれて。でも、読めないじゃん、英語の文は。交通標識はわかるんだけど、よくわからない。「できるまでやっとけ」って試験管がいなくなるから、上田さんに聞いたり、隣の人間の答えを見たりね。

――それ、絶対に合格しますよね(笑)。

桜田 それでも合格しない奴もいるんだけど。それでなんとか免許を取って車も買って、あとテキサスのダラスに自宅を買ったんですよ。3000万くらいしたかな。500坪の家だよ。

――それくらい稼いでたんですねぇ。いまでいうと日本人野球選手がメジャーリーグで稼ぐ感じで。

桜田 あの当時は野球選手もアメリカに来てないから。あとから野茂英雄が来たけど、俺がアメリカに渡ったのは77年だから。ダラスの家はもう売っちゃったけど、グーグル(のストリートビュー)で見るといまでもあるんだよ(笑)。

――便利な時代ですね(笑)。当時は日本人ということでナメられたりしたんじゃないですか。

桜田 そんなレスラーはいっぱいいましたよ。「ジャップ!」って見下してくるんだ。ただ、俺は負けないから。

――力で黙らせたわけですね。

桜田 何回も喧嘩になったよ。ナイフを出してくる奴もいたけど、「刺せるもんなら刺してみろ!」って。

――うわあ……リング上でもそんなことはありました?

桜田 いるよ。そういう奴は絶対に許さないから。もう大変だよ(淡々と)

――ホント大変そうですね(笑)。一度、叩きのめしたら噂になって手を出してこないんじゃないですか。「サクラダを怒らせるとマズイぞ……」と。

桜田 そうそう。だからギュと言わせないとダメだよ。

――ギュッと(笑)。

桜田 それは興行を守るためでもあるんだよ。だってトップなのに強いイメージがないとお客が来ないでしょ。

――ヒールなのに下のレスラーにナメられたらおかしいですね。リング内外で言うことを聞くように“指導”するんですね。

桜田 いや、リング外はいいんだよ。リングの中でちゃんとしてればね。俺がトップということがお客にわかるようになれば。プロレスラーがナメられちゃいけないというのはそういう理由もあるんだよね。「この野郎!」と思ったら下っ端なんかバッカンバッカンやるからね。徹底的にやるよ、俺は(淡々と)。

――ハハハハハハ!

桜田 いるんだよ、ナメた奴が。日本人のことをバカにする奴が。

――当時は観客も怖かったと聞きますよね。熱くなっ客がレスラーをナイフで刺そうとしたり。

桜田 何回も喧嘩したことあるよ。カルガリーで客をぶん殴ったら、怒った客が集団で待ってるんだよ。ガードマンが「外は危ない」って言うから裏口から帰ったよ。プエルトリコなんかもっと凄いよ。客が木刀を持って会場の外で待ってるから。

――プロレス観戦に木刀持参って(笑)。

桜田 子供はみんな石を投げてくるし。危ないから5人くらいガードマンがつくんだよ。向こうの人間は正義感が強いんだろうね。ヒールが許せない。石をリングに投げられまくって試合どころじゃなんだから。

――あまりにもプエルトリコの客が危ないから、スタジアムで興行をやるときはグラウンドに客を入れなくなったとか聞きますもんね。

桜田 それくらいプロレスは人気があった。毎週回るんだよ、同じ会場を。それでも客は入るんだから。

――プエルトリコといえば、やはりブルーザー・ブロディ刺殺事件ですけど……。

桜田 刺されたとき同じ会場に一緒にいたんだよ。武藤(敬司)と(ミスター・)ポーゴもいた。ポーゴはベビーフェイスだから向こうの控室にいたんだけど。リングドクターが「ブロディが刺された」と言うんだよ。最初は客に刺されたと思った。

――そんなに客のガラが悪かったらそう思いますよね。でも、実際は現地プロモーター側のホセ・ゴンザレスに刺されて。

桜田 ブロディは悪かったもん。金の面で相当、悪かった。

――以前、新倉(史祐)さんに取材したときに「ブロディは刺されてもおかしくないことをやってた」と言ってましたね。→ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar634380

桜田 俺もブロディと揉めたんだから、試合で。俺とポーゴが組んで、向こうはブロディとロッキー・ジョンソン(ロックの父親)。試合にならなかったんだから。

――いったい何があったんですか?

桜田 ブロディが俺の竹刀で暴れたりなんだりして。それにアイツは「ジャップ!」って俺たち日本人のことを下に見るから。「俺のほうが偉いんだ!」ってプライドが高いんだ。

――それで桜田さんがやっつけたんですか?

桜田 そうそう。

――ブロディを!

桜田 うん。焦ったブロディは「ストップ、ストップ!」って言うんだけど、まあ止まんなかった。

このインタビューの続きと、中野巽耀、高瀬大樹、阿修羅・原、佐野哲也、佐伯繁、しなしさとこのインタビューも合わせて読める詰め合わせセットはコチラ!
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コメント

こんな素晴らしいインタビューはなかなかない。企画した人天才!!

No.1 118ヶ月前

ブロディしばいたとか胡散臭いけどまあまあ面白かった。カブキの事もチクリと批判してたけど、ゴンスピで対談した時によそよそしかったのはそういうわけね。田中社長から一番信頼されてたとかほんまかいな。あと大日本の話も聞けよ無能レポーター。

No.2 89ヶ月前
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