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プロレス格闘家の趣味を根掘り葉掘りうかがう不定期コーナー。「スト2」の猛者・ジョビン松本晃一郎に続く今回は、将棋アマ6段の腕前を持つ田口隆祐選手だ。パチンコ・スロット勢が幅を利かす新日本プロレスにおいて、吹けば飛ぶような唯一の将棋勢力となる田口選手。将棋熱のきっかけはメキシコ遠征時代の引きこもり生活にあった!?


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②朝日昇「本当に怖い昭和格闘技」
③菊田早苗「新日本は刑務所、Uインターは収容所でした」
④矢野卓見、堀辺正史を語る「骨法は俺の青春でした」
⑤【元レフェリーの衝撃告白】「私はPRIDEで不正行為を指示されました……」
⑥【小比類巻貴之「ミスターストイックのキャラは正直、しんどかったです」


――田口選手が将棋を始めた理由から教えてください!
田口 小さい頃に自分の父親とやったことがあるんですけど、本格的にやり始めたのは小学6年生のときですね。なぜかクラスで将棋が流行り始めて。
――突然の将棋ブームがきっかけですか。
田口 誰かが学校に将棋盤を持ってきたのが始まりなんでしょうけど、それが学年全体に広まって。それでなのか地元の公民館で週1回の将棋教室が始まったんです。そこから熱中して(宮城県の)岩沼市正月新春将棋大会の小学生・中学生の部に出たら優勝してしまって。
――早くもタイトルゲット! 初めてどれくらいの時期ですか?
田口 3ヵ月くらいでそのときは1級でした。まあ、将棋の本を買ったりして勉強してたのは周囲ではボクくらいだったこともあったんですけど。
――というと、空前の将棋ブームは……。
田口 一瞬にして消えましたねぇ(笑)。将棋大会のときにはわりと熱は冷めていて。その大会に出たのもボクくらいで……。
――いやあ、ブームって怖いですね(笑)。
田口 ボクはわりとハマると熱中するほうなので。中学1年生のときも全国中学選抜将棋大会というのがあって、宮城県予選に友達と一緒に出たんですよ。出場者は3人だったんですけど、ボクらが出ないと、残りひとりが何もしないで優勝しちゃうという(笑)。でも、その人がホント強かったんです。大会前に何局か指したんですけど一度も勝てなくて。それなのに本番の予選ではボクが勝っちゃったんです。
――早くも2冠!
田口 それで全国大会に出られることになって、ますます将棋にハマることになって。全国大会のほうはさすがに予選落ちだったんですけど。
――その頃は将棋の道を極めてみたいという思いはあったんですか?
田口 いま思うとバカな話ですけど、プロを目指したい気持ちはありましたねぇ。朝5時に起きて将棋の勉強してましたし(笑)。将棋道場も行ったりしてたんですけど、それは1カ月に1回くらいで。棋譜を並べて勉強するくらいで他人と指すことはほとんどなかったんですけどね。
――高校のときに将棋熱が冷めていったのはどういう理由からですか?
田口 ええと、ちょうどJリーグブームがありまして……(苦笑)。
――ハハハハハハ!
田口 ボクは中学で陸上部だったんですけど、Jリーグブームの煽りを受けてサッカーをやりたくなっちゃったんです。
――やっぱりブームって怖いですねぇ(笑)。
田口 高校ではホントは将棋部に入りたかったんですけどね。でも、中学のときに指す相手もいなかったですし、ひとりで勉強だけをしていてもつまらないですよね。
――やりがいは出てこないですよねぇ。将棋熱が戻ったのはいつですか?
田口 大学卒業してから新日本プロレスに入って2005年にメキシコ遠征があったんですけど、それまで将棋はやってなかったんです。で、そのメキシコでやることがまったくなかったんですよ。午前中に練習があって、昼過ぎには宿に戻ってくるんですけど、夜に試合がないと何もやることがない。外に出て遊ぶ気力もなくて。要はメキシコに馴染めなかったんです。
――それはホームシックか何かですか?
田口 はい。ホントにもうメキシコにいるのがイヤでイヤで仕方なかったんです。……メキシコ人の顔も見たくなかったですよっ!
――ハハハハハハ! でも、日本人プロレスラーや関係者ってみんなビバメヒコじゃないですか。
田口 ボク以外の選手は好きなんですよね。しょっちゅうメキシコに行きたがってるんですけど、意味がわからないですねぇ。
――食べ物も合わなかったんですか?
田口 そうですね。
――気候も?
田口 まあ暖かいからそこはいいですけど。
――外国が嫌いだとか。
田口 そうなんですかねぇ。メキシコにいて日本の良さを感じましたねぇ。まず言葉が通じないのが……まあ、遠征に行くんだからおぼえろって話なんですけど(苦笑)。
――ハッハッハッ。
田口 メキシコ人と話をするのもイヤでイヤで。いまだったら楽しくできたかもしれないですけど。
――当時はまだ若くて余裕がなかったこともあったんでしょうね。
田口 それで引きこもってるときに宿にネット環境があったので『将棋倶楽部24』という通信対戦型サイトで将棋をやり始めたんです。それが楽しくて楽しくて……(しみじみと)。