6976c7baded5c6472334c84f07e8b7f535a7d597.jpg
noteにバックナンバー引っ越し中に伴いブロマガにも再掲載! 新日本プロレス、ゼロワン、ハッスル、超大花火プロレスを作ってきた男、中村祥之ロングインタビュー。第3弾はハッスル誕生と消滅まで……(聞き手/ジャン斉藤)


①【負けたら即引退試合SPの舞台裏】中村祥之「新日本プロレスに橋本真也の味方はいなかった」

橋本真也を狂わせたゼロワン旗揚げの大成功と国税局■中村祥之




――
それで今日は前回のインタビューの続き、『ハッスル』についておうかがいしたいんです

中村 『ハッスル』には最初から関わってましたね。

――『ハッスル』誕生のきっかけとなった第1次W−1にはタッチしていないんですよね。

中村 ないですね。W−1は橋本さんが出場したくらいかな。

――あ、出てましたね。破壊王とジョーサンとシングルマッチ(笑)。

中村 W−1って、いまのプロレス団体になる前にも何かありませんでしたっけ?

――上井(文彦)さんが矢面に立っての第2次W−1もありました。第2次も旧K−1の主導でしたけど、第1次はK−1、PRIDE、全日本プロレスの協力体制が敷かれていて。

中村 そうだそうだ! W−1と契約したゴールドバーグが全日本に来てましたよね。

――ゴールドバークは、当時PRIDEの常務だった榊原さんの会社と契約したんですよね。

中村 それで全日本に貸したんですけど、W-1も続かなくて契約を消化できなかった。

――そのうちK−1とPRIDEがケンカ別れして、ゴールドバークの契約を消化するために榊原さんがDSE主催のプロレスイベント『ハッスル』をやることになって。

中村 そうだそうだ(笑)。橋本さんが出たW−1は東京ドームですよね?

――それが第1次W−1の最終興行ですね。その前後に石井館長の脱税逮捕、森下社長の自殺もあったりして、マット界激動の時期だったんですけど。

中村 『ハッスル』というイベントが始まったのは04年1月4日ですけど……『ハッスル』という名前になるまでも数ヵ月かかってるんですよね。DSEとしては、PRIDEは格闘技として成立しているから、プロレスイベントをやるなら住み分けをしていきたい、エンターテインメントとして振り切っていきたい、と。でも、僕たちの立場では、そういうことはなかなかできないんですよ、正直。

――DSEはプロレス界の外にいるけど、中村さんたちはプロレス界の中にいるわけですもんね。

中村 そうです。なんだかんだ山口(日昇)さんを窓口としてDSEと話をしていったんですけど。

――山口日昇は当時kamiproの編集長で、榊原さんのブレーンでしたね。

中村 最後の最後には高田(延彦)さん、小川(直也)さん、橋本さん、榊原さん、山口さんらがいる緊迫した空気の中、『ハッスル』はどういったものを打ち出すのかという会議をやって。

――それまで小川さんとDSEの仲は良くなかったんですけど、『ハッスル』をきっかけにして関係は修復されていきましたね。

中村 これは個人的な考えですけど、DSEはまずプロレスで小川さんと信頼関係を築いたうえで、PRIDEにも出したかったんじゃないかなって。

――つまり、田村さんをPRIDEを出すためにDSE仕切りのUスタイルイベントを有明コロシアムでやったようなもんですよね。

中村 そうそう(笑)。

――小川さんがPRIDEヘビー級GPに出たことでDSEは莫大な収益を上げましたから、『ハッスル』の投資は安いもんだったのかもしれません(笑)。

中村 小川さんとプロレスの話をしてみると、WWEが大好きなんですよね。だから『ハッスル』は乗りやすいコンテンツだったんじゃないかな、と。小川さん本人としても新日本プロレスではないステージで、新たなプロレスの実績を作っていこうとするモチベーションは凄く高かったことをおぼえてます。小川さんの意見も会議で取り入れられていくので、新たな刺激を持って臨める場だったんじゃないですかね。

――小川さんは先頭に立っていろいろやりましたよね。 

中村 小川さんは本気で世間にアピールしていこうとしてましたよね。そこは猪木イズムっていうんですかね。対世間というものを意識して「あの小川さんがここまでやるの?」って我々スタッフも引っ張られていきましたから。

――でも、中村さんの立場からすれば「これはちょっと……」という企画は多かったんですよね。

中村 プロレス側の人間だったので、即答でイエスと答えられないことが多かったんですよ。「ここまではできますけど、そこはどうでしょう?」と変にプロレスを守ろうとしてしまった。そこで「プロレスと名乗らないのであればできます」と。だから『ハッスル』は「ファイティングオペラ」を名乗るようになったんですよ。

――劇的に変わったのは、『ハッスル2』に高田総統が登場して、ハッスル軍vs高田モンスター軍の構図ができてからでしたね。

中村 『ハッスル1』は高田本部長のままだったけど。

――高田延彦として小川さんと橋本さんと乱闘してたんですよね。高田総統が初登場した横浜アリーナは、あまりにも意味不明すぎて冷えきってましたけど(笑)。

中村 あの冷え切った感がのちのちの爆発に繋がると思うんですけどね(苦笑)。

――しかし、高田さん、「高田総統」の変身によくOKを出しましたね。

中村 「このアイデアを誰が高田さんに言うのか」っていう問題はあったんですけど(笑)。ところが、実際に高田さんに話を振ってみたら即座に「やろう!」と。高田本部長のまま『ハッスル』に出るのは気持ちが悪かったんでしょう。「こっちのほうがやりやすい」ということで。

――高田本部長のままだと、逆にリアリティがないんじゃないかということですよね。

中村 PRIDEも『ハッスル』も、どっちも得をしない。高田本部長と高田総統にキャラ分けすることに高田さんはノリノリで。小川さんもそういう路線に乗ったし、橋本さんも悪ふさげじゃないですけど、「俺はジュリー(沢田研二)みたいになりたい!」と(笑)。

――ハハハハハハハハハハ! さすが破壊王!

中村 船頭たちがやると言った以上、ほかの選手もやらなきゃダメな流れになって。高田総統も最初は笑われていましたけど、『ハッスル』初の後楽園ホール大会『ハッスルハウス』からコツを掴んだ感じはありました。あの大会、20分でチケット売れ切れですよ。ファンからも大会内容を絶賛されて。

――それまでは大会場だったから熱がバラけてたんですけど、密度の濃い空間でやることで、ようやく『ハッスル』が弾けた感じはありましたね。1月4日の『ハッスル1』なんて、4日前の大晦日PRIDE男祭りの会場仕様のままだから悲惨な客入りだったんですけど(笑)。

中村 『ハッスル1』のときは、4万人収容できるスタジアムバージョンですよね。7000人の観客発表だったけど、会場はスカスカだったじゃないですか。大晦日のPRIDEはギチギチに入っていたのにね。

――『ハッスル1』は新日本プロレスの東京ドームと興行戦争になりましたし、無謀にもほどがあるというか。

中村 もちろん3日や5日にズラすことも考えたんですよ。挑戦するじゃないですけど、あえてぶつけたところはありましたね。

――そこはDSEが考えそうなことですよね。

中村 『ハッスル』って、僕らのプロレスの基本的な考えと、DSEの希望をすりあわていくスタイルでやってたんですけど。キ◯ガイみたいに会議をさせられましたよ。1日10時間を週5回やってましたね(笑)。

――そんなに!(笑)。

中村 なかなか決まらないわけですよ。要はDSEのプロレスチームは“プロレス素人”ばっかでしょ。プロレス学でいえば1時間で終わるようなことでも「こうはできないのか?」という話になって、ワガママな希望がガンガン出てくるんですよ。

――プロレスを知らないからこそ、良くも悪くも発想に限界がない。


・インリン様の再評価
・長州力とハッスルポーズ
・高田、小川、橋本、長州の会議
・『ハッスル2』進行台本流失事件
・長州「おい、ハッスルは天下を取れるぞ」
・高田延彦復帰の裏側
・京楽のスポンサードは年間数億
・ハッスル末期と詐欺
・山口日昇と失踪……16000字はまだまだ続く


この続きと菊野克紀、冨澤大智、中村祥之、佐藤将光、大塚隆史、長尾一大心…などの「記事16本15万字詰め合わせ」が800円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラ


この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!