――前川さんは90年代の全日本女子プロレスというシャレにならない時代を生き抜いたわけですよね。
前川 シャレにならないというか、まあ当時はあたりまえのことでしたけどね。
――あ、ご自分では普通だと感じていた。
前川 うーん、普通というか……たとえばスターダムで起きた世志琥の事件(安川惡斗戦)とかも全女では日常茶飯事だったし、あんなので謝罪会見するほうが間違っていますから。
――試合が壊れちゃったやつですね……。前川さんと同じ意見はあの事件直後も出てましたね。
前川 訴えられるだなんだで言ったら、そんなの全女の先輩たちの制裁シーンなんかいくらでも映像に残っていますよ。たとえば、北斗晶さんが三田英津子さんと下田美馬さんと一緒にラス・カチョーラスというユニットをやっていたときに、試合で何もできなかった2人を北斗さんがバックステージでボコボコにしてた映像とか。ウチらもそれが普通で育ってきているから。
――では、そういうお話も含めてお聞かせいただければと……。前川さんの全女デビューは1991年ですが、入門のきっかけはなんだったんですか?
前川 クラッシュギャルズの影響ですね、とくにライオネス飛鳥さんの。私は高3のときに合格したんです。全女のオーディションって中3から高3までしか受けられないんですけど、最初に書類を送った中3のときは書類だけで2000人の応募があって、フジテレビで面接を受けたのが約300人、最終的に合格したのが10人前後でしたね。
――狭き門すぎますねぇ。当時はそれくらい憧れの職業で。
前川 もし私が中3で合格していたら井上京子さんや井上貴子さんと同期でしたね。私は高3のときにようやく受かりました。ただ、毎年最終面接までは行っていたんですよね。
――毎年あと一歩だった。
前川 高3となると、いよいよ卒業後の進路を決めなきゃいけないんですけど、私は高校で就職組のクラスにいたから、そのまま普通にしていると夏ぐらいに就職が決まっちゃうんですよ。でも、それだと翌春のオーディションを受けられないので、いきなり進学組にクラスを変えたんです。ただ、その年にかぎって全女のオーディションが1月じゃなくて3月になって焦ったんですけどね。
――3月って進学も就職もほぼ決まってる時期ですよね。
前川 専門学校の試験はだいたい1月にあるんですけど、私は「3月に試験がある学校を受けるから」と言い張ってました。担任の先生に「なんで、わざわざ3月の厳しいときに受けるの?」と言われたんですけど、担任にはプロレスやりたいということは明かさずに「ちょっといろいろあるので」と。
――担任の先生も凄く謎だったでしょうね(笑)。
前川 だって、専門学校は受かったら1週間以内に入学金100万円とかを納めないといけないんですよ。行くかどうかわからないのに、そんな無駄なことはできないじゃないですか。だから、オーディションを基準に受験できる専門学校を選んで、全女がダメならダメで、そっから受験すればいいやと思って。
――で、高3では無事合格するわけですね。
前川 合格がわかった瞬間に「全女に受かったから専門学校は受験しません!」と言いました。そしたら先生も「なんだ、そういうことだったのか」と納得してましたけど。
――オーディションを受けるうえで、何か対策はされてたんですか?
前川 私は小・中学校のときに水泳をやっていたんですけど、プロレスラーになるために受け身を教わりたいと思っていたんですよ。そうしたら自分の担任の先生が合気道初段、柔道初段、空手三段ということがわかって「柔道を教えてほしい」とお願いすると、なぜか空手まで教えられちゃって。「受け身を教えるから、空手もやれ」と。
――前川さんの蹴り主体のファイトスタイルは、そこが源流だったんですね。
前川 高校は女子校だったんですけど、その空手部もウチらが入ったとき立ち上げられて、1年生で愛好会、2年生で同好会、3年生で部に昇格したんですよね。県大会で勝って関東大会に行ったりもしていたんですけど、ウチらが卒業してからその先生も他の学校に移っちゃったんで、そのまま空手部も廃部になってしまったんです。
――じゃあ、前川さんのためにあったような部活じゃないですか。
前川 どうなんでしょう(笑)。部員もけっこういたんですけどね。
――高3で全女に合格したときは相当うれしかったでしょうね。
前川 うれしかったけど、そこからがしんどかったですね……。練習のツラさではなく、先輩の理不尽さが。
――全女が過酷な世界だってことは、あらかじめわかってなかったんですか?
前川 いや、全然です。同期は一般で入った私と違って、ほとんどが練習生あがりだから多少は知っていたかもしれないですけど。
――練習生は一般オーディションとはまた違う入り方があるということですか?
前川 当時の全女は練習生というシステムがあって、月謝を払ってスポーツジムに通うみたいな感覚で全女の道場に通う人がいたんです。その子たちも最終的には一緒にオーディションに参加するので、受かるかどうかはわからないんですけどね。ただ、練習生の人たちはオーディションの流れもわかっているし、態度がデカいから「ああ、あの人たちは練習生なんだろうな」というのはすぐにわかりましたけど。
――「私はオーディションの連中とは違うんだ」という雰囲気を出すんですね。
前川 でも、練習生あがりの人たちもけっこう複雑な面があって。たとえば、貴子さんは下田さんよりも後輩なんですけど、練習生でいったら貴子さんのほうが先輩らしいんですよ。でも、貴子さんがオーディションに受かったとき、もう下田さんは全女に入っているわけで、全女のキャリアでは先輩になるという。
――もうわけがわかりません!(笑)。入門当時の1日のスケジュールというはどういう感じですか?
前川 まず、9時から全女ビルの掃除、10時からは事務所の手伝いか、全女が運営していたレストラン『SUN賊』でのお手伝い。さっき言った練習生を教えるのも新人の役目なんですけど、その当番の子は16時か17時ぐらいから指導します。自分らの練習はそれが終わった18時ぐらいからですね。
――事務所番というのは何をやるんですか?
前川 ファンクラブの会報を郵便局から発送したり、あとは通販モノの発送手配をやったり。本当は、新人は朝9時前に朝練をしないといけないんですけど、忙しすぎてそんなのやってるヒマはなかったですね。
――当時は『SUN賊』も忙しかったんですよね。
前川 『SUN賊』のお客さんは多かったです。ファンもいましたけど、一般のお客さんが多かったですね。全女ビルってちょうどオフィス街にあるので、サラリーマンが普通に食べにきてましたし。グッチャグチャになるぐらい混むときもあって、そこで忙しくしてると「私、ここで何やってんだろう……」みたいな。基本給6万円ぐらいをもらってやってましたね。
――あとの収入は試合給ですか。
前川 試合給といっても、プロテストに受かるまではお金はもらえないんですよ。プロテストに受かったら基本給が7万円になって試合ができるんですけど、1試合1500円、勝ったら2000円とかだったかな。そういう時代ですね。
――プロテストはどんなことをやるんですか?
前川 基礎体力、ブリッジ、受け身です。あとはスパーリングをやったりもするんですけど、つまりは会社が「この子はもう試合をさせて大丈夫か」を見極めるテストですよね。
――となると、全女に入ってもプロテストに受からない人もいたんですか?
前川 ウチらの代はいなかったかな。でも、受からない人はいますよ。受からなかったらその下の代に落とされるんです。たとえば、一個上に鳥巣朱美という子がいたんですけど、鳥巣も落とされてウチらと同期になりましたね。
――高校でいえば、ダブった先輩みたいなもんですね。
前川 そうです。でも、前年に入った人だというのはウチらもわかっているから、最初は「鳥巣さん」なんて呼んでいると、「なんで、“さん”づけで呼んでるんだ!」と先輩に怒られるという。本人も1年ぶんの経験があるもんだから、いろんなことを言ってくるんですよね。そうなると、ウチらも「おまえ、落ちたクセにうるせえな!」とかケンカになってましたね(笑)。
――同期でもケンカは絶えないわけですね(笑)。
前川 絶えない、絶えない。殴り合いをしている代もあったんじゃないですかね。
――夜の練習は先輩方も一緒なんですか?
前川 先輩方はみんな巡業に行ってるので、道場にはいないです。でも、日帰りのときは先輩たちが帰ってくるのを待ってないといけないから、練習が終わっても寝ちゃいけないんですよ。しかも、プロテストに受かってない子は道場では待てないんです。寮で先輩たちが帰るのを起きて待ってないといけなくて。しかも、プロテストに受からないと、先輩の備品とかにもいっさい触れないんですよ。
――そんなルールがあるんですか(笑)。
前川 変でしょ? だから、先輩が帰ってくるのを見計らって道場を開けておくんですけど、先輩が到着しても荷物には触れないから、ただ寮で起きて待ってるだけで。先輩が道場を締めて鍵を寮に持ってくるんですけど、鍵を持ってくるときに先輩が階段を上りはじめたら、ウチらが階段を降りて鍵を取りに行かないといけないという。
――はー、それは毎日気が休まらないでしょうねえ。
前川 先輩たちが巡業で帰ってこなかったら、夜は21時頃まで練習してスエットのまま渋谷に遊びにいったりもできたんですけど、どこでファンに見られているかわからないし、ファンに見られると全部先輩にチクられるんですよね。
――うわっ、親衛隊たちが見張っているんですか!?(笑)。
前川 ファンはすぐチクるんですよ。たとえば、基本的に全女では先輩を見下ろす行為というのはダメだったんです。
――見下ろす行為?
前川 あるとき、先輩が帰ってくるところをたまたま屋上から見下ろしていたら、それもチクられましたね。出待ちしていたファンの子が「誰々が上から見下ろしてたよ!」って。
――文化大革命の密告もビックリですよ(笑)。ファンもその選手が好きだから、気に入られたいがあまりチクるんでしょうね。
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・全女の最終興行……15000字記事はまだまだ続く
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