80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはキラー・カーン伝説を語り継ぐです!
Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
■日本の女子プロレス文化のアメリカ的解釈『Sukeban』と『Kitsune』
■2010年代を駆け抜けたスーパースター、ブレイ・ワイアット
――今回のテーマは先日お亡くなりになった「蒙古の怪人」ことキラー・カーンさんです。フミさん、よろしくお願いします。
フミ よろしくお願いします。キラー・カーンさんのことは名前は知っていても、実際に試合を見たことのあるプロレスファンは少なくなっていますよね。引退試合をせずリングを降りたのは1987年のことですからもう37年前。いま40代後半、50代のプロレスファンでも当時は小学生か中学生です。遠い遠い記憶になっていると思うんです。
――もはや伝説のレスラーですね。
フミ それでも多くの方がカーンさんのことを知っているのは、現役引退後ずっとつづけてきた飲食店の存在が大きい。まず新宿の中井でスナックを始めて、西新宿、綾瀬、新宿・歌舞伎町、新大久保と転々として、最後のお店となった西新宿の店舗は「カンちゃんの人情酒場」。そこで営業中に倒れて、そのまま亡くなられた。試合は見たことがなくても、お店でカーンさんに接したファンは多かった。スーパーヘビー級の体格、風貌から髪型まで何から何まで現役時代のイメージのままでした。
――引退後もずっとプロレスファンの目の前にい続けたわけですね。歌舞伎町での遭遇率は高かったですよ。ボクなんて麻雀を打ちに行ったときに1週間連続で見かけたことがありましたから(笑)。
フミ チャリンコのカゴに白菜とか野菜類を積んでそのへんを走っていましたね。タレント・芸能人が経営するお店は、実際に足を運んでもその本人はまずいないというパターンが多いけれど、カーンさんの居酒屋に行くと必ず本人がそこいた。自分でメモを取りながらオーダーを聞いてくれて、食べ物をテーブルまで運んできてくれる。お相撲出身だから、ちゃんこはおいしかったし、日替わりのお魚のメニューも人情たっぷりで、かつてお店の常連だった尾崎豊さんが愛したカレーライスが名物だった。話が弾むと横に座ってくれて一緒に飲みながら昭和の新日本プロレス黄金期のお話をしてくれた。カーンさんの携帯はスマホじゃなくてガラケーだったんですが、機嫌がいいときはガラケーからカラオケのサイトにアクセスして、伴奏つきの生声で演歌を歌ってくれることもありました。2017年から2020年の4年くらいですか、ボクは大晦日の夜はキラー・カーンさんのお店で過ごしました。その日はメニューにはない年越しそばを出してくれました。
――居酒屋キラー・カーンを堪能していたわけですね。
フミ 晩年はYouTubeで坂口(征二)さんや新間(寿)さんたちの悪口を言っている動画ばかりがクローズアップされがちだったけれど、ボクが知っていたカーンさんは中年のプロレスファンの方たちとおしゃべりするのが好きな居酒屋のご主人でしたね。終戦から2年後の1947年(昭和22年)生まれで享年76。新潟の高校には1年生のときまで通って、バスケットボールをやっていたそうです。
――身長190センチ超えですからバスケは似合いそうですよね。
フミ 高校中退後、大相撲の春日野部屋に入門したのが1963年。お相撲をやめたのが70年の春場所後ですから、7年くらいお相撲をやっていた。最高位幕下40枚目ということは十両目前だったのでしょう。それから71年に日本プロレスに入門。当時の日本プロレスはジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さん、大木金太郎さん、坂口征二さんらがトップだった時代。カーンさんのコーチは吉村道明さん。吉村さんは猪木さん、大木さん、坂口さんらをパートナーにアジアタッグ王座を何度も保持したアジアタッグの“生き証人”みたいな存在ですね。
――火の玉小僧と呼ばれ、回転エビ固めが代名詞だった吉村道明ですね。
フミ なぜ吉村さんの話をしたのかというと、ボクがカーンさんの試合を初めて会場で見たのは小学6年生のときで、そのときはまだ若手で本名の小澤正志としてリングに上っていたんですが、その日、カーンさんは前座のバトルロイヤルで正面飛びのドロップキックをやっていた。いまのドロップキックって横飛びが主流ですよね。カーンさんはあの巨体で助走つきの正面飛びのドロップキックをやっていて、それが強くに印象が残っていて、お店に行ったときにその話をしたら「よく知ってるねえ、あれは吉村さんに習ったんだよ」とすごく嬉しそうに話してくれました。
――あの巨体で宙を飛ぶんですから印象に残りますよね。
フミ カーンさんは日プロの崩壊にも関わった。坂口さん主導で、日本プロレスが当時旗揚げ2年目だった新日本プロレスと合併して新団体に模様替えするというプランがあって、実際に記者会見まで開いた。ところが、大木金太郎さんの選手会が「日プロを造反したアントニオ猪木と再び交わることはない」と反対したことでこの計画は幻に終わった。それでも、坂口さんは「自分は猪木さんと約束したので新日本に行きますよ」とこれを実行して、テレビ朝日(当時NET)の放映契約の内諾とともにプランどおり新日本に移籍した。
――テレビ朝日は日プロを放映してましたが、凋落気味だった日プロを見限って新日本に乗り換えたわけですね。
フミ そのとき坂口さんと共に新日本に移籍した日プロの若手3人が木村聖裔ことのちの木村健悟さん、大城大五郎、そしてカーンさんだったんです。坂口さんグループ4人が合流後、現在も続く新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』中継がスタートして、日本プロレスはそれから2ヵ月後の73年5月にあっさり崩壊した。もしあそこで新日本に移籍しなかったら、カーンさんのプロレス人生もだいぶ変わったものになっていたでしょうね。
――先日木戸修さんも亡くなりましたし、日本プロレス出身レスラーでご存命なのはグレート小鹿さん、北沢幹之さん、木村健悟さんの3人だけですかね。
フミ あと新弟子だった藤波辰爾さん。新日本所属となったカーンさんはその藤波さんと第1回カール・ゴッチ杯(74年)の決勝戦を争った。カール・ゴッチ杯はのちの新日本のヤングライオン杯のモチーフとなる若手の総当たりリーグ戦。優勝した藤波さんはヨーロッパ遠征に行って、メキシコ、フロリダからノースカロライナ、ニューヨークを回ってWWFジュニアヘビー級王者として凱旋帰国する。アナログレコードに例えれば、つねにA面の活躍をしていたのが若き日の藤波辰己で、B面はキラー・カーンに変身してアメリカで大ブレイクした小澤正志ということになるのでしょう。カーンさんは77年夏にまずメキシコでテムジン・モンゴルというキラー・カーンの原型になる蒙古キャラに変身します。これはちょっと意外だけれど、メキシコでカーンさんを待っていたカール・ゴッチ先生がつけたリングネームだったんです。
――素晴らしいネーミングセンスですよ!
フミ テムジンはモンゴル帝国皇帝チンギス・カンの幼名。テムジンとモンゴルを繋げたリングネームですね。メキシコではいきなり“仮面貴族”ミル・マスカラスのIWA世界王座に挑戦するくらいの番付で、若手の武者修行というよりはメインイベンターの海外ツアーのような扱いだった。メキシコ遠征後はNWAの激戦地といわれたフロリダに転戦。ヒールのトップのポジションで、当時大スターだったダスティ・ローデス、ジャック・ブリスコらと対戦するメインイベンターになった。キラー・カーンに変身したのがこのフロリダ時代だった。猪木さんと闘った“韓国の巨人”パク・ソンとのコンビでタッグ王座も獲りましたね。身体が大きいだけじゃなくて、よく動けて、アメリカでウケる怪奇派ヒール。天山広吉、グレート-O-カーンが継承したモンゴリアン・チョップの元祖はカーンさんです。日本人だけどモンゴル人キャラのカーンさんが編み出したことから「モンゴリアン・チョップ」なる名称として定着したという事実はちゃんと歴史に残すべきですね。
――桜庭和志さんもMMAで使っていたくらい誰もが影響を受けた技だった。
フミ アメリカ各地で超売れっ子になったカーンさんは、小澤正志ではなくてキラー・カーンのキャラのまま81年3月に一旦帰国します。そのときにはシンディ夫人、アメリカ人の奥さんがいっしょに来て、乳母車に乗った長女のユキエさんも一緒だった。ユキエさんはカーンさんのお葬式で喪主を務めるため40数年ぶりに来日しましたね。
■「新日本ワールド」試合映像拒否
■全米熱狂のアンドレ・ザ・ジャイアント戦
■頑固おやじのボヤキ芸
■いまだミステリアスな引退理由を推測する
■盟友ハルク・ホーガン……1万字インタビューはまだまだ続く
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コメント
貴重なお話、ありがとうございました!
味のあるいいお話でした。今年になったら友達とはじめてお店にいくつもりだったのですけど、それはかなわないものになってしまいました。ご冥福をお祈り申し上げます。
>日本プロレス出身レスラーでご存命
まだカブキさんも存命だし、百田光雄さん、佐藤昭雄さんも存命ですよ〜
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