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齋藤彰俊
インタビュー第6弾は令和に“昭和”なプロレスラーたちはどう生きるかです!(聞き手/ジャン斉藤)



①「名古屋の街の風紀を正していた高校時代」



――
彰俊さんがお世話になっているザ・グレート・カブキさんの居酒屋が12月に閉められることになりました。

彰俊 自分もそういうふうにお聞きしてまして。カブキ師匠は出勤する日を調整しながらお店に出られてるんですよね。たしか週3~4だったと思うんですね。

――
カブキさんは75歳。閉店理由は体調的な理由もあるそうですね。彰俊さんが東京に来られたときは、カブキさんのお店に泊まられていたんですよね。

彰俊 はい、お店の2階です。あそこはもともとカブキさんの奥さんの実家だったらしくて、2階は住居だったんです。カブキさんのご自宅はべつにあるので、自分が東京に来たときは使わせていただいて。

――
そこは自由にしていいと。

彰俊 「店の鍵を持ってろ」とおっしゃっていただいたんですけど、何かあると迷惑がかかるので。お世話になるときだけ連絡を入れておじゃましています。お店が終わったあとはカブキ師匠とちょっとお酒を飲ませていただいて、師匠はご自宅に帰って、自分は階段を登って(笑)。2階で寝ていると、昼頃から1階で師匠が仕込まれている音が聞こえてくるんですね。で、夜遅くまでお店をやってますから。

――
なかなかハードな仕事ですよね。彰俊さんとカブキさんとの繋がりは平成維震軍のときですよね。

彰俊
 そうですよね。維震軍のときに、いちばん飲みに行ってたのはカブキ師匠だったので。前にもお話したと思うんですけど、越中(詩郎)さんからは「カブキさんとは絶対に飲みに行くな」って注意されてたんですよ(笑)。

――
その理由はカブキさんが酔うと怖いから(笑)。

彰俊
 はい、師匠の目が座ったときは危ないですね(笑)。自分と飲むときはどちらかというとちょっと面白い話に発展することが多くて、あんまりエキサイティングな感じにならないですけどね。覚えてるのは北海道巡業のときに、転々する居酒屋を次から次に移って、ビール1杯飲んだら「次に行くぞ」と。お酒の量というよりも、炭酸が抜けなくて困りましたね(笑)。

――
アルコールじゃなくて炭酸がキツイと(笑)。

彰俊
 師匠もお酒が強いので、昔は朝までよく飲みました。翌日の巡業バスの中でちょっと寝ようとすると「彰俊、いま何時だ?」って聞いてくるんです。で、またうつらうつらすると「彰俊、いまだ何時?」って(笑)。

――時間がわからないわけがないですよ(笑)。

彰俊
 そこはプロレスラーは朝まで飲んだくらいじゃ、へこたれるもんじゃないぞとってことですね。いまのアスリートタイプのプロレスラーとは違って、昭和のプロレスラーのあるべき姿っていうんですかね。プロレスラーはいついかなるときでも強くなくてはいけないと。その教えがすごくプラスになってますし、自分自身もプロレスラーにはそういう強いイメージを持っていたので。

――
カブキさんは相撲社会のしきたりが強い日本プロレス出身ですもんね。怒らせたら怖いですし。

彰俊
 自分はそんなに怒られたことはないんですが、覚えてるのは大田区体育館で昭和維新軍と平成維新軍がお互いの存続を懸けて……みたいな試合があって。自分たちが勝ったから、会場の外でマスコミを集めて昭和維新軍の旗を燃やすことになったんです。自分が旗にアルコールをかけて、師匠が火をつけたんですけど、アルコールをチョロチョロしかかけなかったから、そんなに燃えなかったんですよね。そうしたら師匠が「バカヤロー! もっとかけろ!」ってアルコールをぶっかけたら、火が一気に燃え上がって「バカヤロー! 早く消せ!!」ってものすごい勢いで怒られましたね(笑)。

――彰俊さんは悪くないじゃないですか!(笑)。カブキさんとは世代差があるのに維新軍の絆がいまでも続いているのはいい話です。

彰俊
 やっぱり平成維震軍の中ではいちばん話をしていたとは思います。ちなみに師匠はお酒を一日も欠かしていないはずなんですよ(笑)。

――
日プロ時代から飲みっぱなしかもしれない(笑)。

彰俊
 休肝日がなかったはずですね。お店でも、ある程度料理が出たりするとお客さんと一緒に飲んだり。師匠は基本、芋焼酎ですね。

――彰俊さんに休肝日はあるんですか?
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