非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part109大好評記事15本16万字で600円!!(税込み)
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part109
◎「PRIDEのテーマ」を使った理由■RIZIN演出統括・佐藤大輔
◎NARIAGARI皇治 人生の成功者インタビュー
◎【ヤバイだろ】梅野源治「職人のままで終わりたくなかった」
◎“平成のブレイキングダウン”地下格闘技とは何だったのか? 佐野哲也
◎堀江圭功「すべてをさらけ出して強くなった!」
◎清宮海斗の「顔面蹴り」と「平和ボケ」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
◎“最後の側近”甘井もとゆきが語るアントニオ猪木&ズッコ夫妻
◎ジェイ・ブリスコよ、安らかに眠れ…追悼番組を巡るAEWの献身と戦い
◎中村倫也「修斗、レスリング、PRIDEがUFCに連れて行ってくれた」
◎井上直樹、RIZINとの契約残り1試合■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
◎キックとスキャンダル、プロモーター論■KNOCK OUT 宮田充プロデューサー
◎「大沢ケンジvsジョビン」論争に微妙に巻き込まれた水垣偉弥
◎WWE身売り説とSNS情報の暴走■「斎藤文彦INTERVIEWS」
◎ぱんちゃんの復帰は甘いのか/那須川天心はメインイベントにすべきか
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アントニオ猪木のマネージャーを務めた甘井もとゆきインタビュー!! 16000字でお届けまします!(聞き手/ジャン斉藤)
――甘井さんは2022年7月まで猪木さんのマネージャーをされていました。いわば猪木さん最後の側近というか。
――甘井さんは猪木さんの奥さんのズッコさん(田鶴子)とも長いお付き合いがあって。
甘井 はい。ズッコさんは昔はTBSのカメラマンをやられていて。お仕事を何回かするようになって。のちにズッコさんが六本木でやられるお店にも通わせていただきました。
――猪木さんは22年8月から、かつてIGFを一緒にやっていた方々がマネジメントすることになったんですが、その直後の10月1日にお亡くなりになるという。
甘井 会長にしたらね、生きてるうちに全部片付けたかったんでしょうね。報道されているので皆さん知ってると思うんですけど……。
――旧IGFとは裁判で争っていましたね。亡くなる直前に和解して、再び一緒にやっていこうと。
甘井 そういうものを残さずに全部片付けていきたいというのが会長の希望だったと思うんです。結局裁判というものは当事者が亡くなったとしても引き継いだり、残ったりするじゃないですか。相続に関してもそこはネックになってきたりするんで。会長は娘さんやお子さんに迷惑のかかることは避けたいと思われたんじゃないかな、と。
――生きているうちに和解しようと。
甘井 会長は歳を取って体調も悪くなっていった中で、海外に住んでいるお子さんたちに会いたがっていたんですよね。寛子さん(倍賞美津子の長女)とよく電話していたので、寛子さんに来日のお願いを打診したことがあったんですけど、ちょうどコロナと重なったり、いろんな事情があって難しかったんですよ。会長は娘さんや息子さんに会いたかった思いが強かったです。
――息子さんもアメリカですもんね。猪木さんが旧IGFに戻られることで甘井さんはマネージャーではなくなったわけですけど、その寂しさは……。
甘井 当然ありました。やっぱり寂しいのは寂しかったですけど、まあ会長が決められたことなんでね。
――その件に関して、猪木さんと何かお話はされたんですか?
甘井 いろいろと話はしました。けど「もう俺が決めたことだから」と。会長が1回決まっちゃうと、頑固なんですよね。あとはやっぱり会長は昔から何事も見切り発車で始まって、走りながらかたちにしていく方なんで。
――闘病生活中の猪木さんをずっと支えていたのはズッコさんや甘井さんでしたよね。
甘井 いちばん大変だったのは奥さんだと思います。ズッコさんのことでボクがちょっと寂しいのは、元・奥さんの倍賞さんは女優さんですし、会長とのあいだには娘さんもいます。会長のいちばんいい時期を支えたのは倍賞さんだみたいなことを書かれちゃいますよね。でも、やっぱりいろんな時期の会長がいて、会長の晩年を本当に支えたのはズッコさんだと思います。会長がよく言われてましたけど、ズッコさんは自分の寿命を削って、会長を長生きさせるために全力を尽くしてましたね。
――旧IGFとの裁判が和解されたのは、当事者のひとりだったズッコさんが亡くなったこともひとつの理由としてあるんですか?
甘井 それまでは弁護士を立ててね、お互い直接会うこともなかったんです。けど、ズッコさんが亡くなられてから、向こうの方と会う機会も増えていったんです。まあ、猪木さんの場合は、こうと決めたら止まらないですから。
――周りからすると本当にびっくりすることが多かったんでしょうね。
甘井 会長自ら「猪木の常識、非常識」って言われてますから(笑)。会長って逆張りするのが好きなんですよ。ひとつ感心したのが「俺が逆張りばっかりしてると思うけど、そこは感性は大事なんだよ。みんながみんながこっちだ、こっちだって発していたら、どうなるのか。戦争が起きちゃうんだよ。だから誰かが逆に張っていないとダメなんだよ」ってことはよく言われてます。あれだけ非難されても北朝鮮の外交にこだわっていた会長はすごいと思いますね。たぶん猪木会長が訪朝して、現地の映像なんかを持ち帰っていなかったら、北朝鮮って軍事パレードだけのイメージですよね。そういう意味では平和の役に立ってたんだなと思います。
――猪木さんは独裁国家や共産圏といった日本と繋がりの薄い国と交流を図ってましたね。旧ソ連やキューバ、そして北朝鮮と。
甘井 キューバはね、IGFで計画していた興行をやってほしかったですね。あれはウルティモ・ドラゴンさんのサポートでやろうとしてたんです。キューバがアメリカと国交回復した頃に、ローリング・ストーンズの120万人コンサートが実現するんですけど。もしプロレスもやれたら、それに匹敵するような話題性はあったと思うんですけどね。会長はそういうのが大好きじゃないですか。
――とにかくあっと驚かせるのが猪木さんのやり方で。
甘井 誰かにボールを投げ続けたい方ですよね。会長をコントロールしようとするとすごくつまらないんです。やっぱり会長に自由にやってもらったほうが圧倒的に面白いし、会長に「これはダメですよ」って繰り返すと絶対にやるんですよ(笑)。
――「押すなよ!押すなよ!!」の精神ですか(笑)。
甘井 そこは茶目っ気があるんですけど、ズッコさんにも言われたんですよ。「会長にこれはダメですよってしつこく言うと、絶対やっちゃうわよ」って。
――PRIDEのときも「何か言うように頼まれたんですが、忘れてしまいました!」とか言い出す人ですよね(笑)。そこはセオリー通りにはいかないというか。
甘井 こんなこと言ったらいいのか悪いかわからないですけど、昭和のプロレスラーって狂ってる部分もすごいあったと思うんですよ。狂気をはらんでいるというか。そういった会長と向き合ったのは中邑(真輔)選手が最後ですよね。
――最近よく猪木さんの名前を出すオカダ・カズチカは、そういうアントニオ猪木を知らないですよね・
甘井 会長もオカダ・カズチカ選手のことはよく知らないんですよ。オカダ選手は、会長が中邑選手や棚橋弘至選手と絡んだときのこと、知らないはずですよね。新日本が割れて、どれだけ大変だったとかも。そのへんで苦労した人たちは、会長と関わることはタブーでしたよねぇ。2017年にISMという大会を後楽園ホールでやったんですよ。ボクの友人が新日本オーナーの木谷(秀明)さんと知り合いだったもので、お会いすることになって。木谷さんに議員会館まで来ていただいたときに「ISMという大会をやりたいんで、新日本に協力してほしい。誰か選手を出してもらえないですか?」とお願いしたら、当時新日本所属だった北村(克哉)選手の名前があがって。
――先日急逝された北村選手。
甘井 木谷さんは「北村選手だったらスタイル的にも合うんじゃないか。でもボクの一存で決められないんで、会社に戻って役員会で通してみます」という話だったんですけど。次に会ったときに「ごめんなさい。役員会にかけたら賛成したのがボクとタイガー服部の2人だけでした」と(苦笑)。
――異常なアントン・アレルギー!(笑)。
甘井 それからしばらくしてオカダ選手が会長の名前を出したときがあったじゃないですか。
――2020年2月の札幌大会のリング上ですね。「気になっている人」ということで突然猪木さんの名前を出しました。
甘井 そのすぐあとに新日本からボクのところに電話がかかってきて、オカダ選手が会長の名前を出してしまったと。ボクらの世界ってそういうことを根回しなしにやらないですよね。それでこっちが反応しなかったら、会長は言われ損になっちゃいますし。
――そもそも新日本は猪木さんと絡みたくなかったのに。
甘井 なにかしら落としどころをつくるというか、コール・アンド・レスポンスがあるような感じにはしたいということで、結局Numberで会長とオカダ選手が対談することになったんですけどね。あのへんから面白いことになったんですよ。Numberの対談のあとに、YouTubeで新日本の同窓会みたいな会があったじゃないですか。
――宮戸優光さんの「ちゃんこの台所」に猪木さん、坂口征二さん、長州力さん、藤原喜明さん、小林邦昭さん、栗栖正伸さん、木村健悟さん、新倉史祐さん、北沢幹之さん、ヒロ斎藤さんが勢揃いした。
甘井 あのとき、じつは坂口さんが棚橋選手を連れてきたんです。でも、写真を撮るにしても棚橋選手が写っているものはネットにはあげちゃダメと。来ていることは隠すことになって。
――どうしてですか?
甘井 これはあくまでボクの考えですけど、オカダ選手は新日本の中でも反体制派なんですかね。急に猪木さんの名前を出すくらいですから。
――とくに猪木さんを敬遠していない木谷さん寄りかもですね。
甘井 オカダ選手が猪木さんに接近したから、今度は棚橋選手が……ってバランスを取ってるのかなって思っちゃいました。
――あー、なるほど。でも、あんまり大事にはしたくないと。
甘井 そういうことです。猪木さんの存在ってある意味で毒なんですけど、独占されるのはちょっと困るのかもしれないってことですね。やっぱり会長くらい大物になると政治色が強くなるんだと思います。で、棚橋選手が収まった記念写真を1枚だけ撮ったんですけど、それだけは公開しちゃダメだという話だったのに、長州さんがツイッターに上げてしまって(笑)。
――ハハハハハハ!
甘井 『ワールドプロレスリング』の方が選手を集めてくれたんですけど、ほとんどの団体の選手が来ましたよ。前田(日明)さん、長州さん、武藤さん、坂口さん、あとノアや全日本からも来ました。撮影禁止なんですけど、じつはある選手がこっそり写真を撮ってたんですよ(笑)。猪木会長と前田さんとオカダ選手の写真かな。
甘井 『ワールドプロレスリング』の方は「いまになれば集合写真を撮っておけばよかったですね」っていうくらい豪華な顔触れでした。会長とオカダ選手を席移動で隣同士にする段取りだったんですけど、前田さんが酔っぱらって、そのあいだに入っちゃったりして(笑)。
――前田さんらしいですね(笑)。甘井さんがマネージャーをやられてる頃から、新日本と交流が解禁された感じですよね。
甘井 服部さんやライガーさんが引退するときに会長がビデオメッセージを送ったり。会長ははっきりしてるんですよね。絡みがあったら「いいよ」と。服部さんやライガーさんとはリングで絡んでるから、全然いいんですけど。中西学さん引退のときにメッセージをお願いされたときは「俺、アイツとは当たってないんだよな……」って。実際には当たってるかもしれないけど覚えてない。だから何も言えないんですよ。
――機械的にメッセージを送ることはよしとしない。
アントニオ猪木のマネージャーを務めた甘井もとゆきインタビュー!! 16000字でお届けまします!(聞き手/ジャン斉藤)
――甘井さんは2022年7月まで猪木さんのマネージャーをされていました。いわば猪木さん最後の側近というか。
甘井 私が会長のマネージャーを務めさせていただいたのは、2017年の6月から2022年の7月までの5年間ですね。その前から会長とは繋がりはあったんですけどね。
――甘井さんは猪木さんの奥さんのズッコさん(田鶴子)とも長いお付き合いがあって。
甘井 はい。ズッコさんは昔はTBSのカメラマンをやられていて。お仕事を何回かするようになって。のちにズッコさんが六本木でやられるお店にも通わせていただきました。
――猪木さんは22年8月から、かつてIGFを一緒にやっていた方々がマネジメントすることになったんですが、その直後の10月1日にお亡くなりになるという。
甘井 会長にしたらね、生きてるうちに全部片付けたかったんでしょうね。報道されているので皆さん知ってると思うんですけど……。
――旧IGFとは裁判で争っていましたね。亡くなる直前に和解して、再び一緒にやっていこうと。
甘井 そういうものを残さずに全部片付けていきたいというのが会長の希望だったと思うんです。結局裁判というものは当事者が亡くなったとしても引き継いだり、残ったりするじゃないですか。相続に関してもそこはネックになってきたりするんで。会長は娘さんやお子さんに迷惑のかかることは避けたいと思われたんじゃないかな、と。
――生きているうちに和解しようと。
甘井 会長は歳を取って体調も悪くなっていった中で、海外に住んでいるお子さんたちに会いたがっていたんですよね。寛子さん(倍賞美津子の長女)とよく電話していたので、寛子さんに来日のお願いを打診したことがあったんですけど、ちょうどコロナと重なったり、いろんな事情があって難しかったんですよ。会長は娘さんや息子さんに会いたかった思いが強かったです。
――息子さんもアメリカですもんね。猪木さんが旧IGFに戻られることで甘井さんはマネージャーではなくなったわけですけど、その寂しさは……。
甘井 当然ありました。やっぱり寂しいのは寂しかったですけど、まあ会長が決められたことなんでね。
――その件に関して、猪木さんと何かお話はされたんですか?
甘井 いろいろと話はしました。けど「もう俺が決めたことだから」と。会長が1回決まっちゃうと、頑固なんですよね。あとはやっぱり会長は昔から何事も見切り発車で始まって、走りながらかたちにしていく方なんで。
――闘病生活中の猪木さんをずっと支えていたのはズッコさんや甘井さんでしたよね。
甘井 いちばん大変だったのは奥さんだと思います。ズッコさんのことでボクがちょっと寂しいのは、元・奥さんの倍賞さんは女優さんですし、会長とのあいだには娘さんもいます。会長のいちばんいい時期を支えたのは倍賞さんだみたいなことを書かれちゃいますよね。でも、やっぱりいろんな時期の会長がいて、会長の晩年を本当に支えたのはズッコさんだと思います。会長がよく言われてましたけど、ズッコさんは自分の寿命を削って、会長を長生きさせるために全力を尽くしてましたね。
――旧IGFとの裁判が和解されたのは、当事者のひとりだったズッコさんが亡くなったこともひとつの理由としてあるんですか?
甘井 それまでは弁護士を立ててね、お互い直接会うこともなかったんです。けど、ズッコさんが亡くなられてから、向こうの方と会う機会も増えていったんです。まあ、猪木さんの場合は、こうと決めたら止まらないですから。
――周りからすると本当にびっくりすることが多かったんでしょうね。
甘井 会長自ら「猪木の常識、非常識」って言われてますから(笑)。会長って逆張りするのが好きなんですよ。ひとつ感心したのが「俺が逆張りばっかりしてると思うけど、そこは感性は大事なんだよ。みんながみんながこっちだ、こっちだって発していたら、どうなるのか。戦争が起きちゃうんだよ。だから誰かが逆に張っていないとダメなんだよ」ってことはよく言われてます。あれだけ非難されても北朝鮮の外交にこだわっていた会長はすごいと思いますね。たぶん猪木会長が訪朝して、現地の映像なんかを持ち帰っていなかったら、北朝鮮って軍事パレードだけのイメージですよね。そういう意味では平和の役に立ってたんだなと思います。
――猪木さんは独裁国家や共産圏といった日本と繋がりの薄い国と交流を図ってましたね。旧ソ連やキューバ、そして北朝鮮と。
甘井 キューバはね、IGFで計画していた興行をやってほしかったですね。あれはウルティモ・ドラゴンさんのサポートでやろうとしてたんです。キューバがアメリカと国交回復した頃に、ローリング・ストーンズの120万人コンサートが実現するんですけど。もしプロレスもやれたら、それに匹敵するような話題性はあったと思うんですけどね。会長はそういうのが大好きじゃないですか。
――とにかくあっと驚かせるのが猪木さんのやり方で。
甘井 誰かにボールを投げ続けたい方ですよね。会長をコントロールしようとするとすごくつまらないんです。やっぱり会長に自由にやってもらったほうが圧倒的に面白いし、会長に「これはダメですよ」って繰り返すと絶対にやるんですよ(笑)。
――「押すなよ!押すなよ!!」の精神ですか(笑)。
甘井 そこは茶目っ気があるんですけど、ズッコさんにも言われたんですよ。「会長にこれはダメですよってしつこく言うと、絶対やっちゃうわよ」って。
――PRIDEのときも「何か言うように頼まれたんですが、忘れてしまいました!」とか言い出す人ですよね(笑)。そこはセオリー通りにはいかないというか。
甘井 こんなこと言ったらいいのか悪いかわからないですけど、昭和のプロレスラーって狂ってる部分もすごいあったと思うんですよ。狂気をはらんでいるというか。そういった会長と向き合ったのは中邑(真輔)選手が最後ですよね。
――最近よく猪木さんの名前を出すオカダ・カズチカは、そういうアントニオ猪木を知らないですよね・
甘井 会長もオカダ・カズチカ選手のことはよく知らないんですよ。オカダ選手は、会長が中邑選手や棚橋弘至選手と絡んだときのこと、知らないはずですよね。新日本が割れて、どれだけ大変だったとかも。そのへんで苦労した人たちは、会長と関わることはタブーでしたよねぇ。2017年にISMという大会を後楽園ホールでやったんですよ。ボクの友人が新日本オーナーの木谷(秀明)さんと知り合いだったもので、お会いすることになって。木谷さんに議員会館まで来ていただいたときに「ISMという大会をやりたいんで、新日本に協力してほしい。誰か選手を出してもらえないですか?」とお願いしたら、当時新日本所属だった北村(克哉)選手の名前があがって。
――先日急逝された北村選手。
甘井 木谷さんは「北村選手だったらスタイル的にも合うんじゃないか。でもボクの一存で決められないんで、会社に戻って役員会で通してみます」という話だったんですけど。次に会ったときに「ごめんなさい。役員会にかけたら賛成したのがボクとタイガー服部の2人だけでした」と(苦笑)。
――異常なアントン・アレルギー!(笑)。
甘井 それからしばらくしてオカダ選手が会長の名前を出したときがあったじゃないですか。
――2020年2月の札幌大会のリング上ですね。「気になっている人」ということで突然猪木さんの名前を出しました。
甘井 そのすぐあとに新日本からボクのところに電話がかかってきて、オカダ選手が会長の名前を出してしまったと。ボクらの世界ってそういうことを根回しなしにやらないですよね。それでこっちが反応しなかったら、会長は言われ損になっちゃいますし。
――そもそも新日本は猪木さんと絡みたくなかったのに。
甘井 なにかしら落としどころをつくるというか、コール・アンド・レスポンスがあるような感じにはしたいということで、結局Numberで会長とオカダ選手が対談することになったんですけどね。あのへんから面白いことになったんですよ。Numberの対談のあとに、YouTubeで新日本の同窓会みたいな会があったじゃないですか。
――宮戸優光さんの「ちゃんこの台所」に猪木さん、坂口征二さん、長州力さん、藤原喜明さん、小林邦昭さん、栗栖正伸さん、木村健悟さん、新倉史祐さん、北沢幹之さん、ヒロ斎藤さんが勢揃いした。
甘井 あのとき、じつは坂口さんが棚橋選手を連れてきたんです。でも、写真を撮るにしても棚橋選手が写っているものはネットにはあげちゃダメと。来ていることは隠すことになって。
――どうしてですか?
甘井 これはあくまでボクの考えですけど、オカダ選手は新日本の中でも反体制派なんですかね。急に猪木さんの名前を出すくらいですから。
――とくに猪木さんを敬遠していない木谷さん寄りかもですね。
甘井 オカダ選手が猪木さんに接近したから、今度は棚橋選手が……ってバランスを取ってるのかなって思っちゃいました。
――あー、なるほど。でも、あんまり大事にはしたくないと。
甘井 そういうことです。猪木さんの存在ってある意味で毒なんですけど、独占されるのはちょっと困るのかもしれないってことですね。やっぱり会長くらい大物になると政治色が強くなるんだと思います。で、棚橋選手が収まった記念写真を1枚だけ撮ったんですけど、それだけは公開しちゃダメだという話だったのに、長州さんがツイッターに上げてしまって(笑)。
――ハハハハハハ!
甘井 会長とオカダ選手が初めて会ったのは、2017年に放送されたテレビ朝日の「プロレス総選挙」のときですね。オカダ選手が控室まで挨拶にきて、会長は「今日は時間ないから今度メシでも食おうか」と。後日、各団体のいろんな選手を40人ぐらい集めて食事会を開いたんですよ。
――猪木さん主催の伝説の食事会ですね。
甘井 『ワールドプロレスリング』の方が選手を集めてくれたんですけど、ほとんどの団体の選手が来ましたよ。前田(日明)さん、長州さん、武藤さん、坂口さん、あとノアや全日本からも来ました。撮影禁止なんですけど、じつはある選手がこっそり写真を撮ってたんですよ(笑)。猪木会長と前田さんとオカダ選手の写真かな。
――すごいスリーショット(笑)。
甘井 『ワールドプロレスリング』の方は「いまになれば集合写真を撮っておけばよかったですね」っていうくらい豪華な顔触れでした。会長とオカダ選手を席移動で隣同士にする段取りだったんですけど、前田さんが酔っぱらって、そのあいだに入っちゃったりして(笑)。
――前田さんらしいですね(笑)。甘井さんがマネージャーをやられてる頃から、新日本と交流が解禁された感じですよね。
甘井 服部さんやライガーさんが引退するときに会長がビデオメッセージを送ったり。会長ははっきりしてるんですよね。絡みがあったら「いいよ」と。服部さんやライガーさんとはリングで絡んでるから、全然いいんですけど。中西学さん引退のときにメッセージをお願いされたときは「俺、アイツとは当たってないんだよな……」って。実際には当たってるかもしれないけど覚えてない。だから何も言えないんですよ。
――機械的にメッセージを送ることはよしとしない。
この記事を含む「15万字・記事14本詰め合わせセット」はまだまだ続く……
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