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RIZINを実況したくてフジテレビをやめた男・鈴木芳彦アナウンサー。15000字インタビューで格闘技愛に迫ります!(聞き手/ジャン斉藤)



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――
最近いちばんビックリしたのは鈴木さんがフジテレビをやめたことなんですよ。しかもRIZINの仕事をするために!

鈴木 そうですねえ……(しみじみと)。もう振り返ってもしょうがないので、このまま突っ走っていくしかないなと思っています(笑)。たしかに重い決断ではありましたし、やっぱり大企業の後ろ盾というのは大きいんですよね。それは、コロナ禍のテレワークのときに凄く感じました。

――
テレワークですか?

鈴木
 アナウンサーというのは画面に出てしゃべっているとき以外は仕事をしてないと思われがちですけれど、たとえばスポーツ中継担当のアナウンサーは資料をつくったりしていますし、画面に出ているとき以外にも仕事がたくさんあったりするんですけれど。コロナでその作業を家でやることが許されたり、上司の目の届かないところで仕事をしていてもお金が発生するというのは企業ならではだと思いました。まあ、何かをしなきゃお金にならないのがフリーで、ある意味そこまで何もしなくても……というと語弊がありますけど、それでもお金が入ってくるのが会社員だったりするので。

――
人生においての重大な決断をいつぐらいから考えはじめたんですか?

鈴木
 まず、5月末にプロデューサーから「THE MATCH 2022の放送がなくなった」という連絡を受けまして。そのときはべつに「しょうがないな……」と思っていたんですけれど、7月にRIZINが2大会開催する際にフジテレビのアナウンサーが使えなくなった、と。いままでは、地上波で放送されていなくても、スカパー!で放送される大会はボクたちも実況で稼働していたんですよ。でも、それすらなくなっちゃったので「これは本格的に格闘技の実況ができなくなるな……」と。

――このままRIZINの実況ができないんじゃないかと。

鈴木
 でも、誰も「地上波での放送がなくなりました」とは明確には言ってくれないんですよね。いろんな人たちに聞いても「まだわからない」と言われるだけで。このまま待っていても、いつRIZINの中継が再開されるかわからないし、いっそのこと会社を出ようかな、と。そう思うようになったのは7月のときですね。

――それだけRIZIN中継に携わることは鈴木さんの中で大きかったというか。

鈴木
 やっぱり、ボクは格闘技の実況をしたくてアナウンサーになったので。母方の祖父母の家が実家の近所にあるんですけれど、3歳ぐらいの頃から祖父のあぐらの上で時代劇とプロレスを観て育ってきましたから。はじめはそれほどプロレスに興味を示さなかったようですが、ボクははっきりと覚えているんですよ。アントニオ猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアントや、アントニオ猪木vsマサ斉藤で、人間が自分自身を限界まで追い込んで、勝つために血まみれになりながら戦うところにロマンを感じたことを。もともと、男の子は戦いが好きじゃないですか。

――
必ず通る道ですよね。ちなみに、その頃の実況は……。

鈴木
 古舘伊知郎さんです。

――
古舘さんの革新的な実況にギリギリ間に合った世代なんですね。

鈴木 そうです。ボクの中で実況というと古舘伊知郎さんなので、やっぱりあのリズムですよねぇ。ゴールデンタイムのお茶の間を盛り上げるリズム。いまのスポーツ中継とは違いますよね。どっちかというと、いまの実況は静かでエレガントというか。映像はもう見えているから、基本的には会話調で解説者から話を引き出すスタイルですよね。それに対して、昔は、とくにプロレスはひとつひとつの動きを言葉で描写するじゃないですか。そのへんが、ほかのスポーツとプロレスの違いだとも思いますし。そして、いまの総合格闘技も動きの描写が必要だったりするのでプロレス実況を踏襲していますよね。ボクシングもそうですけど、その最たるものが大相撲ですよ。取り組み中、大相撲は解説者すら入らないですから。基本的には動きの描写で終わるじゃないですか。だから、格闘技系は意外と言葉での描写が残っているのかなと。そこらへんの古舘さんの盛り上がるリズムというのは、自分の根底にありますね。

――
プロレス中継はみんな古舘さんに影響されていますよね。

鈴木
 古舘さんがあのスタイルをつくったのは凄いなと思います。ただ、MMAになると意外と古舘さんのしゃべりは『筋肉番付』寄りになるんですよね。

――
それはどういうことですか?

鈴木
 プロレス中継は流れるようなしゃべりで、「ロープに振ってラリアート! 起き上がったところでローリングソバット!」とか、軽やかにしゃべっていたイメージですけど。古館さんがやられた2002年の国立競技場Dynamite!での実況は「筋肉の二世帯住宅が~~」とか、ひとつひとつの言葉を噛み締めるようにしゃべっているという。MMAは古館さんをそういう実況にさせるんだなと思いました。

――
MMAとプロレスでは試合の流れが違うところもあると。さすが分析されてますね。

鈴木
 いやいや。でも、やっぱりプロレスとMMAはしゃべりの面でも違うんだなと思ったり。

――
鈴木さんは幼少期からずっとプロレスファンだったんですか?

鈴木
 プロレスファンでしたね。とくに新日本プロレス系でした。小学校低学年のときはまだ『ワールドプロレスリング』がゴールデンで放送されていて。でも、当時は流し見だったんですよ。プロレスを真剣に観ているというより、プロレスをつけてないと落ち着かないみたいな(笑)。だから、プロレス中継を流しながらキン消しで遊んだりしていましたね。本当にプロレス中継に見守られながらじゃないと遊べなかったです。

――
日常の中にプロレスがあったわけですね。

鈴木
 そうなんですよ。土曜夕方の放送になってからまた観るようになりましたし。そこから、深夜帯になってもnWoブームが来ましたし、途中からアメリカンプロレスにもいくんですよね。WWFではハルク・ホーガンが好きで、けっこうビデオを借りたりしてましたね。

――“リアル・アメリカン”時代のホーガンですね。

鈴木
 そうです。アンドレ・ザ・ジャイアントなんかと戦ったりしてました。レンタルビデオから借りてWWEを観ていたのが中学の頃ですね。

――
当時人気だったU系はどうだったんですか?

鈴木
 U系は見る術がなかったんですよ。でも『最強・高田延彦』というビデオをレンタルして観ていましたけど。

――
基本的になんでも食べる90年代特有のプロレスファンというか。

鈴木
 ホントに雑食です。全日本プロレスにも領域を広げて、日曜深夜に放送を観ていましたし。『週刊プロレス』を毎週買って、あとはFMW、みちのくプロレス、大日本プロレス、WARなんかも観てましたね。リングスはWOWOWでお金がかかっちゃうので観られなかったんですが、ほかの団体は雑誌で追いかけてました。

――
当時はべつに映像を観なくても、雑誌を読むことで試合を観た気になって。

鈴木
 電車の中でもずっと『週刊プロレス』を読んでいましたし、『週刊プロレス』を読み終わったら、今度はプロレス名鑑を広げてましたから。 「へえ~、『怨霊』というレスラーがいるんだ!」とか(笑)。

――当時はなかなかマスには向いていなかったですけれど、文化的には豊かでしたよね。

鈴木
 テレビでいうと高校2年生のときに『新世紀エヴァンゲリオン』が世の中ではやるんですよ。それが社会現象にもなって、映画化されたときに人が行列をつくったりして。だから、「テレビの力って凄いなあ」と。それでボクの将来の夢が、時代を動かすテレビのプロデューサーになるんですよね。

――
最初からアナウンサー志望じゃなかったんですね。

鈴木
 でも、そういう話をしていたら、周りから「オマエはプロデューサータイプじゃなくて、アナウンサータイプだよ」と言われて。たしかに、小学5年生のときに思いがけず放送委員会に入ることになって。人気がない委員会だったのでジャンケンで負けて入っちゃったんですけど、そこで先生に褒められたりしたんですよ。「オマエの放送がいいって◯◯先生が言ってたぞ」とか。それで「アナウンサーっていいな」と思った時期もありました。

――
片鱗があったわけですね。

鈴木
 ただ当時、夕方のニュースで学生がアナウンサー試験を受ける特集があったんですけれど、それを見ているとことごとく落とされている人がいて。「これは努力だけではどうにもならないな……」ということでいったん諦めたんですが、高校3年生のときに周りから「アナウンサーが向いているよ」と再び勧められて。それだったら「好きなプロレスとアナウンサーの接点ってなんだろう」と考えたときに、実況アナウンサーだったんですよね。

――
そこからアナウンサーを目指して。

鈴木
 プロレス中継は毎週ビデオに撮っていたので、それを再生して自分で実況したりして。そうしたら思いのほか言葉がすらすら出てきたので「これを生業にしよう」と。それで調べたら、当時は辻よしなりさんが『ワールドプロレスリング』のチーフアナウンサーだったんですけど、辻さんは慶應義塾大学の放送研究会出身なんですよね。だからボクも慶應に進もうと、1年浪人して慶應に入学して放送研究会に入ったんですよ。

――
凄いモチベーションですね(笑)。

鈴木 だから、ニュースを読みたくてアナウンサーになりたいとか、スポーツ中継だと「野球の実況をしたいから」「サッカーを担当したいから」という人はたくさんいるんですけれど、ボクは毛色が違ったんですよね。意外といないんですよ、プロレス実況志望者は。

――
当時、プロレスの中継をしていたのは新日本プロレスのテレビ朝日と、全日本プロレスの日本テレビだけですけど、就活はどうだったんですか?

鈴木
 キー局はすべて受けました。でも、ダメでしたね。テレビ東京のアナウンサー試験も受けたんですけど、面接で「何やりたいんですか?」と聞かれて「プロレス中継をやりたいです」と。でも「ウチはプロレス中継ないよ」「いつかやるかもしれないので、そのときのために準備しておきます」とか言ったりして、結局落とされたんですけどね(苦笑)。

――
落とされかねない発言ですね(笑)。

鈴木
 やっぱりテレビ朝日が第一志望でプロレスの実況をやりたいわけじゃないですか。そしたら、大学1年の10月にちょうどテレビ朝日のアナウンサースクールというのが開校されるんです。ボクはその1期生で入るんですよね。そして、毎週通ってそこで教わったことを放送研究会の防音の部屋で毎日2~3時間練習したりして。発生・発音の練習をひたすらやって、成人式の日も友達と昼飯食べて、そのあとに家に帰ってやりましたからね。「こんな日でも神様は見ている」と思って。だから近所でも有名でした。「あ・え・い・う・え・お・あ・お」とか、ボクの発声練習が漏れていたので。アナウンサー試験に失敗したら、めちゃくちゃ恥ずかしいヤツだったという(苦笑)。

――テレ朝のスクールに通っていたのに、テレ朝には引っかからないもんなんですね。

鈴木
 引っかからなかったですねえ。あとで聞いたのは、ボクの前の年にスポーツ系のアナウンサーを採用したから、ボクの代では違うジャンルのアナウンサーがほしかったということで。それも、どこまで本当かわかりませんし、いま思うと縁がなかったのかなあと。でも、ある程度キー局の採用試験が終わってからニッポン放送の試験があったんですけれど、そこに合格して。ラジオ局なんですが、やはりプロのアナウンサーから教わるのは大事だなと思ったのでニッポン放送に入りました。

――
プロレス実況からは遠ざかったわけですね。

鈴木
 そのニッポン放送では、3年間ラジオのパーソナリティやレポーターをやったりして経験を積みました。そうこうしているうちに、あのホリエモンさんのいわゆるライブドア問題が勃発して。当時、ニッポン放送は株式上はフジテレビの親会社だったんですけれど、あの件でいろいろあってフジテレビがニッポン放送の親会社になるんですよね。その影響で、社員も50人ぐらいフジテレビに転籍するという話になって。そしたら、当時の常務に「鈴木は格闘技の実況をしたいという夢を持ってたよな? フジテレビのアナウンス室に転籍すれば、向こうにはK-1もPRIDEもあるから夢が叶うぞ」と言われて、「いますぐ行きたいです!」と。それでフジテレビに行くことが決まったんですよね。

――鈴木さんはPRIDEやK-1への関心は高かったんですか?

鈴木
 当時は、アナウンサーになって3年ぐらい経っていて、正直にいうとプロレス熱も下がっちゃってたんですよ。ただ、K-1やPRIDEは普通に好きで観ていて。で、フジテレビに転籍してボクシングやK-1の中継を担当したりするんですけれど、当時チーフアナウンサーだった三宅正治さんに「今度、PRIDE班に入れるから見学に来い」と。でも、そのPRIDEが打ち切りの大会ですよね……。

――
ああ、深夜中継するはずがそのままお蔵入りになった『PRIDE 武士道 -其の十一』ですね。

鈴木
 そう、PRIDE武士道です。だから、目の前に来ていた格闘技の仕事がバンと消えたんです。そのあとにボクシング、K-1、極真空手、伝統派空手、大相撲トーナメント、柔道……など、けっこう総合格闘家たちのバックボーンになるような競技を実況して技を覚えながら、ときどき総合格闘技も見つつという。……でも、難しいんですよ。プロレスや格闘技のアナウンサーになりたかったのに、いざ自分が実況できないとなると、人間って好きなのに目を背けたくなるんですよね。

――ああ、なんとなくわかります。

鈴木
 その夢を強く持ちすぎていたからこそ、外から見ているのがツラくなるんですよ。そして、10年の月日が経った2015年10月、フジテレビが10年ぶりに格闘技中継を復活させるという話を聞いて、先輩たちからは「オマエが男になって来い!!」と。

――
熱いです!(笑)。


「怒られても訴えられてもいいから武尊選手の名前を出しました……」15000字インタビューはまだまだ続く

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