この記事は青柳政司館長を語ったDropkickニコ生配信を記事にしたものですが、原型を留めていないどころか、インタビュー形式となっています(語り:ジャン斉藤)


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――
誠心会館の青柳館長がお亡くなりになりました……。

斉藤 Dropkick初期の頃、名古屋で青柳館長を取材したことがあるんですよ。そのあと元PRIDEレフェリーの塩崎啓二さんを取材して『猪木祭り』やLEGENDのデタラメな話を聞いて、夜は当時名古屋で格闘技とは無関係の仕事をしていた笹原さんと飲んで。DREAM消滅からRIZIN旗揚げまで笹原さんは東京にいなかったんですよね。そもそもあの頃の格闘技界は……

――
RIZIN前夜の話も興味深いですけど(笑)、今日は青柳館長の話です!

斉藤
 青柳館長はビッグタイトルを取ったわけでもなく、メジャー団体のエースやトップだったわけではないんですけど、プロレスの流れを変えたひとりですよね。ただし、ケーフェイを超えないと評価できないところもあって、プロレスマスコミはなかなかストレートに扱えない。

――
あなたもプロレスマスコミですよ。

斉藤
 もちろん裏側を触れなくてもすごい方なんだけど、あらためてその軌跡を振り返ろうかなと。まず青柳館長が輩出された当時の話からすると、日本のプロレス格闘技って極真空手とアントニオ猪木でつくられていたといっても過言ではなくて。とくに70年代後半から80年代前半にかけては、この2つの運動体が原動力になっていたんですが、この背後にいたのが漫画原作者・梶原一騎先生です。

――
『タイガーマスク』や『空手バカ一代』などの原作者・梶原先生。

斉藤
 梶原先生は極真や新日本にも影響を持っていたことで猪木vsウィリー・ウィリアムスをプロデュースしたり、格闘技界のフィクサーだったんですよ。梶原先生が手掛けるプロレス格闘技作品が漫画やテレビドラマ、映画でフィーチャーされたことで、プロレスや格闘技の道を志す人が増えていった。青柳館長はそういった流れの中、プロレスラー志望だったんですが、当時のプロレス団体は身長が高くないと入れない世界。トラック運転手をやりながら空手を始めたんです。で、他流派でありながら極真の大会で好成績を収め、その活躍を梶原先生に見込まれ「愛知に青柳あり」と評された。大きな転機が訪れたのは、その梶原一騎先生の追悼興行89年「格闘技の祭典」。この大会をプロデュースした梶原先生の弟・真樹日佐夫先生から大仁田厚戦のオファーを受けました。

――
真樹先生も漫画の原作者や小説家だったり、空手の有段者ですね。

斉藤
 梶原先生が亡くなったのは87年で、先生が描いてきたスポ根ものは過去の遺物となりつつあったというか、柴門ふみの「東京ラブストーリー」が始まったのは88年ですからね。梶原先生の最後の作品『男の星座』は未完に終わったけど、遺伝子を受け継いだ男たちが星として輝くんですよ。つまり「カンチ、セックスしよ! 」ではなく「カンチョウ、プロレスしよ!」ですよ!

――
いろいろと強引ですよ! というか大仁田戦はプロレスだったんですね。

斉藤
 大仁田厚vs青柳政司の日本人同士の異種格闘技戦はご存知のとおり、大仁田厚の再ブレイクの大きなきっかけになるんだけど、大仁田のダーティーファイトに空手陣営が超エキサイト。青柳館長のセコンドには村上竜司、佐竹雅昭など当時の空手界のスターたちで。ただ、この試合がプロレスであることをあらかじめ知っていたのは真樹先生、青柳館長、添野義二先生だけだったんです。

――他の空手家たちは真剣勝負だと思っていたし、大仁田さんの振る舞いに本気で怒ったと。

斉藤
 空手軍団は、大仁田陣営のセコンドで無名時代の邪道・外道、スペル・デルフィン、ウルトラマン・ロビンに襲いかかり、ガチンコの大乱闘になったんですよ。プロレス側は誰か眼窩底骨折の重傷をおったとか……。

――
当時の試合映像がYouTubeでも見られますけど、ホントにすごい熱気と殺気ですよね。

斉藤
 この一戦で自信をつけた大仁田はFMWを旗揚げをして、青柳館長と再戦。90年代・多団体時代の幕開けとなるんだけど、当時のプロレス界はそれまでの秩序が消えつつあった時代。新日本でいえば猪木さんが最前線から消えて、全日本でいえば不透明決着が問題視されて天龍革命で完全決着主義の流れができつつあった。そしてUWFのスポーツプロレスが出現してきた中で、大仁田vs青柳は異種格闘技戦を舞台装置にしたコッテコテのプロレスで爆発したんですよ。

――
大仁田さん、格闘技戦なのにイス攻撃してますもんね(笑)。

斉藤
 青柳館長が面白いのは、異種格闘技戦の格闘家側って長続きしないんですよ。やっぱりプロレスに順応するのは難しいから。それまでもアントン・ヘーシングやウィレム・ルスカ、バッドニュース・アレンとか格闘家からプロレスラーに転身するパターンはあったんだけど、青柳館長は空手家のままリングに上がり続ける存在だった。プロレスで転戦していく格闘家のかたちを作っていったともいえるんですよ。

――
そういえば、いまは格闘家がプロレスのリングに上がっても異種格闘技戦と銘打たないこともありますね。

斉藤
 青柳館長の成功はプロレスセンスがあったことに加えて、ずいぶんと野心的だったことも大きい。「格闘技の祭典」からの流れで参戦した大仁田厚のFMWに見切りをつけて、剛竜馬のパイオニア戦志に移籍。これはもうただギャラが高いからだったとか。剛竜馬戦はそこまで跳ねなかったんだけど、青柳館長いわく「剛ちゃんはプロレスはうまいかもしれない。でも、大仁田とはお客さんを引き付ける力に差がある」と。

――
豪速球な評価!(笑)。やっぱり相手があってこそのプロレス。

斉藤
 青柳館長がパイオニアに移ったのは失敗だったけど、パイオニアを通じて新日本プロレスに参戦することになった。青柳館長の大仁田戦がインディ時代の幕を切ったとするならば、この新日本参戦は平成維震軍誕生というメジャーシーンを揺るがす自体に繋がる。まず新日本で実現したのは獣神サンダーライガーとの異種格闘技戦。

――
これはめちゃくちゃ熱い試合でしたね!

斉藤
 試合途中、青柳館長のマスク剥ぎに激怒して、自ら素顔になったライガーが“山田恵一”としての殺気を漲らせてね。そして両者がもつれたときに、レフェリーのタイガー服部さんが青柳館長の額を……。

――
そういうこと言わない! たしかに丸見えだったけど。

斉藤
 これはあくまで個人的な見方なんですけど、大仁田vs青柳は跳ねたとはいえ、異種格闘技戦は死んでいた時代だったんですよね。UWFに異種格闘技戦は殺された。そういう時代性の中、流血戦とマスク剥ぎというプロレス的なアプローチで面白くなったと見てるんですよ。当時の新日本の異種格闘技戦って試合としてはホントに面白くなかった。たとえば猪木さんのショータ・チョチョシビリもそうだし、橋本真也の異種格闘技戦シリーズ自体も。

――プロレスラーが強さを証明するのが異種格闘技戦だったけど、その強さのモノサシがUWFに持っていかれたからでしょうね。

斉藤
 そこで青柳館長の大仁田戦や、ライガー戦は異種格闘技戦を再設定したわけですね。ちなみに裏話としてライガー戦のギャラは100万円だったんですけど、館長は20万円しかもらってなかった。

――
それはつまり……(笑)。
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