この続きと、天心vs武尊、平良達郎、渡辺華奈、張り手事件、イリー戴冠…などの6月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「15万字・記事20本の詰め合わせセット」はコチラ
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2106753
この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事130円から購入できます!
注射器を持ち込んだデスマッチファイター第2の人生、サムタック・ジャックの場合
アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは注射器を持ち込んだデスマッチファイター第2の人生、サムタック・ジャックの場合です!
「ショーは終わり、台本を閉じる。アンコールはない」
この言葉は「ドイツが生んだ華麗なるデスマッチアーティスト」サムタック・ジャックが引退を決めたときのものである。2010年10月2日にドイツ・オバーハウゼンで行われた大会で、生涯車椅子生活になる可能性があるほどの致命的なケガを負い、引退を余儀なくされた悲運のデスマッチレスラーだ。
サムタック・ジャックは、いまどうしているのだろうか? 試合中のケガでリングを去ったことをどう受け止めているのか。
1985年7月21日、ドイツ・ミュンヘン近郊の街グレーフェルフィングで産まれたサムタック・ジャックこと、アレキサンダー・ベドラナヴスキーは、15歳の時からプロレスの練習を始め、翌年16歳でプロレスラーとしてデビューする。
「プロレスを始めた頃は、ハードコアマッチで自分の名声を確立しようと思っていたわけではなく、ただなんとなくそうなっただけなんだ。若いからまだ技術もなかったし、普通の試合で観客を沸かせる力がなかったから、突拍子もないハードコアなプロレスをしてたんだ。ハードコアな試合は楽しんでやっていたよ。親は心配したけどね。勘違いしないでほしい、俺たちは痛みが好きというわけではなくて、痛みにうまく対処できるんだ」
そう語るサムタック・ジャックの名前を一躍、世に知らしめたのが、2007年3月11日に行われたドレイク・ヤンガーとの「SAWデスマッチ」だ。スプラッター映画(ホラーより残酷な映画のこと)「SAW ソウ」から名前を取った過激なデスマッチは、カミソリ付き椅子、ノコギリ、ガラス、電動ドリル、そして無数の注射器を凶器として使用。あまりにも凄惨、残酷すぎて、物議を醸すほどの危険なデスマッチだった。
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。
2022/06/02(木) 18:12 【ROAD to UFC】最短契約へGO!! 中村倫也インタビュー
2022/06/03(金) 12:00 【殺しのプリンスがヤバイ】風間敏臣さん、チャーオリや青木真也のことは知ってますか?
コメント
コメントを書く