この記事は橋本宗洋氏の武藤敬司批判原稿を語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】
今日はプロレス格闘技ライターの橋本さんのNumberテキストで、 武藤敬司選手の森喜朗擁護発言を批判した件に関する配信をやるんですが……昨日、橋本さんとDDT、ノア、東京女子プロレスを運営するサイバーファイトのあいだで、この原稿についての話し合いがありまして、橋本さんのツイートによれば、橋本さんは今後サイバーファイト系団体の現場取材を控えることになったと。
この配信はこういう事態になる前から告知してたんですが、ひとつの決着を迎えてしまったことで、正直すごくやりづらくなりました。
武藤敬司 東京スポーツインタビュー
橋本宗洋 Number原稿
こんな配信をやったところでサイバーファイトや橋本さんからすれば「決着がついてるんだから外野が余計なことを言ってるんじゃない!」っていう話ですし、こういう議論っていうのは答えが出るものではないんですが、本題に入る前に「それでもなぜ言及するのか」という説明をします。
まずこのDropkickメルマガは、プロレス格闘技の表現や差別に関するテーマは頻繁に扱っています。プロレス格闘技というジャンルは言うまでもなく表現が肝心要であり、そして差別とは隣り合わせなところがあります。誤解を恐れずにいえば、差別すらも煽りにすることもあったわけですね。そして日本プロレス界の始祖・力道山や、格闘技界の礎を築いた大山倍達はその出自を扱うことがタブーだった時期もありました。80年代後半の「朝まで生テレビ」で在日差別をテーマにした際に、長州力が突然スタジオに現れて観覧。アナウンサーからの質問に答えたというエピソードもあります。そもそもプロレス自体が世間から差別されてきたことで、プロレスファンも差別を考える機会は多かったんじゃないでしょうか。
サイバーファイトと橋本さんのあいだで、どういう話し合いがあったのかはわかりません。 取材拒否なのかどうかさえもわからない。たとえその“事実”が判明したとしても、 そこにいたるまでの経緯を知るのはサイバーファイトと橋本さんだけになります。
ただですね、 今回も件を巡って言論弾圧、ジャーナリズムの危機だという風には簡単には捉えられないんじゃないかと思っています。なぜかといえば、サイバーファイトの親会社はサイバーエージェントです。橋本さんはフリーライターですが、サイバーファイト系の取材記事はABEMA TIMESに寄稿をされています。説明するまでもなくABEMAはサイバーエージェント傘下です。橋本さんがフリーライターとしてサイバーファイトを取材をしているのか、サイバーエージェントのグループの中で仕事をしてるのかが曖昧です。ボクは内部の人間ではないのでどういった雇用形態なのかは知るよしもないですが、 サイバーエージェントのプロレス団体を取材をしてサイバーエージェントが運営するニュースサイトに寄稿するって非常に複雑な関係に見えます。サイバーファイトからすれば出入り業者のひとりですけど、橋本さんからすればフリーライターの意識が強いのかもしれない。いちマスコミとしての取材しているのか、同じグループからの仕事なのかの線引きや立場が曖昧だから問題をややこしくなっていった印象を受けます。
昭和ならいざしらず、プロレス格闘技団体って、できることなら出禁なんかしたくないんですよ。今回の件は出禁かどうかはわかりませんけど、何か圧力をかけたように思われたくないし、会場から遠ざけて悪口を言われるくらいなら、取材をしてもらって関係を築きたい。いま遊軍的に動けるプロレスライターってなかなかいないですしね。なので今回の出来事にはビックリしました。この武藤敬司原稿の一件だけで、こういう事態になってしまったのだとしたら……ここまでこじれるんだという戸惑いがあります。
前置きが長くなりましたが、これらの前提を踏まえたうえで話を聞いてください。
橋本さんは普段から表現規制に関するツイートやリツイートを頻繁に行なっていますが、それは極端な表現規制論に見えるので、ボクはときおりツイートや配信で批判というか問題提起をしてきました。橋本さんの政治思想に関してはどうでもいいところがあります。では、なぜ差別や表現に関して批判するかといえば、橋本さんのスタンスはプロレスの表現自体を難しくさせるなと思ったからです。
ボクはプロレスはハイコンテクストなジャンルだと見ています。文脈や流れを理解してないと非常に捉えづらいところがあるし、団体や選手が提示する物語の中に差別表現が入り込んでしまうこともあります。なぜそれが許されてきたかといえば時代背景もあるんでしょうし、最初からキッチュなものとしてスルーされてきたのかもしれません。
いまや時代は変わってきて、文脈だからといって許されなくなり、それまで良くも悪くも自由だったプロレスにもある程度のラインが引かれるようになりました。たとえば、かつてのようにナチスキャラは見当たりません。WWEでも日本人レスラーのキャラクター付けは変わってきています。KENSO選手がWWEに参戦したときは「ヒロヒト」という昭和天皇の名のキャラクターで、太平洋戦争の復讐をするという設定のPVも作られましたけど、お蔵入りになりました。 東北大震災の翌年なのにジャイアント・バーナードは日本で活躍していたからというだけで「ロード・テンサイ」というギミックが与えられました。日本にかぎらず、プロレスでは昔から民族や国籍を弄ることは定番なんですけど、表現方法が変わりつつある現状が見受けられます。
女性の人権問題に関してもWWEでは「ウィメンズ・レボリューション」という運動のもと、いずれは女子の所属レスラー数を男子と同じにするんだという目標が掲げられています。日本では女子プロレス専門団体がたくさん存在していますが、それは女性の人権を尊重しているから独立しているわけではなく、そこにいたるまでの歴史的文脈が存在します。
先ほども言いましたが、日本のプロレスの表現は自由なところがあります。いまでもセクハラ的なプロレスは見られますし、ギミックとしてのゲイキャラも存在します。LGBTの視点からすれば、ゲイではないのにゲイを演じて観客を襲おうとするギミックは厳しいですよね。
ちなみに昨年の4月に、レイザーラモンHGさんがアメリカで正真正銘のゲイレスラーと試合をする予定でした。それは新型コロナで中止になったんですけど、 そのゲイレスラーいわく「キャラクターだろうがなんだろうが関係はない」とコメントしてたので、実現していれば何か新しい展開が生まれていたかもしれません。
なぜ日本でギミックとしてのゲイキャラが認められるかといえば、文脈としての理解ですよね。 ゲイを差別的に演じてるわけではないという相互理解がプロレス社会の中にはある。この例にかぎらず、プロレスというのは文脈の理解で成り立ってるジャンルです。 そういった世界で仕事をしている橋本さんですが、プロレス外の表現に関しては、ボクから見ると極端な規制派なんですね。
例をあげると橋本さんは漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」とコラボした献血ポスターや、ラブライブと沼津みかんのコラボ広告を性的であると批判してきました。他方で橋本さんはプロレス界におけるこういった表現に関しては寛容というか。たとえば「週刊プロレス」の裏表紙で、サイバーファイト系の東京女子プロレスに出演するレスラーが全裸でチョコまみれになっているバレンタイデー企画の広告は肯定しています。
その基準を巡って橋本さんとやりとりしたことがあるんですが、ゾーニングのあり方は曖昧に見えました。何がよくて何がいけないかが基準がわからないものほど、恣意的な判断がくだされる危険はないでしょうか。
また橋本さんはサイバーファイト系で行なわれるセクハラプロレスに関しては、セクハラをしたレスラーが最終的に制裁を受けるストーリーであると許容している。これは文脈を理解したうえでの判断ですけど、プロレス以外になると、たとえストーリーがあっても断固として許さない姿勢を見せているんですね。
プロレスにおける文脈は理解してるのに、 他ジャンルに関してはゾーニングがわかりづらい規制派に見えます。橋本さんがどの分野の出来事を批判・批評するかはまったくもって自由なんですが、文脈に理解がない人がプロレスの表現を批判した際に、自分が携わるジャンルを守ることができるのかがボクには疑問でした。
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