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9月RIZINのMMAデビュー戦を勝利で飾った元・貴ノ富士、スダリオ剛インタビュー。不祥事からのMMA転向という理由に加えて、これまで相撲出身者はMMAで活躍できていなかったことから“イロモノ”として捉えている方もいるだろう。ちょっと待った! 190センチ、116キロ、23歳。重量級世界最大の格闘技集団・大相撲からはみ出た怪物”の言葉にワクワクしてほしい。



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――
いままでお相撲さんがMMAでは活躍できていなかったので、スダリオさんのデビュー戦とは思えない動きにはビックリしたんですよ。110キロ超の身体であんなに飛び回れるなんて!

スダリオ そういってもらえると嬉しいです。ボクも相撲から格闘技に出てきた人たちを「これじゃ無理だろうな……」っていう目で見てたので、逆に「何がダメなんだろう?」って考えて。ボクが格闘技をやるとしたら、まずは何からすべきか。お相撲さんの体型から変えなきゃいけないかなと。力士の頃から考えてましたね。

――
力士の頃からそんな野望が!

スダリオ
 いや、実際にやるつもりはなかったんですけどね。総合格闘技は好きだったので、ケガとかで早くやめることになったらやってみたいなと思っていたときがあって。 まさかこんなかたちでやることになるとは思ってもなかったんですけど。

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――
まず身体を絞ったということですが、相撲時代は160キロ近くあったんですよね。

スダリオ
 そこから113キロまで落としました。

――
……浅倉カンナちゃん1人分以上も落としてますよ!(笑)。

スダリオ
 本当にキツかったです。でも、まず身体から変えないと格闘技はできないだろうなって。 どうすれば落とせるかいろいろと調べて、朝は味噌汁とヨーグルトだけ、夜は鶏肉のモモだけ。毎日半身浴も欠かさずに。徐々に落ちていったんですが、停滞期に入ったときに貴闘力さんにお店に誘われて……。

――貴闘力さんのお店といえば焼肉屋ですけど(笑)。

スダリオ
 大先輩ですし、食べないわけにはいかないじゃないですか(笑)。 「次の日からまた頑張って落とせばいいや」と思って肉を食ったら、なぜかけっこう落ちたんですよ。貴闘力さんにまた誘われるまでは食事制限して、お声がかかりましたら肉を食べて(笑)。

――
貴闘力さんの後押しにもあったという(笑)。

スダリオ
 いまは116キロくらいですね。 体重はこのままで、身体をもっと絞りたいなって。

――どういう経緯でエンセン井上さんのところで練習するようになったんですか。

スダリオ
 小錦さんの紹介ですね。 知り合いを通じて小錦さんと知り合って、そこからエンセンさんを紹介してもらいました。 練習を本格的に始めたのは8月くらいです。

――
デビュー戦は9月ですから時間はなかったですね。

スダリオ
 それまで体重を落とすことに専念していたので、 並行してトレーニングをやることは難しかったんですよね。炭水化物をカットしていたのでスタミナはなかったですし。そこは優先順位として減量をとにかく頑張った感じです。 

――
それだけの準備期間でよくデビュー戦に間に合いましたね。

スダリオ
 「相手が素人だったから」って書いてる人もいるんですけど、ボクも素人なんですよね(笑)。逆にいえば、そういう風に見られてないんだなって嬉しかったです。あの試合はいま見ると恥ずかしいぐらい何もできてないし、勝って収められたから、まあいいかなって感じで。

――エンセンさんの練習は厳しくないですか?

スダリオ 厳しいですね。厳しいですけど、ボクが格闘技をやるモチベーションがなかなか伝わりづらいというか、ビジネスでやろうとしてるんじゃないか、甘い考えでやろうとしてるんじゃないかと思われている中で、エンセンさんはボクの気持ちをまっすぐに受け取ってくれて練習もハードにしてくれてるし。キツイけど、楽しいし、嬉しいですね。

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スダリオ剛を指導するエンセン井上氏。かつて日本格闘技界のヘビー級を牽引していた。


――
ボクが驚いたのはデビュー戦から総合格闘家の動きができていたことなんですね。

スダリオ 考え方や身体の使い方もそうですけど、相撲からシフトできてることが大きいかなあと。

――
デビュー戦は自分で採点すると何点ですか?

スダリオ
 うーん、30点くらいですかねぇ。

――
あら、低いですね。

スダリオ
 倒せるパンチが打てなかったというか。

――
パンチで相手の鼻を折って、戦意喪失に追い込んでるんですけど(笑)。

スダリオ
 鼻の骨なんて簡単に折れるじゃないですか。相手を一発で倒せるパンチの技術はまだ持ってないです。今回は試合が急に決まったところもあるので、そういう技術を身に付けてる余裕がなくて。最近は練習してできるようになってきたので、また自信がついてましたね。

――急に試合が決まったことに不安はありませんでした?

スダリオ
 相手もMMA は初めてということで研究材料がなかったことへの不安は正直ありました。ボクは相撲時代から研究するタイプで。いろんな技術を早く身につけたかったので、貴乃花親方の動画でチェックして稽古で実践したりとか。相手はレスリングをずっとやっていたと言っていたので、何かあったらすぐにテイクダウンを狙ってくるんだろうなということは頭に入れてました。

――事前に柔術もやっていたことを明かしてましたね。

スダリオ
 逆にボクからするとありがたかったですよね。 柔術をやっていたと言っても、MMAはそれだけじゃないですから。それに下になっても逃げる練習をメチャクチャやっていたので。練習相手が3人交代でずっと逃げる練習をやっていたんですよ。本当にキツい練習をやらせてもらったので、テイクダウンされても逃げる自信はあったんです。だからグラウンドの不安はなかったですよね。

――
スダリオさんは子供の頃から運動神経抜群だったというか。なんでもできちゃうタイプだったそうですね。

スダリオ
 周りにはそう言われるんですけど、ボクは意外とそうじゃなくて……相撲を始めたのも家が貧乏だったからで。だから大変だったんです、母親は。ボクも弟も身体が大きいですからね。

――
双子の弟で力士の貴源治さん。 

スダリオ お母さんはフィリピン人で、来日してから日本人と結婚して離婚して。異国の地でたったひとりで子供2人を育てるのはもの凄く大変だったと思います。

――「スダリオ剛」というリングネームはお母さんの名前が由来なんですよね。

スダリオ
 はい、そうです。母親がケゼィア・スダリオという名前で。相撲やるときもずっと心配してて、それなのに問題を起こしてしまって……。これから恩返しがしたいし、母親が日本に来た意味を残したいなと思って、自分の妻と話し合ってスダリオにしました。この名前にして試合に勝ったことでフィリピンやアメリカにいる親戚が喜んでいるんですよね。

――
スダリオさんは苦しい生活を抜け出すために相撲を始めたんですね。

スダリオ
 ボクの家は服や靴を買うことも、ご飯を食べることも大変だったし。母親の財布の中には1000円しか入ってないときもありましたからね。たまたまボクと弟が30万円貯まる500円貯金をやっていて、ボクたちは使わないから母親にあげたこともあって。だから早く家を出て母親の負担を軽くさせたいってことで相撲に入ったんです。

――
それで中学卒業と同時に貴乃花部屋に。

スダリオ
 小学5年生6年生の頃から相撲界に入るということで腹をくくってました。 最初は親に軽く勧められたんですよね。 相撲は中卒で入れると。早く家は出たかったんですけど、相撲だけはやりたくないなって。裸になりたくないし、太りたくないし(苦笑)。

――
子供心としては(笑)。

スダリオ
 マワシをつけるのも恥ずかしくて本当にイヤだったんですよ。でも、ただ太るんじゃなくて筋肉をつけてトレーニングをすればいいかって妥協して。

――
中卒から入れてメシが食えるスポーツって相撲くらいですね。

スダリオ
 いまどきないですね。

――
相撲はやったことはあったんですか?

スダリオ
 ないですね。嫌いだったんで(笑)。小学2年生のときに担任の先生から「相撲大会に出ないか」って聞かれたけど、「絶対に出ないです」って。それぐらい相撲は嫌いでした。

――
体格は相撲向きだったんですよね?

スダリオ
 中学のときは184センチで81・5キロ。でも、細かったんですよね。骨太だったんです。

――
その体格で手っ取り早く稼ぐなら相撲ですよねぇ。卒業するまではどんなスポーツをやってたんですか?

スダリオ
 小学3年生の頃に空手道場に通ってました。初めて出た県大会でボクも弟も負けることがなく決勝まで勝ち上がって。

――
始めたばかりなのに決勝で兄弟対決!(笑)。

スダリオ
 ボクが優勝したんですけどね。その大会は全国大会には繋がらない大会だったし、空手は年に2回ぐらいしか大会がなくて練習ばっかりでつまんなかったんですよ。あるとき遊びでバスケをやっていたら、どんなところから投げてもシュートが外れなくて「なんで入るの?」ってビックリされて。同学年の子にバスケを本格的にやらないか誘われたんですよね。

――
スポーツならなんでもできちゃう人ですねぇ。

スダリオ
 ゴルフは苦手ですね(笑)。でも、親にはバスケを反対されたんですよ。「相撲界に行くんだから」と。そうしたらバスケチームの先輩や同級生がボクの家までやってきて、親を説得したんです。

――
そこまでしてやってもらいたい(笑)。

スダリオ
 それで小6からバスケを始めて。それまでそのチームはそこまで強くなかったんですけど、ボクと弟の2人の力で県の決勝まで勝ち進みましたからね。

――
漫画の主人公みたいです!

スダリオ
 中学校のバスケ部もそこまで強くなかったんですけど、ボクらの代では練習試合も含めて茨城県の中では1回も負けたことないんですね。

――
中学バスケ界の中では知られざる存在だったんですか。

スダリオ
 自分で言うのもなんですけど、そうですね。なので相撲に入ったあともバスケのことは忘れられなくて……貴乃花部屋は中野にあって東京体育館に近かったのでウインターカップ(高校全国大会)を帽子を被って隠れて見に行ったりして。

――
バスケで高校推薦はあったんじゃないですか?

スダリオ
 あったんですけど、やっぱり学費が……。免除されるといっても一部なので、ユニフォームも必要だし、バッシュも高いし。親に迷惑をかけるのもイヤだなってことで、それだったら一か八かということで相撲界に入ったほうが……。

――
まだ子供ですから悔いは……。

スダリオ
 悔しかったですよねぇ。中学のときのバスケの遠征で同学年の八村(塁)と一緒になって「全国に行かないと、また会えないね」「同じ高校に一緒に行きたいね。そうしたら全国取れるよ」という話になって。

――
あの八村塁と!

スダリオ
 ボクは「相撲界に入ってることが決まっているから」と。NBAからの指名は八村だから実現できたことではあるんですけど、バスケを断念することはキツかったですよねぇ。バスケはやりたいし、 まだまだ遊びたかったですし。
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