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アントニオ猪木の元・娘婿で新日本プロレスの社長を務めたサイモン・ケリーインタビュー。ニコ生配信されたボーナストラックをお送りします!(配信されたものを編集したものになります)


パート1はコチラ→「プロレスに関わることは倍賞美津子さんに大反対されました」

パート2はコチラ→「猪木事務所の暴走、ロス道場設立、猪木vsMMAファイター」

パート3はコチラ→
第5代新日本プロレス社長から見たシンニホン暗黒時代

パート4はコチラ→ダーッ!!」は権利問題でリング上では不発……IGF嵐の船出!

パート5はコチラ→ IGF大晦日・小川直也vs藤田和之が噛み合わなかった理由 

パート6はコチラ→中邑真輔の「猪木アピール」を受けて新日本プロレスの会場に乗り込んだ話

最終回→【最終回】サイモン・ケリー「IGFはパン屋になって、みんな幸せになった」


番外編 素晴らしき最狂プロレス団体IGF対談■鈴木秀樹×サイモン・ケリー



――
サイモンさん、今日は配信というかたちで、本編では聞けかなかった話をよろしくおねがいします。まず新日本プロレス社長時代のことですが、リングに上がって蝶野さんと絡んでましたよね。

サイモン あぁ、ありましたね。

――
ダーク・プレジデント”でしたっけ。

サイモン
 ハハハハハハ、勝手にそんなようなキャラにされましたけど。あれは……なんだったんですかね(笑)。

――
本人がわかってないんですか?(笑)。

サイモン
 当時新日本は落ち目だったじゃないですか。他団体が『週プロ』を含めて雑誌の表紙になってたりしたので「こっちを見てくれ!」じゃないけど、新日本にも注目してもらおうと。新日本ってスキャンダルも込みで新日本じゃないですか、当時は。長州さんを現場監督として戻したことで選手たちに反発されたんですけど、そこに食いついてくれたのが蝶野さんだったような気がする。どこかの地方大会だったと思うんですけど、リングに上げられて水ぶっかけられたり、シャツを破られたりとか何回かあったような。

――
リングで転がした。蝶野さんらしいスマートなやり方ですね。

サイモン
 あとから振り返ると、いい思い出じゃないですけど「蝶野さん、ありがとうございます!」みたいな。自分はスタッフだったから、そういうことはやりたくはなかったですけどね、正直なところは。

――
試合をしてみたいとは思いませんでしたか?

サイモン
 まったくないですね。当時『ハッスル』さんはそういうことをやってましたけど、やっぱり新日本なんで。試合までは自分はやりたくなかったです。

――
マクマホン一家なんて普通にバンプを取ってるじゃないですか。

サイモン
 たしかにそうですね(笑)。当そこまではする気はなかったですけどね。

――
ということは、あの“ダーク・プレジデント”にゴール地点はなかったということですね?

サイモン
 ないですね。新日本がユークス体制になってから、選手たちから文句も言われた気がしますね、ミーティングなんかのときに。

――
ミーティングなんてあるんですか?

サイモン
 うん。で、そのときになんか文句を言われて、自分もべつにやりたくはないし(笑)。

――
好きでやってるわけじゃなかったのに(笑)。

サイモン
 だからフェードアウトというか、ユークスのほうからも「やらなくていい」と言われた気がするけどな。本当にやりたくはないですよ。イヤですよ、あんなの。俺、葉巻も吸わないし(笑)。

――
そういえば葉巻を吸うキャラでしたね(笑)。その選手ミーティングって気になるんですけど。

サイモン
 選手ミーティングは何回かやってましたね、ユークス体制になってから。今後の新日本をこういうふうにしていこう、と。そんなような話をしてたような気もしますね、当時。

――
そのときに出た意見で印象的なものは覚えてますか? 

サイモン
 不満ばっかだったですよね。

――不満ばっかり!

サイモン
 それは選手のせいではないと思う。いろいろ変わっちゃったから、やり方が急に。ユークス体制になったこともそうですし、長州さんが戻ってきたりとか。

――
長州さんを現場監督として戻したのはどんな理由だったんですかね?

サイモン
 ……あれは、自分も迷っていたんでしょうねぇ。

――
迷っていたから思わず!(笑)。あれはサイモンさんの独断だったんですか?

サイモン
 そう、自分が決めて。自分が知ってた新日本って怖い新日本だったんですよ。現場監督に長州さんがいて怖かったんですよ、とにかく。

――
ピリピリしてたわけですね。

サイモン
 そう、ピリピリだったんですよ。それで自分が社長のときはなんかヌルい感じがしたんですよ。なんかピリピリはなかったんですよ。だから、長州さんには知名度ももちろんありますし、あの頃のピリピリ感がほしいなと思って現場監督として戻っていただいたってのはありますね。その話に長州さんもビックリしてたし、長州さんも「戻っていいのかな」って迷ってたと思いますね。まさか猪木家の人間から戻ってと言われたこともビックリした理由でしょうね。

――
長州さんは猪木さんの方針がイヤで新日本を離れたわけですもんね。

サイモン
 何回かお会いして「新日本はそんなにヤバイの?」みたいな話になって。長州さん本人も当時はあんまりいい状況ではなかったと思うんですけど。

――WJも潰れて借金を抱えて。

サイモン
 それで石井(智宏)選手と一緒に新日本に来たんだと思いますね。

――
劇薬投下なのにサイモンさんは周囲に相談してなかったんですね?

サイモン
 あんまりしてなかったですね。あのね、会社は会社であんまり相談できない状況なんですよ。なんか……後ろから刺されそうな感じだったんですよ、自分は。

――
何かしようとしたらジャマされるんじゃないか、とか。

サイモン
 そう。内部でも話が通じないんですよ。「やっておいて」と言ってもやってくれないスタッフがいたり。

――
要はサイモンさんは“猪木派”として敬遠されていたところがあるんですかね。

サイモン
 そうですね。それは凄くあったと思いますね。

――
長州さんの現場監督復帰に決まったときは反発は凄かったですよね?

サイモン いや、凄かったですよ。覚えてるのは、長州さんの復帰が決まったあとの後楽園ホールかな。選手の控室を通り抜けようとしたら、もの凄く空気が凍るというか、アウェイだったんですよ。空気って本当にこんなに凍るんだなって感じたことを覚えてます。

――
選手たちから直接文句は言われなかったんですか?

サイモン
 言われてない。まだ言われたほうがよかったかもしれないです。みんな黙っている。選手に近づいていったらスッと消えていくみたいな。挨拶もないくらいのアウェイでしたね。

――
長州さん、よく戻ってこれましたね、そんな空気の中(笑)。

サイモン
 そうですよね(苦笑)。でも、そんな中で一番最初に反応してくれたのは蝶野さんだったんですよ。どうせ反発をするならマイナスの反発をするよりリングで反発する。裏で隠れて何か言うじゃなくて、リングの上でプロレスにしていく。新日本が苦しいんだったら、みんなでおもいきりやっちゃおうよ!みたいな。ポジティブな受け止めてくれたような感じがしますね。

――
さすが蝶野さんですね。転んでもただでは起きないというか、使えるものはなんでも使うという。

サイモン
 それこそ新日本ぽいかなっていう思いは自分でもあったので。

――
当時のエピソードとして面白かったのは、金本(浩二)さんに長州さんが何か話したそうにしてるんだけど、ずっと会場中を逃げ回っていたという。

サイモン
 そうなんですね(笑)。やっぱり選手同士いろいろあったんでしょうね。

――
長州さんが戻ったことで現場の雰囲気はピリピリしてたんですか?

サイモン
 本当ピリピリしましたね。

――
結果的に(笑)。

サイモン
 強すぎたかもしれないですよね。ちょっと爆発してもらいたかったのが、もの凄い爆発で半分以上吹っ飛んじゃったみたいな感じがしますよね(笑)。

――
かつては権力者だったからこそ成り立っていたけど、外様として戻ってきても本当の嫌われ者になっちゃったという。

サイモン
 みんなに自分の狙いが伝わらなかったのは、やっぱり自分のせいだなという責任感はもちろんありますよね。長州さんも長州さんで前ほどのトゲはなかったんですよね。

――
長州さんもだいぶ歳も取ってますしね。

サイモン
 歳も取っちゃったし、新日本を一回出ちゃって戻ってきたばっかりだし。以前の長州さんだったら、そこは関係なくブチ切れてたのかもしれないですけど。

――サイモンさんも迷いながら仕掛けていたんですね。

サイモン
 そうですよね。まだ若いうちに社長になっちゃって会社もメチャクチャで毎日がパニックみたいな状況でしたね。イッテンヨンの東京ドームが終わったあとの契約更改もヤバかったですねぇ。

――
ボクが好きなのはその席で中西(学)さんだけ話が通じなかったというエピソードなんですけど。

サイモン
 あー、ありましたね(笑)。
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