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女子プロレスの景色を変えた女帝・ブル中野■斎藤文彦INTERVIEWS

2020/03/27 13:10 投稿

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  • 斎藤文彦
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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト
斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 
今回のテーマは
日本の女子プロレス史・中編です! 前回はコチラ→マッハ文朱が女子プロレスというジャンルを変えた

■エンド・オブ・デケイド――プロレス界の2010年代

■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論

■WWEvsAEW「水曜日テレビ戦争」の見方

■WWEペイジの伝記的映画『ファイティング・ファミリー』


AEWチャンピオンベルト盗難事件

■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう


■ウルティモ・ドラゴンの偉大なる功績を再検証する


■ネット社会に出現したニュータイプAEW、その可能性

■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される
 

■レッスルマニアウィーク現地取材レポート

■平成という「アントニオ猪木が去った時代」

■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか

■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか


【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった


■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ


■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』


■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか


■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」


■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で


■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に

■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――

■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう 

■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活

■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括

■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語

■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」


旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー

■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!

■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!

■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇

■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ

■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」

■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る

■『1984年のUWF』はサイテーの本!
■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 

■「現場監督」長州力と取材拒否

■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男


■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑

■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか





――
今回は前回の続き、90年代の女子プロレスです。

フミ 90年代はブル中野の時代だったと言えるんですが、そのブームはクラッシュギャルズとは性質が異なるものだったんです。 それは中野さんが主人公だった頃の全女には、男性ファンが会場に押し寄せたんですね。

――
クラッシュ時代は女子中高生が中心だった。

フミ
 クラッシュのブームは84年あたりがピークだったんですけど、長与千種とライオネス飛鳥の2人はさらに5年ほど現役で活躍していました。長与が全日本女子プロレスのリングで引退したのが89年。平成元年の5月なんですが、ライオネス飛鳥もその2ヵ月後に引退。2人とも、のちに現役復帰をはたしますが、80年代の女子プロを支えたクラッシュギャルズの2人は平成元年にいったんリングを降りるんです。

――
ポストクラッシュの全女を支えたのがブル中野だったんですね。

フミ
 ブル中野さんが全女のトップの座にすぐに就いたのではありません。全女のエースがその腰に巻ける赤いベルト、いわゆるWWWAの王座決定戦は、中野さんと西脇充子のあいだで行われた。それはつまり西脇充子をエースにしようとする動きもあったことはたしかなんです。

――
西脇充子さんは引退後、大関の魁皇と結婚して現在は浅香山部屋の女将さんをやられていますね。

フミ
 それまで全女にはヒール系のレスラーをトップに据える路線はなかったから、西脇さんのエース路線も現実味があった。ジャッキー佐藤とマキ上田にビューティ・ペアの時代から全女のトップはベビーフェイスと相場が決まってました。ところがブル中野さんはあのメイク、あのコスチュームのまま全女の主人公に躍り出るんです。それは全女としても一つの賭けだったんじゃないかと思うんですね。

――
その賭けが全女の新しい風景を作り出すんですね。

フミ
 ボクはクラッシュギャルズの時代から『デラックス・プロレス』全女を取材してましたけど、ハッピを着こんで応援している10代の女の子たちがブームとともに会場からいなくなると、全女には暗黒時代が訪れたんです。それは89年から90年のこと。新路線としてメドゥーサを初の外国人所属レスラーとして招聘して日本に住まわせたりしました。メドゥーサはAWA世界女子王者になったりアメリカではスターだったので「本当に来るのな」と半信半疑だったんですけど。実際に目黒の1LDKのマンションに住んでましたからね。

――
全女ビルがあった目黒区に(笑)。

フミ
 メドゥーサは西脇さんと一緒に写真集を出したり、CDを出したりして、全女としても彼女を売り出そうとしてたんですが、実力でメインイベンターの座をもぎ取ったのがブル中野さんなんです。中野さんは見るものを納得させる試合をやってましたからね。エースで四番でホームラン王。試合内容の説得力が全然違うんですよ。また、女子プロレスに男性のお客さんを呼び寄せたもうひとつのきっかけには、ユニバーサルプロレスがあるんです。

――
日本で初めてメキシコのルチャリブレを輸入した団体ですね。

フミ
 ユニバーサルプロレスはウルティモ・ドラゴンに変身する前の浅井嘉浩選手がエースでした。そこに 提供試合というかたちで全女の選手がゲスト登場して、アジャ・コングやバイソン木村、井上京子たちが面白い試合をする。女子プロレスを見るつもりじゃなかったファンが「今日はルチャも面白かったけど、一番は全女だった」という声が徐々に大きくなっていくんです。

――
ユニバから90年代の全女人気に火がついたところもありますね。

フミ
 そういう新しい層のファンが全女の会場に行ってみたら、ダンプ松本の極悪同盟はなくなっていて、かつてダンプ松本のパートナーだったブル中野率いる獄門党を知る。全女は中野さんとその子分だったアジャ・コングをセパレートさせて抗争をやらせるんですが、ブル軍団vsアジャ軍団で1年近く全国を巡業していったんです。

――
ヒール対決、怪獣大決戦で全国を回る。

フミ
 それまで全女を支えていた女子中高生ファンが去ったあとでも、全国巡業の風景は変わってなかった。地方だと男性ファンが多いですからね。そういう層にはブル中野vsアジャはマッチしたと思うんですよね。クラッシュ・ギャルズも大ブームだったんですけど、男性ファンを会場に足を運ばせたかというとそうではなかった。ボクもわりとそうだったけど、当時は女子プロに食わず嫌いなファンは多かったんですが、ブルvsアジャを見たりすることで徐々に見る側の姿勢も変わっていきました。その頃は『週刊プロレス』も男子や女子を分け隔てなくオープンに記事にしていったんです。

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コメント

フミ斉藤さんの話、記憶、
素晴らしいの一言に尽きますね

No.1 56ヶ月前
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