この記事は「闘強導夢」を語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)


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新日本プロレスが東京ドーム2連戦という偉業をやりとげましたので、今回は「闘強導夢」を取り上げたいと思います。これは当時・新日本のリングアナだった田中ケロちゃんが考案した当て字。1989年4月24日、新日本プロレスが初めて東京ドームに進出したときの大会名に使われ、それ以降のドーム大会にも「闘強導夢」が付けられる機会が多かった。いまの新日本プロレスファンは1月4日の東京ドームといえば「レッスルキングダム」のタイトルがおなじみですけど、この「闘強導夢」というのはですね、旧世代にとっては複雑な思い出が詰まったものなんです。

「闘強導夢」時代の東京ドームは、ある意味で覚醒剤を打ち続けていたようなもんですからね。 東京ドームという箱の大きさや客席からリングまでの距離からすれば、やってるほうも見てるほうも何か狂ってないと成立しない。ありえない会場で興行をやり続けたことで90年代・新日本プロレスは軌道に乗る一方で、地獄を見ることになります。

記念すべき東京ドーム初進出の目玉はなんだったのか。それまで西側諸国とは政治・経済などで交流がほぼなかった旧ソ連から柔道家やレスラーを連れてきて、なんとプロレスをやらせたんですよ。30年以上前にとんでもないことやってますよね(笑)。

麻薬感を決定的にしたのは1990年2月10日です。2回目のドーム大会は興行的に破綻寸前で、まったくチケットが売れず各方面に招待券をバラまいていたんです。やっぱり旗揚げ戦みたいな1回目とは違って、プロレスファンに「いざ鎌倉!」感がなかった。ところが直前で全日本プロレス勢が参戦することで、プロレス格闘技史上最大の対抗戦が実現したことでドームはフルハウスになります。いまでいえばRIZIN大晦日に武尊らK-1軍団が参戦する以上のインパクトがあったんですよ、本当に。プロレスファンが長年待ち望んでいた禁断の扉が破られたことで、東京ドームという会場がプロレスの奇跡を見せる場所になった。東京ドームは「プロレスのビッグマッチを見に行く」箱としてブランド化していったんです。

その期待に応えるべく新日本は次々にド級の企画を東京ドームに放り込んきます。

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