アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマはデスマッチカメラマン “バーニング・ハンマー・フォトグラフィー”です!


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「いつか必ず一緒に日本へ行こうな!」

日本のプロレスが大好きな17歳の少年2人は、いつ実現できるかわからない夢をいつも語り合っていた。それから14年経った今年の8月22日、31歳になった “あの日の少年たち” の姿は、東京・新木場ファーストリングのGCW日本大会の会場にあった。ひとりはプロレスラーとして、もうひとりはカメラマンとして。

 今から16年前、ペンシルバニア州のスモールタウンで行われていた高校対抗アメリカンフットボールの試合会場に15歳のドリュー・コワレスキーはいた。ひょんなことからその相手高校の生徒トニーと知り合うと、お互いの趣味がスケボーや音楽、そしてプロレスであることがわかりすぐに意気投合。パンクバンドを結成するなど青春を分かちあった。それと重なり合うようにして、プロレス熱も増していき、ドリューはトニーと共に地元ペンシルバニア州にあるローカル団体PCWA主催のプロレススクールへと入門した。21歳のときだった。

 リングネームをドリュー・ケイオスとし、親友トニー相手にプロレスデビューを飾った。しかし、その後は試合が頻繁にあるわけでもなく、小さなローカル団体のリングに上がる程度。その頃から、もともと好きだった “写真を撮ること” を愉しみたいと、一眼レフカメラを手に入れ、車や廃墟化した建物などを撮り歩くようになった。2015年6月、CZWの野外デスマッチトーナメント大会「TOD14」でのことだった。客席から撮影した写真が自画自賛するほどいい写真だった。プロレス会場で撮影することが思いのほか楽しかったうえに、一緒に観戦していたトニーからも写真の腕前を褒められた。

「これが自分のやりたいことなんだ!」

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