世界最大女子MMA団体Invictaのデビュー戦に備え、現在アメリカで生活を送る村田夏南子がRIZIN.15に電撃参戦するため緊急帰国! 直前のオファーもなんのその、見事な一本勝ちで快勝後にインタビューしました(聞き手/松下ミワ)
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――今回のRIZIN.15はかなりの緊急参戦になりましたね。
村田 はい、やっと時差ボケが治ったぐらいかもしれないです。
――あ、まだ時差ボケすら完全に解消できてない(笑)。今日は試合の翌日ですけど。
村田 フフフフ。いまも少しだけボーッとしてます。
――今回、真珠・野沢オークレア選手のケガによる欠場で村田選手が急遽参戦となったわけですが、最初に話があったのはいつだったんですか?
村田 オファーが来たのがアメリカ時間の16日でした。翌日の17日には日本に発った感じですね。
――本当にバタバタだったんですね!
村田 はい。だから、あっという間でした。日本に来てかあも、時差ボケで眠れず、そのまま試合をして、今ここにいる感じです。
――そういう状況を想定しつつも、オファーが来たきときには二つ返事でOKしたと?
村田 ………………。
――さすがに躊躇しますよね(笑)。
村田 フフフフ。今回試合をしてみて、結果は勝ちましたけれど、やっぱり身体をつくって、心を引き締めて試合に臨まないとダメだなと思いました。
――それでも、試合は肩固めで一本勝利という、本当に完璧なパフォーマンスでした!
村田 うーん、自分の中ではあんまり満足いく試合じゃなかったんですけど……。練習してきたことがなかなか。出せなかったなと思ってます。
――もともとは6月のInvictaに向けてトレーニングされていたわけですもんね。
村田 はい。6月の試合に向けてこれから食事も身体も心もつくっていこうとしていたし、コーチも「ミットのペースを増やしていこうか」という感じだったので。
――でも、今回の試合は打撃がかなり光っていて、また一段と強くなっている印象で。そこはやっぱりアメリカ修行の成果があるのかなと思ったんですが。
村田 いま自分がトレーニングしているCSA(コンバット・スポーツ・アカデミー)は打撃が上手な選手がたくさんいて、総合の選手だけじゃなくてムエタイの選手も多いんですよ。しかも、そのジムの打撃コーチは、UFCチャンピオンのヘンリー・セフードに打撃を教えたコーチなんですよね。
――おお! ヘンリー・セフードもレスリング出身だから、状況としては村田選手と近い感じですね。試合では左フックがバコンと当たりましたし、グラウンドでの蹴りも冴えわたりました。
村田 でも、あんまり面白い試合はできてなかったなって。最後は相手を持ち上げることができたんで、ぐるぐる回してバンッと落とそうと思ったんですけど、相手の腕がギロチンチョークみたいなかたちになりかけたから、そーっと降ろしてしまいました(笑)。
――ただ、リングに落としたあとは、相手がタップできないほど高速で絞めた感じだったんですか?
村田 どうなんですかね? 自分も相手が落ちていると気づかずに絞めてて、レフェリーが止めたんでうれしくて騒いでしまったんですけど。でも、まだまだでしたね。
――そんな試合の中で、何度か村田選手が得意のテイクダウンを奪うシーンがありましたが、タックルだけじゃなくて、柔道の足技で倒すシーンもあって。村田選手はレスリングのイメージが強いですけど、一番最初に触れた格闘技は柔道だったんですよね?
村田 はい。3歳からですね。愛媛に棟田道場というところがあるんですけど、そこでお祖父ちゃんが柔道を教えていて、物心着いたら勝手にやっている感じでした。
――お祖父ちゃんも相当強かったんですね。
村田 まあ、柔道の選手でしたね。でも、お祖父ちゃんは戦い全般というか、プロレスも好きで。自分もよくプロレスの会場に連れて行ってもらいました。愛媛にプロレスが来たら「絶対に観に行く!」という人で、ノアとかけっこう一緒に観に行ってましたね。
――村田選手もプロレスは好きだったんですか?
村田 『週プロ』を買って読んでました!
――上級者なわけですね(笑)。
村田 自分は新日本プロレスのほうが好きで、田中稔さんとか、新人の頃の棚橋弘至さんとかを見てましたね。
――そんな熱いお祖父ちゃんに柔道を教えてもらって。
村田 最初の頃はずっと柔道の練習がイヤで。やりたくなかったので、やりやらされている感じでした。
――かなり厳しかったんですか?
村田 はい、それはもう厳しかったです。柔道は好きだし試合もしたいんですけど、練習がとにかく嫌いで。でも、お祖父ちゃんが癌になって道場で教えるのを辞めたときに、べつの道場に移ることになったんですよ。それが小学校4年生ぐらいだったんですけど、そこで浅見八瑠奈さんという方に出会って、もう一瞬で「この人みたいになりたい!」と思いました。
――浅見八瑠奈さんはオリンピックこそ出場していませんが、女子48キロで世界選手権優勝など凄い実績の方ですね。
村田 はい。その人のことを見ていると、誰も見ていないところでも黙々と自分のやることをこなしたりして「こんなに練習しなきゃ勝てないんだな」と思いました。それからは、すべてにおいて浅見さんの真似をするようになって。浅見さんは練習が終わると、道衣とかも凄くキレイにたたんで、バッグに入れる前にちゃんと袋に包んでいたんですけど、そういうのも全部真似してました。
――村田選手は小学校時代に全国大会3位という結果を残してますが、それも浅見さんのいる道場に移ってからだったんですか?
村田 そうです。だから、やっぱり浅見選手と同じことをやったら強くなったし、同じことをやり続けたいと思いました。
――柔道で結果が出ることに関しては、やっぱりうれしかったですか?
村田 結果が出る……というか、結果は出ていないですね。あと一歩のところで全国優勝を逃したりとかだったので。
――えっ! 全国3位はかなりの結果だと思うんですけど。
村田 うーん、まあ自分も階級を下げればよかったんですけどね。小学校時代って45キロ以下と45キロ以上の2つしか階級がないんですよ。自分はどっちでもよかったんですけど、やっぱり小さい階級の人よりも、大きい人たちとやりたくて。そっちのほうが絶対に強いと思ったので、5年生、6年生はそっちの階級でやっていたんです。
――でも、正直45キロもなかったんじゃないですか?
村田 だから増やしました。そのときはぜんぜん体重が増えなかったんで、お母さんが体重を増やすためにご飯の中にもち米を混ぜて。それが凄くイヤだったんですけど、毎日1時間ぐらいかけながら大量のご飯を食べてましたね。
――新弟子ばりにガンガン食えと(笑)。
村田 それでやっと45キロは超えて。でも、ほかの子は100キロの子とかもいました。
――重いほうの階級で戦うというのは、意地だったんですか?
村田 浅見さんみたいに強くなりたいと思っていたので。
――当時から強さに対する憧れが強かったんですね。
村田 はい。自分は5歳上の姉がいるんですけど、取っ組み合いのケンカをしていましたし。お姉ちゃんも柔道をやっていて、自分が小学校5年生のときには向こうは高校生だったんですけど、柔道で投げられたりするとすっごい悔しくて。姉ちゃんが自分のことを投げて、後ろ向いた瞬間にお姉ちゃんにタックルしたりしてましたね(笑)。
――相当、負けん気が強かったんですね! そこから中学校でも柔道を続けて。
村田 当時は愛知県の大成中学校というところが女子の柔道部を立ち上げるということで、そこに熱心な先生がいて。その先生に「うちの学校でやらないか」と声を欠けていたいだいて寮に住んで柔道をやってました。だから、中学時代は学校前に朝練して、ご飯を食べて、授業を受けて、夜も練習してという毎日でした。
――逃げ場がないですね。
村田 でも、当時は練習しないと勝てないと思っていたので。そういうのがあたりまえというか、習慣になってました。ホームシックとかも全然なくて。今回、アメリカに住んで練習するとなったら、さすがに寂しかったですけど、中学校のときは何も思わなかったです。
――そして、中学校では全国中学校柔道大会52キロ級で優勝するわけですね。
村田 それが中学校の2年のときだったんですけど、うれしかったですね。
――ところが、柔道で全国優勝したにも関わらず、高校ではいきなりレスリングに転向しています。それも柔道のルールが変わったのがきっかけだったとか。
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