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元「東京スポーツ」の記者で北尾光司の担当だった柴田惣一さんが謎多き元横綱、プロレスラー北尾を1万字で語ります! 


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――
北尾光司さんが今年の2月10日に亡くなっていたことが明らかになりました……。

柴田 先日、Dropkickでの小佐野(景浩)さんとの対談で北尾さんの話をしたばかりだったのにね……。

【時代とプロレス論】北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩

柴田 でも、じつは2月頃から、そういう噂は何度も流れてきていたんですよ。

――
あっ、そうだったんですか?

柴田
 2月10日に亡くなったあとだったのかなあ、北尾さんが「死んだんじゃないのか……」という話が流れてね。いろんなところに確認したんだけど、何か嫌な予感がして、ボクもそこまで真剣には裏取りはしなかったんですよ。何度も何度も、そういう情報が出てきたから、かつて北尾さんのマネジャーで島田(十九八)さんという方に何回か連絡したんだよね。

――
梶原一騎の映画製作会社・三協映画のプロデューサーだった方ですね。

柴田
 いま思うと島田さんはご存知だったのかもしれない。家族の方が「四十九日が終わるまで公にはしたくない」ということで、島田さんも口にはできなかったんじゃないかなあって。

――
報道されたのは四十九日明けでしたね。

柴田
 島田さんのところには、いろんなマスコミから問い合わせがあったみたいで、ボクに「◯◯新聞社から問い合わせがきたよ」「□□テレビが……」とか電話をくれるんです。島田さんからすれば「気づけよ」というサインだったんじゃないかな。

――
どうせなら北尾さんの番記者だった柴田さんに一報を報じてほしいということだったんですかね。

柴田
 まあ、番記者としてずっと付き合ってきたからね。ボクも薄々「亡くなっているんだろうな……」とは思ったんだけど、なんか信じたくなくてね。それにいまは新聞社の人間でもないし、ご家族にイヤな思いをさせてまで情報を抜いてもね。

――
葬儀は奥さんと娘さんの2人だけで行われたそうなんですよね。

柴田
 それもご本人の意向だったんだろうな。最後まで世間から消えて生活されていましたよね。あんな身体の大きな人が世間から隠れられるとは思えないんだけど。いまの時代、絶対にどこからも逃げられないからさ。病院に入院していたとしても、ジャイアント馬場さんが亡くなったときだって、病院関係から情報が漏れちゃったわけだから。「隠そうと思っても隠せない」と思っていたんだけど。

――
橋本真也さんが亡くなったのも、病院関係から漏れてマスコミに伝わったみたいですもんね。

柴田
 病院なんてお医者さんや看護師さんだけじゃなく、外来の患者さんや出入りの業者さんなんかもいるわけだから。

――
ここまで徹底して外界と遮断するって、やっぱり本人に強い意志がないと難しいですよね。

柴田
 本当に表に出るのがイヤだったのかなあ。相撲界からもプロレス界からも、いろいろ言われていたわけじゃない。そういうこともあって、世間に対して不信感みたいなのがあったのかもしれないね。

――どうせ自分のことをわかってくれるわけでもないと。

柴田
 北尾さんが新日本プロレスに参戦したときに所属していた芸能事務所アームズの富岡(信夫)さんとも話をしたんですよ。彼も亡くなっていたことを全然知らなくてね。富岡さんは北尾さんとケンカ別れしたわけじゃないんだけど、新日本と揉めてやめたときから関係が終わっちゃって。結婚式にも呼ばれてなかったんだって。

――
北尾さんって、自分の過去をバッサリ捨てちゃう……というような感じだったんですね。

柴田
 そうかもしれない。結婚式なんて豪華だったけど、大相撲関係の方はいたのかな? プロレス関係だって東スポの社長と部長とボク、あとはベースボールマガジン社も誰かいたかなあ。奥さんのほうからはいっぱい来ていたけど。天龍(源一郎)さんもいなかったし、新日本で仲の良かった藤波辰爾さんや坂口征二さんなんかも「なんで呼んでくれなかったのかな」って。二次会なんて、新郎側はボク一人だった。

――
北尾さんの人脈からすると、その少なさは考えられないですね。

柴田
 プロレスもやめて格闘技も引退して、立浪部屋のアドバイザーになったじゃない。そのときに、富岡さんのところに「もう一回マネジメントやってくれないか」という話があったそうです。でも当時は富岡さんが経営するアームズという会社もなくなってたし、「違う会社にいるからできないよ」と断ったらしいんですよ。で、「何をしようとしているの?」と聞いたら「ジムをやりたい」と。詳しい話をいろいろ聞いていたんだけど、なにか話が噛み合わないらしいんだよね。だから「何のジム?」と聞いたら、「奥さんの病院の事務」だって。

――
えーー!?

柴田
 奥さんが開業するから「そこの事務員でもやろうかな」だって。それがちょうど、立浪部屋にアドバイザーとして戻ってきた頃だったらしい。あとは、何年か前にどこかで杖ついてタクシーに乗るのを見たというのは聞いたことがあったんだけど。

――
本当に情報がシャットアウトされていたんでしょうね。

柴田
 見事な情報統制だよね。

――
東スポの記者時代、柴田さんは北尾さんの相撲時代から追われていたんですか?

柴田
 いや、北尾さんがプロレスに転向して「ルー・テーズの道場に行く」というのがあったじゃない。そのときが北尾さんとの初対面だったから、北尾さんが相撲を辞めた真相とかは、直接、取材してないし、現場にいたわけではないですね。

――
北尾さんの廃業の件をボクなりにいろいろ調べたんですが……当時横綱だった北尾さんが相撲をやめるきっかけになった女将さんへの“暴力事件”というのは、じつは北尾さんは暴力は振るってなかった……という話をあちこちから聞いたんですよ。

柴田
 それは絶対にそうだと思う。さすがに「女性には手を出さない」って。あの身体で本当に蹴っ飛ばしたり、殴っていたら大ケガするよ。もしかしたら、何かの拍子に腕を振り払ったりしたのかもしれない。仮に女将さんがそんなことがあったとして、普通なら部屋の女将さんは弟子をかばうでしょ。

――
部屋の不祥事ですもんね。しかも横綱ですよ。

柴田
 たとえ親方とのあいだに問題があったとしても、女将さんが調整役になるよね、普通は。だけど、そういう情報が容易に漏れたというのもおかしいよね。

――
そして北尾さんが暴力を振るった際に「あんなちゃんこが食えるか」と怒鳴って立浪部屋を脱走したという話になっていますが、その言葉の真意はべつなところにあったか。

柴田 そうなんだよ。ボクが聞いた話では、ちゃんこ代なんかは当然部屋が出すし、タニマチも肉とかいっぱい差し入れしてくれるんだけど、立浪部屋にはそういう付き合いが、あまりなかったらしい。当時の立浪部屋では横綱だった部屋頭の北尾さんが、ちゃんこの材料費とかも、一部出していたらしいんだよね……。で、北尾さんが別の部屋に出稽古に行ったときに「ちゃんこ食っていってください」となって、食べたら「こんなうまいの!?」と驚いたらしいよ。

――
ああ、「あんなちゃんこが食えるか」に繋がってきますね。<1万字インタビューはまだまだ続く!>
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