18日に発売された『Dropkick vol.9』、ツイッターを見ると僕が担当した柳澤健さんのインタビューも好評なようで嬉しい限りだ。巻頭のUFC特集では、大沢ケンジが岡見勇信vsヘクター・ロンバートについて書いた記事が秀逸。練習仲間だからこそのインサイダー視点も交えつつ、岡見のどこが強く、あの試合の最終ラウンドでなぜピンチになったかを冷静に分析している。
『Dropkick』の特徴の一つは異色の対談記事。その点でも、今号はすこぶる刺激的だった。特に印象深いのは佐藤大輔氏と評論家・速水健朗氏の対談だ。
大の格闘技ファンである速水氏が佐藤氏の煽りVを褒めまくり、佐藤氏が照れまくるというこの対談。若手論壇の話から始まり音楽について、エヴァンゲリオンについて、さらに小沢健二についてと展開。90年代から00年代のカルチャー史の流れで煽りVを語ろうという試みでもあり、読みながら頷きまくった人も多いんじゃないか。
ただ、そんなスイングしまくった対談の中で、少しばかり噛み合わない部分も出てくる。自身を“煽りV至上主義者”だという速水氏は佐藤氏の仕事とその功績を嬉々として語る。佐藤氏もその語りに応えていくわけだが、しかし褒められれば褒められるほど、佐藤氏としては嬉しい半面、居心地の悪い感じもあったりするようなのだ。それが照れにもつながってるんだと思う。
なぜ、嬉しいけど居心地が悪いのか。佐藤氏はこう語っている。
“俺は要するに「PRIDEを引きずった人」って言われるのがいま一番しんどくて。「エヴァしかできないんだろ、庵野秀明」もそうだし”
対談の中でも語られているが、たぶん佐藤氏には「PRIDEのあの感じでお願いします」というオファーが山ほど来るんだと思う。代表作だから当然のことなんだけど、作る側としてはジレンマだってある。さらに佐藤氏は言う。
“これにこの曲をかけてこの映像を持ってくれば一丁上がりっていうことがわかってるから。それをやってると、自分自身がすり減っていく感じがするんですよね”
“PRIDEより面白いことを見つけてないと思われるのがイヤなんですよ”
これはわかる。二つの意味でわかる。一つはファンとして。やっぱりPRIDEはそれだけ大きな存在だったし、代表作というのは自分ではなくファンが決めるという部分がある。そこに個人の思い入れも乗っかる。僕に関して言うと、新譜をロクに聴きもしないで「やっぱエレカシは初期だよなぁ」とか平気で言っちゃったりするのである。こないだ見に行ったライムスターのライブでは、「凄え楽しかったけど、でも『B-BOYイズム』やってくれたらもっとよかったなぁ」とか。……すいません、なんか。
で、もう一つの意味だ。何かしらのシーンというか現場というか、そういうものに現在進行形で関わっていると、やっぱり気になるのは過去じゃなくて現在と未来だ。“いま、それを求められても焼き直しにしかならないし、いまのシーンにはそぐわないんだよね”ってことはあるだろう。“あの感じ”を繰り返していても、自分の成長はない。楽なんだけど“楽してていいのか”とも思ってしまう。ニーズと挑戦のバランス。それはすべての“作り手”に課せられたテーマだ。チャップリンが「あなたの最高傑作は?」と聞かれて、「NEXT ONE(次回作だよ)」と答えたという有名なエピソードもある。
過去をどれだけ評価されても、いまを見据えなければ。未来を考えなければ。その感覚は、次のページから始まる平野啓一郎氏(小説家)と笹原圭一氏の対談にも共通している。
平野氏はPRIDEについて語りたいのである。あのときの熱、あのときの興奮を。でも笹原氏の興味は、あまりそこにはない。笹原氏の言葉に熱がこもるのは、やはりいまと未来について語るときなのだ。大晦日の川尻達也vs小見川道大の“難しさ”について。ネット中継の可能性について。それに大会場でのビッグイベントにまつわる“金属疲労”について。現場にいる以上は、いまと未来について考えるしかないのだ。
もちろん過去の話についてもいいエピソードがいろいろ出てくるから、この二つの記事は“PRIDEの話が読みたい”というファンのニーズにも応えている。しかしそれだけで終わってしまわないところに、佐藤氏と笹原氏、編集サイドの意気込みと狙いがあるんだろう。
佐藤氏と笹原氏の“NEXT ONE”に期待したくなる。そういう意味で、いい記事だったと思うのだ。
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Dropkick編集部
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