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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「すべてはダイナマイト・キッドから始まった」です! 




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――今回のテーマは、先日12月5日の誕生日に60歳でお亡くなりになったダイナマイト・キッドさんです。

フミ ダイナマイト・キッドは引退後してから車椅子の生活を送ってましたが、現役時代から「あんなに激しいプロレスをやっていたら、いずれ最後は身体がボロボロになってしまうだろう」と言われていたんです。実際にそのとおりになってしまったんですね。キッドの身長は173センチと発表されていましたが、プロレスではよくあることなんですけど、実際よりも高く公式発表しているケースが多い。キッドの本当の身長は170センチくらいだったかもしれないんですが、公式プロフィール上の身長が173センチとなっている有名なプロレスラーは2人いて、獣神サンダー・ライガーと、そして初代タイガーマスクの佐山聡なんです。

――おお〜!

フミ キッドの宿命のライバルだった初代タイガーマスクと、その後のジュニアヘビー級を支えたライガーと身長が同じだったのは運命的ですよね。

――キッドはあの小さい身体でヘビー級のレスラーとも渡り合っていたということですね。

フミ キッドが活躍した80年代のWWEはステロイドの時代でした。ステロイドでパンパンに身体が膨らんだレスラーの典型例として、ダイナマイト・キッドの名前は挙がりますが、彼が84年にWWE入りしたときに周りのレスラーたちがあまりにも身体が大きかったので、キッドも大きくせざるをえなかったんでしょう。

――時代の渦に巻き込まれたと言えるんですね……。

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フミ 91年に全日本プロレスで引退したキッドは、93年に復帰しますが、最後に日本で試合をしたのは96年10月みちのくプロレスの両国大会でした。そのときはドス・カラスと小林邦昭とタッグを組み、初代タイガーマスク&ミル・マスカラス&ザ・グレート・サスケと対戦する6人タッグマッチだったんですが、かつて筋肉でパンパンに膨れ上がっていた身体はガスが抜けたように細くなっていて。体重はもう70キロくらいしかなかったと思います。

――全盛期の肉体を知っているだけに、あの細りきった姿はショッキングでしたね……。

フミ WWEでは従兄弟のデイビーボーイ・スミスとブルディッシュ・ブルドッグスというタッグチームを結成していましたが、デイビーボーイも身体をパンパンに大きくしていたんです。あの時代の流れにキッドも翻弄された面もあったんだと思います。身長を伸ばすことはできないけど、体重は増やせる。あの当時のWWEはハルク・ホーガンの時代です。ホーガンの挑戦者はキングコング・バンディやビッグ・ジョン・スタッドやビッグ・ボスマンであったり、一番の名勝負は『レッスルマニア3』のアンドレ・ザ・ジャイアント。

――大男や筋肉マン同士の対決がメイン。ジュニアヘビー級というカテゴリーがなかったWWEのリングでキッドは身体を大きくして闘っていたんですね。

フミ ダイナマイト・キッドの全盛期はそのWWEの時代ではなくて、やっぱり初代タイガーマスクと闘った81年から83年の頃なんです。彼は1958年生まれ。その年に誰が生まれているかといえば、スティング、レックス・ルーガー、スコット・ホール。57年生まれでいえば、ホーク・ウォリアー、ブレット・ハート、ケビン・ナッシュ。いま名前が挙がった彼らの全盛期は90年代ですよね。80年代前半に全盛期を迎えたダイナマイト・キッドというレスラーは早熟型。年齢でいえば20代前半の頃だったんです。

――20代前半であのハイレベル!


フミ デビューも15歳と早いんです。1973年にイギリスで、ビッグダディというイギリスのジャイアント馬場さん的存在のレスラーに「ダイナマイト・キッド」というリングネームを付けられました。このリングネームほど、漢字に当てやすいものはないですよね

――「爆弾小僧」ですもんね。

フミ キッドはイギリスで闘ってるときに、カナダのカルガリーから遠征してきたハート一家の次男ブルース・ハートに発見されたんです。ブルースはお父さんであり、カルガリーのスタンピード・レスリングのプロモーターのスチュー・ハートに「イギリスに凄いレスラーがいる」と報告したんですね。こうしてキッドはカルガリーに呼ばれたんですが、その身体のサイズを見たスチューは「えっ、これがプロレスラーなのか?」と驚いたそうなんです。

――こんな小さい身体で大丈夫なのか、と。

フミ 当時のカルガリーで人気のあったレスラーはモンゴリアン・ストンパーやキング・カーティス・イアウケアやキラー・トーア・カマタ、アメリカから遠征してくるアブドーラ・ザ・ブッチャー。身体の大きいレスラーたちだったんです。というのはカルガリーの観客は林業や炭鉱、牧場で働いてる肉体労働、ブルーカラー層が多かったので、身体の大きいレスラー同士の荒っぽいプロレスが好まれていたんですね。しかし、ダイナマイト・キッドがカルガリーで活躍することによって、日本でいうところのジュニアヘビー級にあたる、ミッドヘビー級のタイトルが作られることになったんです。

――その後、世界中のプロレスに影響を与えることになるカルガリースタイルは、ダイナマイト・キッドのカルガリー登場から生まれたんですね。

フミ キッドはその実力でカルガリーという土地のレスリング・スタイルを変えてしまったばかりか、いまのプロレスに繋がる革命を起こしてしまったんです。<会員ページへ続く>
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