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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長
小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は東京スポーツの名物記者として活躍し、テレビ解説者としても有名な柴田惣一氏をゲストに迎えてお送りします! 12000字のプロレスマスコミ大御所対談!! 




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――
小佐野さんと柴田さんがいつからのお知り合いなんですか?

柴田 もう長いよね〜。ボクは1982年に東京スポーツ入社ですよ。

小佐野 俺は先に『ゴング』でアルバイトでやってたけど、その当時は月刊誌の編集者だったから、毎日張り付いている新聞記者とはスタンスが違うわけだよね。会場に頻繁に顔を出すようになったのは1984年に『週刊ゴング』になってからで。

柴田 東スポに入った最初の頃は忙しくて周りを見る余裕がなくて。しばらくしてからいろいろ話をするようになったんだよね。

小佐野 あとから『ゴング』の全日本担当として現場に行くようになったでしょ。柴田くんは馬場さんと並んでニコニコしゃべってるから凄いなあと思ってね。こっちは馬場さんに全然相手にされなかったんだから。口も聞いてくれないし。

柴田 そうだっけ?

小佐野 そうだよ。馬場さんには話しかけても適当にあしらわれる。からかわれるというか、まともに取材を受けてくれない。本当に困っていたら、そのシリーズのオフに初めて「小佐野くん」と普通に接してくれるようになった。馬場さんは1シリーズだけ新人記者の様子を見ていたってことだよね。

柴田 ああ、それはわかる。馬場さんは敵か、味方かを分ける人だから。いったん認めると凄くフレンドリーなんだけど。 

――当時は試合がないときでも、新日本や全日本の事務所にそれぞれ担当記者が詰めていたんですよね。

柴田 そうそう。担当記者が事務所に詰めていたし、我々の時代は事務所の出入りが自由だから。

小佐野 いまは新日本の事務所に取材に行っても、入館証を持っていないからトイレにだってひとりでは行けないんだよね(笑)。

柴田 ハハハハハハ。

小佐野 昔は社員の机の上に重要資料とかがポンと置いてあったりするわけだから(笑)。ハッキリ言って会社としてどうかとは思うけどね。

柴田 ボードには切符が何枚売れているとか実数が書いてあるしね。それは団体が我々のことを信頼していたっていうことでもあるんだけどね。

小佐野 まあこっちも余計なことは書かなかったから。

柴田 あの頃はプロレスマスコミしか集まってなかったからね。いまはプロレス以外のマスコミも取材に来るわけでしょ。あんな自由に出入りさせるわけにはいかないよね。外には出したくない機密情報もあるよ。

小佐野 昔は会場の控室にも自由に入れたし。自由とはいっても、そのレスラーによってハードルはあるんだけどね。

柴田 控室で石油ストーブにあたりながら、猪木さんや坂口さんらと普通に茶飲み話できてたから。ある時点になったら、我々は控室から出て行く。

小佐野 そこは阿吽の呼吸。「そろそろ出ましょうか」と。

柴田 そういう信頼関係があったんだけど、あるときからガラリと変わったよね。

小佐野 新日本は長州さんが現場監督になってから。全日本の場合はしばらくOKだったんだよ。三沢光晴体制になってもオープンだったんだけど、NOAHになってから現場を仕切るようになった小川良成が「これがマズイ」ということで厳しくなった。
 
柴田 そこはね、FMW時代の大仁田(厚)選手が良くも悪くも変えちゃったところはあったよね。大仁田選手がマスコミを抱え込むために、いろんな情報をどんどんしゃべるようになっちゃったんですよ。「◯月◯日に何か事件が起こるよ」とかね。

小佐野 FMWからすれば会場へ取材に来てもらいたいからね。『ゴング』の編集部にも電話があったんだよ、「ここで何が起きますから、ぜひ取材を」って。当時の新日本や全日本はテレビマッチのときは会場取材してたんだけど、テレビ放送のないFMWがどうやってマスコミに来てもらうかといえば、事前に何かが起こるって先に伝えるしかないんだよね。

柴田 そうすると新日本・全日本になかなか踏み込めなかったマスコミは、FMWを応援するようになるよね。

小佐野 そのFMWも大仁田が離れてからエンタメ路線になって、プロレス以外のマスコミが取材に来るようになったから、さすがに冬木弘道が「これはマズイ」と。プロレスを知ってる人間だけならいいけど……ってことで一時期、規制を設けた。

柴田 それが古き良き時代だったかどうかはなんとも言えないけども、まあそういう時代でしたよね。

小佐野 ネタが欲しいときには道場に行って一緒にチャンコを食べればいいし。

柴田 そうそう(笑)。事務所に行くか、道場でチャンコを食べるか。

小佐野 チャンコの味のリクエストなんかもしちゃったりね(笑)。当時はシーリズオフになっても、『ゴング』は週に1冊作らなきゃいけなかったからね。選手を連れ出して変な特訓をやったり。

柴田 わけのわからないことをやらせたよね(笑)。

小佐野 当時は携帯なんかなかったから、選手の家に電話するしかない。選手の奥さんが電話に出ちゃったりしてね。

柴田 選手との付き合いはダイレクト。当時は団体も何も言わないわけですよ。

小佐野 ああ、じつは週刊誌の場合はそうじゃなくて、全日本は許可がないと取材するのはダメだったんだよ。

柴田 ああ、そう。

小佐野 会場での取材は自由だったから、電話で取材したんだけど、会場で話を聞いたことにしてね(笑)。

柴田 ああ、なるほどね。

小佐野 元子さん(ジャイアント馬場夫人)にいろいろ言われたけどね。「控室でこんなに長く話をしてた?」って(笑)。全日本がうるさくなったのは、輪島さんが入団してから。元横綱のプロレス転向ということで、一般マスコミも全日本に取材に来るようになっちゃったからね。団体側からすれば勝手に取材されるのは困るし、どうしても原稿チェックしたくなるわけですよ。

柴田 でも、新聞の場合はいちいち許可をもらってる時間はないからね。

小佐野 そこは週刊誌からすれば羨ましかったよね。プロレス界自体がチェックを厳しくやり始めたのは、UWFインターの宮戸(優光)くんからだよね。彼は原稿チェックが厳しかったから。

柴田 新聞の場合はそんな面倒なことを言われたら「じゃあ、載せませんから」って感じだったし。

小佐野 まあそうなるよね。あの原稿チェックによって高田延彦は非常につまらない男になっちゃったんだよね。高田延彦の地が出たのは『ハッスル』に入ってからですよ(笑)。昔から面白い男だったんですけどね。

柴田 選手を変にガードをしちゃダメってことだよね。

小佐野 なるべくその選手の口調は残したいわけじゃない。「俺」が「私」に変えられちゃうだけでも硬い内容に見えちゃうから。 

柴田 そこは「こっちに任せてくれ!!」って言いたくなるよね。こっちは普段から話を聞いてるから、あらためて取材しなくても選手が何を考えてるのかはわかるから。

小佐野 いまは団体のチェックもあたりまえだし、けっこう大変だよね。

――選手もSNSで直接、発信できちゃう時代でもありますしね。
 
小佐野 あの長州現場監督時代の厳しい中でも、選手はみんな言いたいことは言ってたんだけどね。

柴田 とくに規制があったわけじゃなくて、選手が自己主張するのはOKだったよね。

小佐野 それが本当に面白かったら、あとから長州さんが追っかけてくる。

柴田 うん、面白かったら長州さんも一緒に走るんだよね。

小佐野 でも、長州さんはNOなものは絶対にNOだから怒っちゃうこともある。そこは選手たちも勝負だから、マスコミの力を借りて一か八かで発信する。長州さんが面白がるか、怒られるか。

柴田 紙面を通じて長州さんの顔色を伺う……っていうのはあるよね。

小佐野 新日本時代の大谷晋二郎がクビになりかけたときがあったでしょ。あのときは長州さんが大仁田とやる・やらないが話題になっていて、それがスーパージュニアを開催している時期だったから、大谷がキツめの批判をしたんだよね。それに長州さんは怒っちゃって「オマエはクビだ!!」と。大谷も「じゃあ、やめます」って巡業先から帰っちゃった。 あの佐々木健介が必死に大谷をなだめるというね(笑)。

柴田 西村修選手も長州さんとは相当揉めたよね。そこは勝負してたんですよ。

――紙面を通じてキャッチボールをすると。

柴田 基本的にガチンコですよ。もともと流れがあるものもあるけど、ガチンコから流れが作られるのもあるし。そこは周囲の反応を見ながら動いていく。それは猪木流ですよね

小佐野 それでいえば、全日本が東京ドームでやったときに藤波さんが「出たい」と言い出したんだよね。あの人はあまりしゃべるのがうまくないでしょ。こっちが藤波さんの言いたいことをうまく書いてあげたんだけど、その発言が新日本で問題になって会議が開かれたときに、藤波さんは自分のインタビューが載った『ゴング』を持ち出して「ボクが言いたいことはこれです!」と(笑)。

柴田 選手がなかなかうまく言えないときは、マスコミがサポートしてあげるってことだよね。東スポを読んで「あー、俺がやりたいことはこれなんだな」って納得する選手はいたんですよ。武藤選手なんかもそうでしたよ(笑)。そこは持ちつ持たれつの関係。

――蝶野さんも東スポの使い方はうまかったですよね。

柴田 いまの内藤哲也選手なんかは蝶野選手みたいなやり方ですよね。

小佐野 内藤もあの反逆さが売りになってるわけだから。昔で言えばアントニオ猪木というプロレスラーのイメージは、東スポの桜井康雄さんが作ったようなもんだし。

柴田 もちろんその選手の面白くないと、いくらマスコミが盛り上げてもスターになれない。マスコミが魅力を引き出してあげるということだね。

小佐野 天龍革命もそうだったよね。天龍さんが自分で団体やマスコミを動かしたのが天龍革命の面白さで。長州さんたちが新日本に戻ってしまった。どうするか? 自分がジャンボ鶴田ら本隊とやりあうしかないって阿修羅・原さんとコンビを組んでね。そうやって盛り上がることで、あのジャイアント馬場があとから天龍さんについていくかたちになったんだから。

柴田 天龍革命は全日本プロレスの中では画期的なことだよね。本当の革命だった。

小佐野 だから俺らマスコミも面白がって応援してしたわけだもんね。でも、マスコミが「天龍、全日本離脱か」みたいに煽ったときは天龍さん本人は内心焦ってたらしいんだよね。「本当に全日本をクビになったらどうするんだ?」って。 

柴田 馬場さんの性格をよく知ってるからね。

小佐野 馬場さんはバッサリと切り捨てる人だからね。紙が売れる、選手も人気が出る、団体のチケットも売れる……うまく進めば八方うまく収まるし(笑)。

柴田 俺らマスコミが「面白い!!」と思ったことは、ファンが「面白い!」とも思うだろうしね。そうすれば団体も乗ってくるだろうし。だから楽しかったですよ。活字メディアが力を持っていた時代だったから。 

――東スポだと毎日記事を書かないといけないですから、大変だったんじゃないですか?

柴田 たしかに毎日書くのは大変。会場に行く前に「今日はこのネタでどうだろう」とデスクと相談してから取材をしてね。ハマればそのネタで書くんだけど、試合を見てからでは遅いよね。

小佐野 柴田くんはとにかくネタを探してたよね。

柴田 亡くなった仲田龍リングアナウンサーとは世代が近いから「何かネタはない?」ってよく話をしたりして。昔のマスコミはリングサイドの本部席の隣に座れたから、そこでリングアナと会話できることは大きかったんだよね。ただ、話をしてる姿をテレビで見た元子さんが怒って、別の場所になっちゃったんだけど(笑)。

小佐野 「何を雑談してるの?」ってことでね。一時期はテレビマッチのときはしゃべらないようにして(笑)。たしかに本部席にの隣に座れるのはマスコミとして大きいよね。リングアナが一番内部情報に詳しいんだから。

柴田 そこで得た情報をもとに選手取材して記事にするわけだよね。選手もいろいろとしゃべりたいことはあるんだけど、勝手には発信はできないから、こっちから聞いてあげて。

小佐野 「こんな話を聞いたけど……」なんてきっかけを作ってあげるってことね。

柴田 選手の結婚話なんて、そういうとこから入手するわけですよ。

小佐野 東スポは結婚ネタを他紙に絶対に抜かれちゃいけないという宿命があったでしょ(笑)。

柴田 大変なんだよ〜。東スポはプロレスメディアの王様じゃないといけないというプライドがあって、結婚は一番最初に記事にすると使命があった。もう必死でしたよ(笑)。

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