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アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマはオリンピック、『ルチャアンダーグラウンド』を経て世界に羽ばたくジェフ・コブです



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1896年の第1回大会以来、108年ぶり2回目の開催となったアテネオリンピック――グアム選手団の旗手として、希望に満ちた精悍な顔で堂々と開会式を歩いていた男は、本当はプロレスラーになるつもりだったのに、いつのまにかレスリングの世界に入り込んでいた。その男は誰であろう、テレビ番組『ルチャアンダーグラウンド』で名を挙げ、新日本プロレスにも参戦経験のあるジェフ・コブである。

当時大学生だった22歳のジェフ・コブ自身を含めて、グアム選手団はわずか4名。陸上選手2名と水泳選手1名。コブはレスリングフリースタイル84キロ級代表だった。残念ながらグアム選手団は、どの色のメダルも獲ることができなかった。

グアム代表のジェフ・コブだったが、実は彼には日本の血が流れている。父方の祖母は熊本からハワイに移住した日本人で、コブはハワイ・ホノルルで生まれた。その後、11歳の時に家族でグアムに移住。高校入学初日にキャンパスを歩いていると、レスリング部から勧誘を受けた。子供の頃から大のプロレスファンで、ハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアー、日本人レスラーでは特に三沢光晴と小橋建太が大好きだったコブ少年は「プロレスができるんだ!」と喜び勇んでレスリング部に入った。
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