<マサ斎藤追悼企画>
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――マサさんはパーキンソン病の関係で、なかなかしゃべりづらそうでしたよね。
小佐野 こっちも慣れたっていうのあるけど、けっこう聞き取れたよ。一度電話でインタビューしたこともあって。そのときマサさんはリハビリ施設に入っていてね。締め切りの問題があって電話取材になったんだよね。
――ボクがマサさんを取材したときも、しゃべってるうちにだんだん饒舌になっていって。取材を受けるのもリハビリの一環だったのかなと。
小佐野 プロレス技の解説をするときなんて身体を動かして身振り手振りだったから。記憶力が凄くてなんでも覚えてるんだよ。もっといろいろな話を聞きたかったなあ……。
――小佐野さんはプロレスファンの頃からマサ斎藤というプロレスラーのことを見てきたんですよね。
小佐野 小学生の頃だけど、マサさんがサンフランシスコでキンジ渋谷さんとタッグを組んでいた試合を『月刊ゴング』で読んでいた。アメリカから帰国して、日本プロレスの第14回ワールドリーグに参加した試合もテレビで見てましたよ。
――どういうスタイルだったんですか? ボクは猪木さんと戦っていた40代の姿しか知らないんですよ。
小佐野 コスチュームは田吾作スタイルなんだけど、反則をしないレスラー。まあそれは日本陣営だからなんだけどね。坂口(征二)さんと明大で同期、レスリングをやっていた……という知識はあったんだけど、毎シリーズに参加するわけじゃないから、あくまで助っ人という扱い。裏を返せば、その年の3月に新日本を旗揚げしていたから、猪木さんに取られないように日本プロレスに参戦させたところはあったんだと思う。もともとマサさんは東京プロレスで猪木さんと一緒にやっていたから。
――マサさんは新日本に参戦する意志はなかったんですか?
小佐野 そのときマサさんはロサンゼルスのミスター・モトさんに世話になっていて。モトさんの意向もあって日本プロレスに戻ったんだって。マサさんとしては猪木さんのいる新日本プロレスに上がりたかったんだと思うよ。面白いのはその日プロに上がってる時期に、猪木さんと坂口さんを裏で引き合わせていたんだよね。
――マサさん仲介役で密会! 当時の坂口さんは日プロで、のちに新日本に合流しますよね。
小佐野 マサさん本人は「3人で食事をしたのはたまたま」とは言っていたけどね。マサさんが猪木さんとメシを食べる約束をしてて、坂口さんに「一緒に行く?」と聞いて。
――それって猪木さんと坂口さんがトラッシュトークをやりあっていたあとのことですよね。
小佐野 うん、そのあと。3人でメシを食ったことが坂口さんの新日本プロレス合流のとっかかりになったんじゃないかな。その件についてマサさんに突っ込んで聞いたら「あー、もう忘れた〜」ってウヤムヤにされたけど(苦笑)。
――3人それぞれ思うところはあっての行動だったんでしょうね。
小佐野 マサさんがいなかったら、猪木さんと坂口さんが2人で会うきっかけもなかっただろうし。テレビ朝日としても日プロの先行きが見えない中、日本テレビが全日本プロレスを放送するようになったから、猪木さんと坂口さんをくっつけようとしていた。そこで意外なのは、坂口さんは合流したけど、マサさんは新日本プロレスに入らなかったこと。
――ああ、そういえば。
小佐野 なぜ合流しなかったかといえば、アメリカで稼いでいたから。
――マサさんらしいですね(笑)。
――そこまで猪木さんの信頼を得ていたんですね。
小佐野 マサさんの話を聞いてると、猪木さんのことが大好きなんだよね。猪木さんのことを絶対に悪く言わないもん。そこはやっぱり東京プロレスが大きいんじゃないかなあ。マサさんと猪木さんはそれからの付き合いだから。東プロが崩壊したあと、マサさんはアメリカに渡ったけど、おそらく猪木さんが道をつけてあげたんだと思う。マサさんとラッシャー木村さんは日プロは除名扱いで戻れなかったから。
――猪木さんは日プロにカムバックできるけど。
小佐野 猪木さんの場合は豊登にそそのかされた若気の至り……という表向きの理由があった。日プロとしては、猪木さんを戻せる状況にしておきたかったんだよ。そこは馬場さんに次ぐエース候補だったしね。北沢(幹之)さんはちゃんと筋を通して日プロをやめてるから復帰できたんだけど、木村さんとマサさんは日プロを脱走しちゃったから。
――そういった若手が二度と出ないように、見せしめじゃないですけども。
小佐野 日プロに戻れたのは猪木さん、北沢さん、東プロでデビューした永源遙さんと柴田勝久さん。木村さんは国際プロレス、マサさんはアメリカに渡るんだけどね。
――猪木さんとの繋がりがあるから、帰国したときのリングは新日本なんですね。
小佐野 フロリダではカブキさんとタッグを組んだり、天龍さんとか全日本系の人との付き合いのほうがあったんだけどね。向こうでどんな試合をしていたのかは私も直接見たわけじゃないんですけど、キンジ渋谷さんとのタッグのときは、トラディショナルな日系ヒール。フロリダはエディ・グラハムがプロモーターでレスリングが好きな人だから、そこではレスリング中心。レスリング、レスリングで最後に悪いことをやる。レスリングとスニーキーのミックスだよね。
――そこはテリトリーにとって使いわけているんですね。
小佐野 「アメリカでの試合を見たことない」と言ったけど、じつは見てるんです。でも、それはマサ斎藤の試合ではなくて……どういうことかというと、初めてマサさんと会話をしたのは81年8月5日の水曜日。なぜ曜日まで覚えてるかというと、マサさんは毎週水曜日にマイアミビーチで試合してたんです。当時のマサさんは火曜日はタンパ、水曜の昼間にタンパでテレビマッチの収録があって、セスナでマイアミビーチに飛んで夜に試合。それが終わったらセスナでタンパに戻って、翌日はジャクソンビル。
――水曜日のマイアミビーチでマサさんと出会ったんですね。
小佐野 マイアミビーチの空港に着いてフロリダのオフィスに電話したんですよ。たまたまデューク・ケムオカさんが出てくれて「マサ斎藤が会場にいるから」ってことだったんだけど、マサさんはどこにもいなくてね。メインイベントはアサシンズの試合で、リングサイドで写真を撮っていたら、リング上のアサシン2号から「おい!!」って日本語で声をかけられて。
――まさか……(笑)。
小佐野 「俺だよ!」「……もしかしてマサ斎藤さんですか?」「そうだよ!!」……アサシンズは全身タイツだから、マサさんだってわからなかったんだよ(笑)。
――マサさんはどうしてアサシンズをやってたんですか?
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