Dropkick

SNSで狂い咲く50歳プロレスラーの遅咲き人生■アメプロインディ通信「フリーバーズ」

2018/07/02 00:00 投稿

  • タグ:
  • PCO
  • プロレス
  • WWE
  • WWF
  • ケベッカーズ
  • SNS
  • トレーニング
  • 50歳
  • PWG
  • ジョーイ・ジャネラ
アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマはSNSで狂い咲く50歳プロレスラーの遅咲き人生」です!




4cc3314834339d5407341cc4979f0835bcde15c5

孔子の『論語』の中に「五十にして天命を知る」という有名な一説がある。米プロレス界で、今、その天命を知ったかの如く、若い選手に負けず劣らず、元気を通り越して狂い咲いている50歳の男がいる。ピエール・カール・オーレット(以下PCO)――かつてWWEでも活躍したプロレスラーだ。


PCOは、1967年12月30日にカナダ・モントリオールのセントキャサリンで生まれる。同郷モントリオールの大御所、ルージョー家のジャック・ルージョーに声をかけられ、タッグコンビ「ケベッカーズ」のピエールとして活躍したのは、1993年から95年にかけてのことだから、今から25年も前のことになる。

20代半ばだったPCOは、ケベッカーズとして、3度WWE(WWF)タッグ王座に就いた。タッグ解散後は、海賊男になり、ジャン=ピエール・ラフィットの名でシングルプレイヤーとして、ブレット・ハートと抗争をしていた。また、1993年にはW☆INGにバッシュ・ザ・ターミネイターの名前で来日。1999年7月にも全日本プロレスに参戦している。

当時、海賊の象徴でもある黒い眼帯で右目を隠していたのだが、じつはあれはギミックのためだけではなく、本当に右目が見えなかったのだ。12歳の時、友達と遊んでいたところ、その友達がふざけてPCOに向けて空気銃を撃ってしまい、運悪く、弾が右目に命中してしまった。その事故が原因で、右目の視力を失ったPCOは義眼での生活を余儀なくされてしまったのである。


この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388

この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!
 

ここから先は有料になります

ニコニコポイントで購入する

チャンネルに入会して購読する

  • この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事

継続入会すると1ヶ月分が無料です。 条件を読む

『Dropkick』チャンネル

『Dropkick』チャンネル

月額
¥550  (税込)
このチャンネルの詳細