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消された「2010年12月23日」――修斗に何が起きたのか/朝日昇インタビュー②

2018/05/24 08:01 投稿

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総合格闘技のパイオニア修斗の隠された歴史を克明に語る“奇人”朝日昇ロングインタビュー第2弾。2010年の年の瀬――修斗を揺るがした中指騒動とはなんだったのか?


前回はコチラ
【隠蔽された修斗の黒歴史】朝日昇「修斗を伝承した人間はみんな外に出ていったんですよ」


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――今回は朝日さんと若林太郎さん(当時・修斗アマチュア普及委員長)が「対決」することになる2010年12月23日の出来事についてお聞きします。朝日さんが修斗の理事をいつのまにか解任されたのが2002年9月のことですが、修斗を実質的に仕切っていた若林さんに会計報告を巡って行動を移されたのは2010年12月です。かなり時間が空いてますよね。

朝日 理事からは消されましたし(笑)、修斗の運営はどうでもよかったですね。桜田(直樹)さんや川口(健次)なども言っていますが、修斗の内部がおかしいということはわかっていましたから、相手にしてもしょうがないですし。ボクは絵やデザインの仕事にもより力を入れたかったですし、自分のジムに来てくれる人たちを良い方向に導くことができればいいかなと考えていました。意味がない理事の肩書などに拘る気ももともとありませんでしたし、そこに抗うことも時間と労力の無駄ですしね。

――それなのに2010年になって急に行動を起こしたのは何があったんですか?

朝日 急なんかじゃないですよ、あれは。ボクが若林さんに中指を立てられたのは2010年12月のことですが、もうかなり前からいろいろとあったんです。どの世界でも行動を起こす前には前段階に何かあり、準備も必要となりますよね。では、なぜボクが動いたかといえば、裏では若林さんに対する苦情や批判がもの凄く多かったからなんです、前々から。「あの人をどうにかしてほしい」というような声がボクのところにもよく届いていたんです。

――その詳細は前回のインタビューで触れられてましたね。三権分立は体をなしていなかったと。

朝日 若林さんがたくさんご尽力されていたことも事実としてもちろん存在しますが、だからといって、すべてが許されるわけではありませんよね。若林さんがかなりワンマン的だったことも否めないですが、正確に言うならば、当時の修斗は若林さんだけでなくサステインの坂本(一弘)、コミッションの鈴木利治の3人が取り仕切っていたという言い方が事実として適切なのですが、そちらはひとまずここでは置いておきます。いずれにせよ、どんな人間でもパーフェクトではないですし、若林さんのすべてを否定することもできませんし、それは若林さんに失礼です。しかし、同時に周りからの声でよく聞き驚いたことなのですが、周りの人たちに対しての態度も酷かったんです。たとえば修斗の人たちと話すときでも、こんな感じで机の上に両足を上げたりしていたとか。

――机の上に両足ですか?

朝日 それに対しては、ボクはその場にいたわけでなく、そのような行為を受けた人たちから話を聞いたんです。ボクに対してはそうしたことはなかったのですが、2010年に近い頃にはボクにもそのような態度を取り始めました。ひとつは、若林さんがボクのジムに仕事上でグローブを取りに来るという約束をしていたときのことなのですが、ボクは約束の時間には待っていました。結局、若林さんは約束の時間より4時間くらい遅れてやってきたのですが(笑)、まったく謝らない。「忙しい云々」と話をするのみで。だから「若ちゃんさ、何かミスをしたら謝ろうよ。みんな忙しいしミスもするわけで、そんなときは謝まれば、それでいいじゃん」というような具合に言いましたが。

他にはボクがアマチュアの仕事でパラエストラ東京にグローブを取りに行ったときのことがあります。ノックをして入り口のドアを開け「グローブを取りに来ました」とまず用件を言ったんです。すると、ジムの中で練習してる会員さんたちからは「こんにちは」など挨拶をされましたが、若林さんはマットに足を放り投げてふんぞり返り、不貞腐れたような態度であちらの方向を向き、挨拶なんてもちろん返しませんし、こちらなどまったく無視。「いったいなんなんだ?」と思いましたが、そこにいた中井(祐樹)も若林さんを注意することはなく、いつものどおりのにこやかで温和な中井(笑)。若林さんにはグローブの場所は「そこ」とアゴで指示をされ、練習をしている人たちの邪魔にならないようグローブを取りに行き「ありがとうございました」とそそくさとパラエストラ東京をあとにしましたが、あんな態度をされたのは人生で初めてでしたし、見たこともありませんでした。小学生の頃あんな態度をとったら、先生や親に張り倒されますし、やられて当然でしょうね。「みんなが言っていたのは、これか(笑)」とも思いましたが。

――けっこう強烈な態度ですね。

朝日 迷惑が掛かったら申しわけないので、これは実名は伏せ字にしてもらいたいのですが、ある格闘技関係者は夜中に呼び出しを食らい、朝まで正座をさせられて説教されたと本人から言われました。

――何をすればそんな目に遭うんですかね。

朝日 いやあ、ボクに言われましてもわかりません。夜中にオッサンと2人っきりなんてボクなら堪忍ですから(笑)。運営面でも理解できないことが多かったですね。たとえば修斗の全日本(アマチュア修斗選手権)も1面でしか試合をやらないので大会は夜遅くまでかかるわけです。新潟のジムの選手が出場した際、話を聞くと夜中に車で新潟を出発し、大会はなんだかんだで夜9〜10時くらいまでやり、またそれから車で新潟へ帰り、翌日は仕事と。なんで1面でしかやらないと思います? ボク、聞いてみたんです。

――1面だと自分がすべて確認できるからってことですか?

朝日 そのとおりだそうです。若林さんが全部見たいからだと。せめて2面にすべきですし、他の競技だって例えば準決勝から1面ですよね。高校野球の神奈川県予選、1球場でやったとしたら相当ヤバイですよ、200校以上ありますから(笑)。ボクはもう理事でもなんでもないのに、そういったことを意見しに行ったりしていました。いつのまにか理事を外されましたが、「汚いゴミの処分はよろしく!」と言った具合だったのかもしれません(笑)。ボクとしては「修斗にはお世話になりましたし、役に立てるならやりますよ」と思い、やってはいましたが。

――若林さんに直接言いに行ってたんですか?

朝日 それぞれの件でどのようにしたかは忘れたモノもありますが、直接いろいろ話をしたと思います。

――若林さんはどういう反応を示すんですか?

朝日 とくに抗うこともなく、話をしていましたね、いつも。しかし、そういった不平や不満の声があまりにも多いので、最後の勤めとして、修斗という組織をなんとかしようと思ったんです。裏でただ若林さんのことをグチャグチャ言う人も多かったのですが、ボクはそういう行為が好きではないですし、意味合いも感じませんでした。不満を感じているのならば、なんらかの改善をすべく実際に建設的に行動するべきだとも常々思っていますし。

――あの当時、若林さんを支持する方々もたくさんいたわけですよね。

朝日 それは修斗という組織の構造が招いた部分も強いでしょうね。若林さんが修斗の仕事で全国各地を主に飛び回っていたりするわけです。また、弁も立つ。となると、必然的に若林さんからしか情報を得ていないケースも多々となり、修斗という組織で実際に何が起きているかがわかりにくくもなる。本来ならば情報は多面的に得て、そこから客観的に判断すべきですが、一元的に若林さんの情報しか得られなければ、若林さんを全面的に信じてしまう事もあり得るわけですから。

――若林さんは修斗のために尽力してる人間というイメージはありましたよね

朝日 その功績は否定しません。しかし、それはそれとして、若林さんも一つのピースにしか過ぎないわけです。若林さんが修斗のすべてではありませんよね? また、そんなに他の人たちは何もしていないんですか? 逆に尋ねたいのは、古くから修斗に深く関わっていた人たちがなぜ次から次へと修斗から離れるんでしょうか? 何か合点がいかないことはありませんか? 修斗に残った人間がそれほど正義で、出て行った人間は悪なんですか? 何か道理が合わないと思いはしませんか? ズバリ、修斗に深く関わった人間がなぜ修斗から離れるかと言えば、理由は他にもあるかもしれませんが、その何よりも端的に言うなれば「修斗の事実を知っているからである」と言わざるを得ません。同時に、格闘技マスコミにも大きな問題があり、若林さんやそれに追随する修斗の人間の発言、まあ大本営発表と言いましょうか(笑)、そうした側の立場や話を盲目的に信じ、彼らを絶対視するような傾向もありますよね? ある意味、偏向報道が平然と行われ、時には取材も何もせず、マスコミ側の勝手な盲信が真実として記事にされたこともありましたが、実態を知らない人たちはその言葉を信じるしかないですよね。

――それまでのあいだにも、若林さんとはコミュニュケーションを取る機会はあったんですよね。

朝日 そこは普通に話をしてましたよ。何か周りから声が挙がっているから、時折若林さんになんらかの意見や要望を伝えるくらいで。「イヤだなあ……なんでオレがこんなことを」などとも思ったりしながら(苦笑)。わざわざケンカするつもりなんてまったくなかったですが、内心は「どうにかしなきゃいけないなぁ」とは思ってました。本当に批判の声は多かったですし、修斗の未来は良くない方向に行くと確信もしていましたから。

――そんなに若林さんへの批判の声は凄かったんですか? 

朝日 若林さんにも良い部分はもちろんありました。しかし、そうした声は修斗外部の方々からも聞きました。あまりにもそういう声が届くので、「どうしたら修斗を良い方向に変えることができるのか?」と考えたんです。そんなときいろいろ相談したのが八景ジムの渡辺(喜彦)先生なんです。渡辺先生はとても聡明な方で、ボクもいろいろと教わりました。ああいう方が賢者ですし、組織にも必要な方だと思うんです。あの件でもいろんなことを勉強させてもらいました。そして、渡辺先生に相談をしたところ「まずは修斗の会計をきちんと公開してもらいましょう」という結論になったんです。それは組織として当然の義務ですからね。若林さんが修斗協会のお金を管理していましたし、みんなからお金を集めている以上は小学校のPTAだって詳細を明らかにしないといけないですよね。だから「まずそこから始めませんか」という話になったんです。若林さんを追い出すためなんかじゃないんです。修斗を公正な、より良い組織にすることが動機だったんです。

――若林さんを追放するためではないと。

朝日 そんなことはまったく考えてないです。キチンとした組織を作らない限り、未来はありませんよね? そのための最初の1つが会計報告だったんです。たしか八景ジムでボクが開催していたアマチュア修斗大会のときから会計報告を求める署名活動を開始しました。署名の1人目がボクで、2人目が渡辺先生、3人目が佐藤ルミナでしたね。署名に関しては、事の経緯や事実関係を説明し、「そのうえで納得したならば、署名をしてほしい」と話をしていましたが、署名は相当な数の人間に断られました。「そういった行動は賛成だけど、立場があるから……」ということが多かったですね。「まあ、オレは傷つきたくないから、オマエだけ自爆してくれ!」ということですよね(笑)。

――改革には賛成だけど、名前は出したくない……ということですね。

朝日 本当に多かったですね(笑)。正直アタマにも来ましたが「まあ、所詮そんなもんだろう」と、そこは抑えて。意見なんですから「オレはこの署名には反対だ」で問題はないのですが、「署名には賛成だけど、立場があって……」なんて、江戸時代ならば、こんな大名は絶対に信頼なんてできませんから、できるだけ遠く江戸には来ることができない場所で外様大名ですよね。まあ、大名からも格下げが正しいかもしれませんが、絶対に城下に入れてはなりません(笑)。

そういう意味で3人目に署名したルミナは腹が据わっていますし、その意見が是か否かは抜きにして、キチンと自分の意志を持つ素晴らしい奴だと思います。ルミナはあいつが木口道場に来た17歳くらいの頃から知っていますが、決して賢いタイプではありませんが、悪気や裏も表もない信頼できる奴です。珍しく褒めてやったから喜べよ! 小田原のカリスマ!(笑)。


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――
会計報告の件でまず若林さんと話をすることはしなかったんですか?

朝日 まずみんなの声をまとめてからのほうがいいかな?と考えたんです。渡辺先生もそのほうがいいんじゃないかということで。若林さんには「こういう声があるからお願いできませんか?」というふうに話を持っていこうとしたんです。ボクや渡辺先生だけの声だけでやると、変な誤解を受ける可能性もあると考えて。そのために各ジムの代表や主要な選手たちにも丁寧に話をしました。

――結局何人ぐらい署名集まったんですか?

朝日 どれくらいだったでしょうか? パソコンにはデータが残っていると思いますが、たしか最終的には25〜30人ぐらいだったのではないかと思います。まあ、会計報告をお願いするだけですから、本来さほどのことではないのですが、ハイ。ホントにそれだけのことでしたから。それを集め、ついで若林さんと話をしようとしたのですが、その機会が持てない。どうすべきか、考えを聞こうと弁護士さんにも相談しに行ったんです、渡辺先生と2人で。「こういうケースはどうしたらいいですか?」と。すると「弁護士に頼むと費用もかかるし、リスクしかないですよ。こうした場合は、内輪で話し合ったほうがいいですよ」というようなアドバイスをもらったんです。そこで、修斗の新宿フェイスの大会が開催されていた日に、中井を新宿の伊勢丹近くの喫茶店に呼び出したんです。ボクたちは渡辺先生と2人で。

――中井先生は当時修斗協会の会長でしたね。若林さんはパラエストラ東京の番頭という立ち位置でもありましたから2人は密接な間柄で。

朝日 「いまここに若林さんを呼び出してくれないか? このように署名も集まったし、無理ならば、いまでなくてもいいけど、皆で話し合おうよ」というように伝えました。「若林さんの功績は認めないといけない。でも、明らかにしなきゃいけないことはあるよね。こういう署名を集めてきたから話し合いをしないか? 話し合えないならば法的に動くなり、もしくはマスメディアにも問題提起して公表せざるをえなくなったりしてしまうこともありえるが、そんなのは良くないだろ?だから、話をしようよ」と。そうしたら中井は「ぜひお願いします」と。「……え? 法的にも動いてもいいの? こんなのメディアに公表されたらダメだろ?」しかし「よろしくお願いします」と変わらずで(笑)。

――基本的に「強さ追求」以外は関心のない中井先生らしいですね(笑)。

朝日 ボクらは「話し合おうよ」と言っていたんです。法的に動いたり、マスコミに報道されたら、修斗にとっていいことは1つもないじゃないですか。若林さんもミスをしたかもしれませんが、そこまでの悪ではないし、話をして内輪で済ませばいいだろ?ということだったんですが。

それでも中井は「よろしくお願いします」と。「ホントにいいの?やるよ」「よろしくお願いします」……。修斗の人間は、往々にして競技だけやっていればいいっていうタイプが多いように見受けられることがありますが、まいりました(笑)。

――若林さんと連絡は取れなかったんですか?

朝日  年柄年中電話するわけにもいかないですし、中井が管理者です。ボクらの行動に対して若林さんがかなり気にしているという話も聞いていました。修斗でよくあったのが、密室のような空間で何かがいつのまにか行なわれ、まったくよくわからない状況に陥るというようなことだったので、そうしたことを避けるべく、できるだけオープンの場を持つべきだと考えていたんです。2人だけですと、意味のない言い争いになる可能性もありますし、そうするとせっかくの署名の意味もなくなってしまいますし。

――さすがに署名運動までやっていたら若林さんには伝わりますよね。

朝日 ボクが聞いたのは、若林さんが試合前に選手たちを呼び出し「何かやっているんだろう?」と詰問したということでした。試合前の選手にそんなことをするのもおかしいんですが、その選手たちは口を割らなかったと聞いています。若林さんのほうではボクらが何かやっていることは知っていたんでしょうね。とは言っても、別におかしなことをやってたわけじゃないですしね。だから管理責任者の中井に呼び出してもらおうと思ったんです。1対1で会うとつまらない言い争いになる可能性だってあるじゃないですか。でも、中井にも断られてしまう。そこで渡辺先生と次の行動に移ったんです。まずはマスコミの人たちに連絡しました。これはマスコミの皆さんに罪はないので実名は挙げられないのですが、ボクは業界でトップの立場にいる方に連絡をしました。「これは決して良くないことですし、こうした体質が残るようだと未来は暗くなります。修斗を良くするための問題提起として書いていただけませんか?」というように連絡したところ「ボクはそんなの書けないよ!」と断られてしまいました。渡辺先生も、あるマスコミの方にに話したんですけども、そちらもダメだったと。


……「2010年12月23日」、修斗に何が起きたのか? 17000字インタビューはまだまだ続く!


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コメント

中井もかなり悪いというか責任あるだろ、若林とずっとやってるし修斗の会長だったし。

なんで朝日もこの記者も、中井はそういう所には無頓着だし仕方ないみたいな感じで流してるんだよ。

No.3 78ヶ月前

続きは………

No.4 62ヶ月前

続きが無いのでしょうか…
若林政権の頃に離れましたが青春を修斗に捧げた一人として朝日さんから語られる顛末はとても興味があります

No.5 48ヶ月前
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