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【KNOCKOUT金原正徳戦】不可思インタビュー「キックボクサーが負けたらシャレにならない」

2017/11/01 00:00 投稿

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12月10日『KING OF KNOCK OUT 2017 両国国技館』でMMAファイターの金原正徳を迎え撃つ不可思インタビュー!!  キックボクシングで食うこと、プロ観について語っています! 


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――不可思選手はお寺の跡取りなんですよね。

不可思 そうっすね。実家は名古屋なんですけど、お寺で。兄弟はボクと姉ちゃんだけなんで、継ぐんだったらボクなんですけど。名古屋に戻ったときは親父と一緒に回ったりして手伝ってましたし(笑)。

――得度はしてるんですね。

不可思 小3のときに京都で修行を積んで、中学のときから回るようになって。

――愛知出身のプロレスラーにお寺の跡取りがいるんですけど、彼は凄く適当なんですよね。相談を受けることがあるからいろいろと経験を積んだほうがいいってことで、新宿2丁目のゲイバーで働いていたり(笑)。

不可思 えっ、それは凄いすね(笑)。まあ、自分も煩悩の塊ではありますけど。まあ、まだ継ぐかはわからないですけどね。

――まだ決め兼ねてるんですね。

不可思 親父は「継いでほしい」と言ってますけど、仕事みたいな感じでやると檀家さんに失礼だから「やりたくなったらやれ」と。

――ある程度社会経験を積んでから……というケースが多いんですよね。

不可思 お坊さんの学校を出ても30歳までサラリーマンをやっていたり、ほかの仕事をやっていたという人のほうが多いみたいで。

――不可思選手は日本人とタイ人のハーフなんですよね。

不可思 母さんがタイ人なんです。親父がタイに仏教の勉強に行ったときに、こういうカフェでお金を払わずに出ようとしたんですよ。

――ホントにお坊さんですか?(笑)。

不可思 いや、忘れただけだと思いますけど(笑)。そのときに店員だった母さんに止められて。それで親父が惚れて、そのカフェに通うようになって……。

――ドラマがあったんですねぇ。

不可思 親父が帰国してからも手紙でやり取りしてて、母さんが2回目に来日したときに結婚式が用意されていて。母さんは何も知らされてなかったんですけど。

――ファッ!?

不可思 母さんは「騙された! 向こうの親がかわいそうだから結婚した」って言ってますけどね(笑)。

――照れてるだけなのかもしれないですよ(笑)。

不可思 結婚してから大変だったみたいですね。日本語はわからないし、生活スタイルも違うし、ストレスで禿げちゃったみたいですから。 

――不可思選手はタイで生まれ育ったわけではないんですよね。

不可思 九州で生まれて3ヵ月くらいでタイに移って、何年かは過ごしましたけど、当時の記憶はないんです。そのあと岐阜、名古屋……名古屋が一番長いので地元って感じで。年に一回くらいは母さんと一緒にタイに帰ったりしてたんですけど。

――タイといえばムエタイですけど、だからってキックを始めたわけじゃないんですか?

不可思 全然関係ないですね。小学生の頃は空手をやってたんですけど。中学生の頃、K-1やPRIDEに盛り上がってたので、何か格闘技をやりたいなって。そのときはキックでも空手でもMMAでもなんでもよかったんですけど、家の近所にあったのがキックのジムだったので。

――いまでもMMA自体には興味はありますか?

不可思 メッチャ好きなんでUFCを見てるんですよ。でも、やるなら一本じゃないと。天心みたいに器用じゃないので。

――キックは最初からプロを目指してたんですか?

不可思 プロになるつもりはなかったんですけど。高校のときにだんだんハマっていって、どうせやるなら本気でやろうと。母さんはタイ人なので向こうにコネクションがあるじゃないですか。高校1年の夏くらいに退学してタイ修行に行ったんですよ。

――ずいぶんおもいきりましたねぇ。

不可思 なんかフラフラしてたんですよ。「このまま学校に行ってもな……」って。学校の先生からも退学を勧められて。

――退学を勧められるってどういうことですかね?(笑)。

不可思 「おまえは格闘技があるんだから、いまフラフラしてるのはもったいないんじゃないか?」って。いいことを言ってくれるなって。

――厄介な生徒だったわけじゃないですよね?(笑)。

不可思 うーん……停学にはなったことはありましたけど(苦笑)。

――ハハハハハハ。

不可思 勢いだけでしたけどね、ノリでやめて(笑)。それから働いてお金を貯めてタイに渡って、3ヵ月住み込みで。HIROYAがいたゲオサムリットジムだったんですけど。向こうに行くまでどこのジムなのかはわからなかったんですよ。すんごい田舎に連れて行かれて、紹介されてたどり着いたのがゲオサムリットジム。最後の1ヵ月のときに武尊も来て、同じ部屋で。

――たくましいですね。キックに懸けた青春という。

不可思 楽しかったですけど、練習はつらかったですねぇ。朝昼練習で休みは日曜日だけで。場所はバンコクなんですけど、そこは周りに何もないんで、唯一の楽しみが毎日セブンイレブンでおやつを200円分買うことくらいで。土曜日まで頑張ったら、みんなでパタヤで遊んで帰ってくるみたいな感じで。そんときは17歳だから、いまほど気持ちはしっかりしてなかったので、ムエタイが嫌いになりそうでしたね(苦笑)。いまだったら喜んでやりますけど。

――勢いでいったぶん、あまり覚悟は決まってなかった。

不可思 いい経験になりましたけどね。タイ人のハングリーさとか。

――帰国後のことは考えてました?

不可思 何も考えてなかったですね。とりあえず名古屋のジムでキックを頑張るかって感じで。タイにいたときに「これで食っていく」とは周りに言ってたんですけど、言ってるだけでちゃんとは考えてなかったというか。いまも感覚的にはそこまで変わらないですけどね。いまは家族もいるので、どうやって生活していくか、お金のことを考えるようになりましたけど。

――ご結婚はいつされたんですか?

不可思 22歳のときだから3年前ですね。所属していた名古屋のジムでトレーナーをやってた人がやめるということになって、「これからどうする?」となったときに、名古屋の別のジムに移るか、東京に行くかという選択肢になって。それまでは東京のことはまったく考えてなかったんですけど、クロスポイントが面倒を見てくれるって話になったので。

――そこが転機になったんですね。

不可思 トレーナーの方がやめてなかったら東京には出てこなかったですね。そのときに彼女も東京に来るとなったんですけど、格闘技をやる男についていくのに、結婚を考えてないとなったら向こうの親からすれば「ふざけるな!」って話じゃないですか(笑)。

――ボクが親御さんでも反対します(笑)。

不可思 それで「籍を入れておく?」ってことで結婚しましたね。上京がなかったらまだ結婚してないですから、これも勢いですよね(笑)。そんときはまだ22歳でしたけど、中学校からの付き合いだったし、ボクは迷わなかったんですけど。


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