4ヵ月ぶりの更新になります……。前回のコラムで「岡見勇信に見えた商店街雀荘ブルース」の更新予告をしながら一文字足りとも書けませんでした。「書こう、書こう」と麻雀のことを考えてるうちにどうしても雀荘に足が向かってしまう。やはり麻雀は想像して思いを巡らせるより、実際に打ったほうが気持ちがい い。完全に麻雀中毒患者の私です。
というわけで麻雀中毒を克服するため、麻雀以外のテーマに向き合ってみます。桜庭和志と柴田勝頼の乱入で俄然、盛り上がりを見せる新日本プロレスのことを書きます。
桜庭と柴田。このふたりがG1クライマックス決勝大会に現われたことをきっかけに、関係者やファンのあいだでは「ストロングスタイル」をキーワードに活発な議論が繰り広げられることになりました。
久しくプロレスから遠ざかっていた潜在的新日ファンは桜庭や柴田の言動に拍手喝采を送る一方、暗黒時代以降の新日本を支えてきたファンは格闘技路線時代のアレルギーもあって不安をおぼえている感じでしょうか。
もっとも新日本プロレスの歴史を紐解いてみると、こうしたストロングスタイルの追求や議論は団体の巨大な熱を生んでいることがわかります。
大雑把に言うと、ストロングスタイルとは、ジャイアント馬場の華やかな全日本プロレスへの対抗策として打ち出されたものでした。「プロレスこそ最強の格闘技である!」
70年代、アントニオ猪木の格闘技世界一決定戦シリーズは新日本プロレスの看板となり、当時のボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリを引っぱり出すことに成功しました。
80 年代、前田日明らUWFとの業務提携時代もストロングスタイルは異常な熱を帯びていました。ロープに飛ぶ、飛ばない。そんな議論も巻き起こった。アイドル 「馬場さん、どうしてロープに飛ばされたら返ってくるんですか?」「それは催眠術なんだよ」という催眠が解けた瞬間でもあります。
90年代末期、 小川直也が“公開道場破り”を仕掛けた橋本真也戦、通称“1・4事変”が勃発。狂気の小川直也は、ストロングスタイルを忘れた90年代新日ファンに「目を 覚ましてくださ~い!」とアジりました。PRIDEでアレクサンダー大塚が高田延彦に「目を覚ませぇ!」と吠えながら、なんだかよくわからない試合をやっ たのとは訳が違うんです。
そして今回の桜庭和志と柴田勝頼の登場です。ブシロード体制後、怒涛の攻勢を見せる新日本プロレスにとってさらなる追い風になることはまず間違いないでしょう。
しかし、心配なことがひとつだけあります。いずれも時代もその後に「暗黒期」が訪れているということです。
ス トロングスタイル(ここから“S”と表記します)を扱っているときは、団体も、選手も、ファンもみんな気持ちがいい。ハイになっている。“S”は最高だ、 どんどんやろうぜ。そして効果が切れるのを恐れて過剰に“S”を摂取し始め、副作用もあってだんだんと客観性が失われていく。自分自身が止まらなくなって いくあたりは完全に麻薬中毒者のよう。
後半はルーティンで行われた猪木の異種格闘技戦は失笑と紙一重の内容だったり、モハメド・アリ戦でつくった 莫大な負債は新日本をのちのちまで苦しめました。そのうち高齢となり肉体的にも精神的にも“S”を打てなくなった猪木の前に、前田日明という現役バリバリ の“S”中毒者が現われます。
「ゴチャゴチャ言わんと、誰が一番強いか決めたらええんや!!」
“S”をシノギとして一代で成りがあった親分からすると、非常に厄介な“S”中毒者です。
追 い詰められた猪木は、前田の長州力顔面襲撃事件を「プロレス道にもとる行為」と断罪して追放してしまう。つまり“S”の創始者である猪木自身が“S”の危 険性を訴えてしまった。“S”中毒のファンたちは猪木の不自然な健康追求に呆れてしまい、前田日明のUWFのもとへ走ります。そしてUWFに“S”の刺激 を奪われた新日本は“冬の時代”に突入することに……(ちなみにその後、前田日明は船木誠勝という新種のマッドネス中毒患者に追い詰められます)。
90年代に入り、アメプロ路線を走ることにより薬物依存から脱出した新日本プロレスにふたたび“S”を持ち込んだのはアントニオ猪木でした。
「小川、この“S”をやってみろ。最高だぞ。みんなにも教えてやれよ。最高に興奮するってさ……ンムフフフフ」
他人をたぶらかして仲違いさせる。まるで金子信雄が演じる山守義雄です。しかし『仁義なき戦い』でも最後まで生き残るのは山守義雄ですから圧倒的に正しいのです。
猪 木からすれば、あの“1・4事変”はちょっとしたイタズラのつもりだったという話もあります。『1、2の三四郎』マスクをかぶって東京ドームの一塁側ベン チ前に仁王立ちしていた猪木。ほどよい頃にリングに登場して混乱を収める予定だったそうですが、小川が注射した“S”は、選手にも、観客にも劇薬すぎまし た。修羅場を化すリング上に恐れ多のいたのか、猪木はいつのまにか姿を消してしまった。本当に山守義雄な男です。
結果的に猪木が投下した“S”は、キャラクタープロレスに食傷気味だったファンから歓迎されました。そしてさらに純度の高い“S”を求めてPRIDEやK-1に手を伸ばして、当初はファンも選手も最高の気分。
しかし、そのうちサダハルンバ氏やサカキバラ氏といった名うてのバイヤーにうまく騙され……いや、違う。プロレスを利用され……じゃなくて、なんと言えばいいでしょうか。まあ、ぶっちゃけ最終的には彼らにすべてを搾り取られたあげく、相手にされなくなります。
あげく“S”の代金との引き換えに永田さんは仔牛のように売られてしまい、やりたくないのに大晦日出陣。相手がヒョードルと決定したのは試合前日。いったい何をやっとるのでしょうか。
あと“S”の末期症状患者たちが集まりアルティメットロワイヤルというレイブパーティーが東京ドームで開かれましたが、大槻ケンヂ以外の観客はまったくハイになりませんでした。
そ んな“S”の後遺症に悩まされた新日本プロレスは倒産寸前に陥ります。それを救ったのはゲーム会社のユークスでした。ユークスは2005年から新日本の親 会社となり、“普通にプロレス”をすることでじっくりと薬物依存から脱出していきます。路線が変わったことで“S”中毒ファンはウロつかなくなりました が、新日本は健康的な団体として生まれ変わったのです。
そうして今年に入ってからブシロード体制となり、リング内外ともに盤石の体制と なったいま、あの忌まわしき“S”がやってきたのです。これは“S”患者が薬物依存から脱して一息ついたときに、あのときの快楽を思い出して田代まさし的 に手を出してしまったのでしょうか。いいえ、違います。
私は新日本の菅林社長の言葉から強い信念を感じました。
桜庭・柴田に対す る菅林社長の談話は、一部ファンや選手から「逃げ腰だ」と強い批判を浴びましたが、「暗黒時代」「なんちゃって格闘技」という、忌まわしきを時代をイメー ジする言葉をあえて使ったということは、すなわちあの時代に向き合う、精算する意気込みのあらわれだと捉えています。いままでは“打たされてきた”が今回 は“打ってやるんだ!”と。
新日本はもう“S”の扱いなんて慣れたもんです。IGFと一緒にされちゃあ困りますよ、こっちは何度、廃人寸前に追い込まれたと思ってるんですか。何回かやればコントロールは効きます。シミケン(2年ぶり6回目)のことは忘れてください。
「プロレスは最強である」
“S”の原点。なんて馬鹿なものいいでしょうか。そんなの幻想に決まってます。
しかし、その幻想を追い求めるために“S”を打ち続ける団体、選手はかくも魅力的です。気持ちがいいのはいまだけだ。わかっている、でも、俺は打つんだ、打たされるんだ。
そうやって幻想を追い求め疾走する柴田勝頼、逆にその後遺症という現実に苦しみがら団体を支えてきた中邑、棚橋、真壁たち。
お そらく新日本プロレスはいつになっても“S”の呪縛から逃れられないでしょう。そう、幻想と現実はずっとせめぎあいます。それがストロングスタイルなのか もしれない。そして私はこのたびはじまるアントニオ猪木なきストロングスタイルのかたちに凄く期待しています。桜庭・柴田が参戦する10.8両国、1.4 東京ドーム、みんなもほどほどに“S”を嗜んで気持ち良くなりましょう!
(ジャン斉藤 @majan_saitou)
というわけで麻雀中毒を克服するため、麻雀以外のテーマに向き合ってみます。桜庭和志と柴田勝頼の乱入で俄然、盛り上がりを見せる新日本プロレスのことを書きます。
桜庭と柴田。このふたりがG1クライマックス決勝大会に現われたことをきっかけに、関係者やファンのあいだでは「ストロングスタイル」をキーワードに活発な議論が繰り広げられることになりました。
久しくプロレスから遠ざかっていた潜在的新日ファンは桜庭や柴田の言動に拍手喝采を送る一方、暗黒時代以降の新日本を支えてきたファンは格闘技路線時代のアレルギーもあって不安をおぼえている感じでしょうか。
もっとも新日本プロレスの歴史を紐解いてみると、こうしたストロングスタイルの追求や議論は団体の巨大な熱を生んでいることがわかります。
大雑把に言うと、ストロングスタイルとは、ジャイアント馬場の華やかな全日本プロレスへの対抗策として打ち出されたものでした。「プロレスこそ最強の格闘技である!」
70年代、アントニオ猪木の格闘技世界一決定戦シリーズは新日本プロレスの看板となり、当時のボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリを引っぱり出すことに成功しました。
80 年代、前田日明らUWFとの業務提携時代もストロングスタイルは異常な熱を帯びていました。ロープに飛ぶ、飛ばない。そんな議論も巻き起こった。アイドル 「馬場さん、どうしてロープに飛ばされたら返ってくるんですか?」「それは催眠術なんだよ」という催眠が解けた瞬間でもあります。
90年代末期、 小川直也が“公開道場破り”を仕掛けた橋本真也戦、通称“1・4事変”が勃発。狂気の小川直也は、ストロングスタイルを忘れた90年代新日ファンに「目を 覚ましてくださ~い!」とアジりました。PRIDEでアレクサンダー大塚が高田延彦に「目を覚ませぇ!」と吠えながら、なんだかよくわからない試合をやっ たのとは訳が違うんです。
そして今回の桜庭和志と柴田勝頼の登場です。ブシロード体制後、怒涛の攻勢を見せる新日本プロレスにとってさらなる追い風になることはまず間違いないでしょう。
しかし、心配なことがひとつだけあります。いずれも時代もその後に「暗黒期」が訪れているということです。
ス トロングスタイル(ここから“S”と表記します)を扱っているときは、団体も、選手も、ファンもみんな気持ちがいい。ハイになっている。“S”は最高だ、 どんどんやろうぜ。そして効果が切れるのを恐れて過剰に“S”を摂取し始め、副作用もあってだんだんと客観性が失われていく。自分自身が止まらなくなって いくあたりは完全に麻薬中毒者のよう。
後半はルーティンで行われた猪木の異種格闘技戦は失笑と紙一重の内容だったり、モハメド・アリ戦でつくった 莫大な負債は新日本をのちのちまで苦しめました。そのうち高齢となり肉体的にも精神的にも“S”を打てなくなった猪木の前に、前田日明という現役バリバリ の“S”中毒者が現われます。
「ゴチャゴチャ言わんと、誰が一番強いか決めたらええんや!!」
“S”をシノギとして一代で成りがあった親分からすると、非常に厄介な“S”中毒者です。
追 い詰められた猪木は、前田の長州力顔面襲撃事件を「プロレス道にもとる行為」と断罪して追放してしまう。つまり“S”の創始者である猪木自身が“S”の危 険性を訴えてしまった。“S”中毒のファンたちは猪木の不自然な健康追求に呆れてしまい、前田日明のUWFのもとへ走ります。そしてUWFに“S”の刺激 を奪われた新日本は“冬の時代”に突入することに……(ちなみにその後、前田日明は船木誠勝という新種のマッドネス中毒患者に追い詰められます)。
90年代に入り、アメプロ路線を走ることにより薬物依存から脱出した新日本プロレスにふたたび“S”を持ち込んだのはアントニオ猪木でした。
「小川、この“S”をやってみろ。最高だぞ。みんなにも教えてやれよ。最高に興奮するってさ……ンムフフフフ」
他人をたぶらかして仲違いさせる。まるで金子信雄が演じる山守義雄です。しかし『仁義なき戦い』でも最後まで生き残るのは山守義雄ですから圧倒的に正しいのです。
猪 木からすれば、あの“1・4事変”はちょっとしたイタズラのつもりだったという話もあります。『1、2の三四郎』マスクをかぶって東京ドームの一塁側ベン チ前に仁王立ちしていた猪木。ほどよい頃にリングに登場して混乱を収める予定だったそうですが、小川が注射した“S”は、選手にも、観客にも劇薬すぎまし た。修羅場を化すリング上に恐れ多のいたのか、猪木はいつのまにか姿を消してしまった。本当に山守義雄な男です。
結果的に猪木が投下した“S”は、キャラクタープロレスに食傷気味だったファンから歓迎されました。そしてさらに純度の高い“S”を求めてPRIDEやK-1に手を伸ばして、当初はファンも選手も最高の気分。
しかし、そのうちサダハルンバ氏やサカキバラ氏といった名うてのバイヤーにうまく騙され……いや、違う。プロレスを利用され……じゃなくて、なんと言えばいいでしょうか。まあ、ぶっちゃけ最終的には彼らにすべてを搾り取られたあげく、相手にされなくなります。
あげく“S”の代金との引き換えに永田さんは仔牛のように売られてしまい、やりたくないのに大晦日出陣。相手がヒョードルと決定したのは試合前日。いったい何をやっとるのでしょうか。
あと“S”の末期症状患者たちが集まりアルティメットロワイヤルというレイブパーティーが東京ドームで開かれましたが、大槻ケンヂ以外の観客はまったくハイになりませんでした。
そ んな“S”の後遺症に悩まされた新日本プロレスは倒産寸前に陥ります。それを救ったのはゲーム会社のユークスでした。ユークスは2005年から新日本の親 会社となり、“普通にプロレス”をすることでじっくりと薬物依存から脱出していきます。路線が変わったことで“S”中毒ファンはウロつかなくなりました が、新日本は健康的な団体として生まれ変わったのです。
そうして今年に入ってからブシロード体制となり、リング内外ともに盤石の体制と なったいま、あの忌まわしき“S”がやってきたのです。これは“S”患者が薬物依存から脱して一息ついたときに、あのときの快楽を思い出して田代まさし的 に手を出してしまったのでしょうか。いいえ、違います。
私は新日本の菅林社長の言葉から強い信念を感じました。
桜庭・柴田に対す る菅林社長の談話は、一部ファンや選手から「逃げ腰だ」と強い批判を浴びましたが、「暗黒時代」「なんちゃって格闘技」という、忌まわしきを時代をイメー ジする言葉をあえて使ったということは、すなわちあの時代に向き合う、精算する意気込みのあらわれだと捉えています。いままでは“打たされてきた”が今回 は“打ってやるんだ!”と。
新日本はもう“S”の扱いなんて慣れたもんです。IGFと一緒にされちゃあ困りますよ、こっちは何度、廃人寸前に追い込まれたと思ってるんですか。何回かやればコントロールは効きます。シミケン(2年ぶり6回目)のことは忘れてください。
「プロレスは最強である」
“S”の原点。なんて馬鹿なものいいでしょうか。そんなの幻想に決まってます。
しかし、その幻想を追い求めるために“S”を打ち続ける団体、選手はかくも魅力的です。気持ちがいいのはいまだけだ。わかっている、でも、俺は打つんだ、打たされるんだ。
そうやって幻想を追い求め疾走する柴田勝頼、逆にその後遺症という現実に苦しみがら団体を支えてきた中邑、棚橋、真壁たち。
お そらく新日本プロレスはいつになっても“S”の呪縛から逃れられないでしょう。そう、幻想と現実はずっとせめぎあいます。それがストロングスタイルなのか もしれない。そして私はこのたびはじまるアントニオ猪木なきストロングスタイルのかたちに凄く期待しています。桜庭・柴田が参戦する10.8両国、1.4 東京ドーム、みんなもほどほどに“S”を嗜んで気持ち良くなりましょう!
(ジャン斉藤 @majan_saitou)
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