Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは「ドン・フライ、堂々のUFC殿堂入り」、感動のスピーチをお送りいたします!




塾長ドン・フライ、堂々のUFC殿堂入り ~ ノー・ブルシット、ノー・ポリティックス、スキルとガッツだけで勝負する。こんな世界最高のスポーツが他にあるかい


 
2016年度のUFCホール・オブ・フェイムで、パイオニアウィング(開拓者部門賞)で殿堂入りを果たしたのは、日本でも新日本プロレスやPRIDEで活躍した、ザ・プレデターともUFO学園師範とも呼ばれる男塾長、ドン・フライであった。
 
フライはUFCには1996年の1年間しか所属していなかったが、その間に2度のワンナイト・トーナメント優勝を含む、9勝1敗という戦績を上げ、まだMMAが”ノー・ホールズ・バード”とも”ヒューマン・コックファイティング”とも言われた開拓時代のUFCオクタゴンを短くも激しく燃えさかるように駆け抜けたのだった。
 
米国時間7月10日にラスベガス・コンベンション・センターで行われた授賞式では、デイナ・ホワイトの「ドン・フライはMMAのレジェンド、これまでで最もタフな選手の1人だ。PRIDEでのタカヤマ(善廣)戦など、すさまじい試合をやってのけたことで有名だ。タカヤマ戦は私がこれまでに見た試合の中で、今でも最もクレイジーな試合の1つだ」という前口上とともに、トレードマークのカウボーイ・ハットにヒゲの勇姿で舞台上に登場、プレゼンターのダン・スバーンをはべらせたまま、男臭い堂々のスピーチを行い、聴衆をしびれさせたのだった。
 
(以下、ドン・フライ受賞スピーチ、出所 UFC Fight Pass)
 
ここに呼んでもらえたことに驚いている。受賞を知ったのはみなさんと同じタイミングで、男ばかり数人で、タバコを吸い、ビールを飲みながらUFC 199を見ていたら、今年のホール・オブ・フェイムの発表だと言って、テレビ画面にダン・スバーンとオレの試合が映し出された。アホか、スバーンはとっくの昔に殿堂入りしとるだろ、と思って眺めていた。そしたらテレビにはオレの別の写真が次から次へと映し出された。そう、驚いたことに、殿堂入りしたのはこのオレだったのだ。
 
これには心底驚いた。UFCとの関係は、とっくの昔に扉が閉められ、カギがかけられたと思っていたからだ。オレは思ったことを何でも口に出してしまうタチだからな。まあ、今日もどうなることやらと思っているのだが。
 
UFCに誘ってくれたのはここにいるダン・スバーンだった。オレも最初の離婚の頃で、カネが必要だった。馬に頭を蹴られるのには慣れていたから、人間に殴られるくらい、大したことないだろうと思ったわけだ。
 
ダンといえば、デンバーで開催されたUltimate Ultimate大会でこんな思い出がある。PPV放送開始の数時間前に、ダンがどうしても買いたい物があると言って、スーパーマーケットに入っていくんだ。仕方なくみんなでついていった。ダンは売り場を隅から隅まで歩き、やっと欲しかった物を見つけた。ダンが買ったのは、2箱の毛染め剤だった。この顔で、白髪のテレビ映りを気にしていたわけだ。
 
ダンの他にも感謝しないといけない人が山ほどいる。家族。これまで自分を指導してくれたコーチのみなさん。今週はUFCのみなさんにもよくしていただいた。感謝している。1つだけ不満があるとすれば、サイン用にご希望の写真を撮りましょうと言うから、ではバーで酒を飲んでいる私のヒザの上に、ペイジ・ヴァンザントを座らせなさいと言ったんだが、ちゃんとやってくれないんだ(笑)
 
それにしても、UFCで女性のファイターを見るというのはオレには信じられないことだ(注:フライは長年、女子MMAには反対の立場を取ってきたことで知られている)。1996年から、時代は変わったんだなとつくづく思う。ダンやタンク・アボット、オレのような醜男なら、少々殴られたところで大差ないが、今ではスーパーモデルのような女性がオクタゴンにあがっている。
 
いいか、彼女らは本物のスキルを持った本物のファイターだ。オレが認める。(場内拍手)


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