どうも、ディスマンです
ある高校二年の冬の日に実家の前で雪が降ってまして。
掌に落ちてきた雪結晶を見たときに、天啓が脳裏を走りました。
”人はこれを雪と呼ぶが、なぜ雪と呼称するのか?ていうかこれは雪なのか?真実の雪は他にあるんじゃないのか?つまりこの世の全ては人間が勝手に定義づけラベリングしただけの「エゴの幻想」じゃないのか?”と。
そう、この世の森羅万象はあくまで人間が勝手に決めただけであり、真実と相違ないとは限らないのである。イデア論みたいなもんだよね。・・・俺いつからプラトン支持者になったんだろ。
まあとにかく、雪に限らず「なぜそれをそれと認識するのか」といった日常の一部に疑念を抱けるかどうかが「思想家」や「哲学者」のステップアップだろう。
思想家「ディスマン」、爆誕(なお4年経ってる模様)
コメント
コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。