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八海山大五郎Pのブロマガ

ニコマス紹介:「僕たちはまた恋に落ちる」

2019/10/05 09:32 投稿

  • タグ:
  • ニコマス
電動P 様が制作された、
「僕たちはまた恋に落ちる」という動画作品があるんですけど。







これにめっちゃ衝撃を受けまして、
どうしても語りたくなってしまったので、
記事を書いてしまおう、と思って今に至るのですが…


他人様の動画を取り上げてアレコレ述べていいもんなんでしょうか?
と未だにすげー迷っております。
でも思い切って述べてみようと思います。
もちろん、やめてくれと言われたら対応いたします。










まずこの作品はいわゆる「im@sコラボPV」に分類されるMADです。
つまり、
「アイマスに直接関わりのない音楽、歌」を引用し
「アイマスに関連する映像を合わせる」事によって
制作されたものです。

通常、音楽の展開の抑揚やリズムに沿って
違和感の生じないように振付を合わせる事で
一本のPVを作り上げていく、
という構造をしているものが多く、
この「僕たちはまた恋に落ちる」
基本的には同じアルゴリズムで
構成されているのですが、

こちらの作品は、
歌詞や映像から得られる視覚情報を拾い集めていくと
ひとつのドラマが存在することが、徐々に見えてきます。
と思っています。







天海春香の横顔から動画が始まります。最高ですね。じゃなくて。
非常にドラマチックな導入と言えますが、
実はここから最後に至るまで一切構成に無駄がありません。

この動画、もとい歌 [ " I'll Fall (feat. Coris) "]
ひとつの物語となっていて、
ざっくり要約すると
「画面の向こうの女の子に恋する男と、
 画面の中の女の子とのメッセージの贈りあい」
というお話になっています。







男性ボーカル(画面の向こうの女の子に恋する男)の時は
背景が「エターナルビッグツリー」になっており、
ややファンタジー色の強い画作りになっています。
「男性から見た、男性が抱く理想の世界観」
という面が強調されているのではないかと思います。







対して、女性ボーカルの時は
背景が「ライブハウス」になっています。
彼女からすれば、画面の中は居住地であり、彼女にとってのリアルです。
「彼女には彼女なりの現実があり、あくまでその世界で歌っている」
様に見えます。

つまり、
両者の間に"理想と現実のギャップ" が存在する訳です。
それを背景によって表現しているのだと思います。







そしてこのシーン。字幕はありますがボーカルは流れません。
そう、実はこの動画作品にあてられている字幕は
原文をただ翻訳しているだけではなく、
一部改変・付け足しをしている様なのです。







ここも、「モニタ越しに~」のくだりは付け足しです。(多分)
親切めな意訳ともいえるかもしれません。
ここでは、両者の世界が隔絶されている事を
字幕でも強調している、ということでしょう。







ここも。
考えてみれば、アイマスで設定するのは「プロデューサーネーム」であり、
男の本当の名前すら、彼女はまだ知らないのです。







「私達友達になりたいけど無理なお願い
 でもまた恋すればいいよね」

男は画面の向こうの女の子に恋をしました。
しかし、女の子は実在しません。

「初めて会った時、僕たちは17歳だったね
 でも今は僕だけが大人の年齢になっちゃったね」

いつまでも彼女と一緒にいたいけど、現実がどうしても枷となります。
周囲の人々にも「ちゃんとした恋」をする様に諭されます。
でも彼はやっぱり、他の人は好きになれなさそう。

「君と何度でも恋に落ち続けて
 僕たちはずっと17歳のままだね」



と、話は展開していきます。
しかし…







このシーン。
春香は大きく手を仰いで声を上げてる様に見えますが、
楽曲はボーカルが割り当てられていないパートにあります。

そうなんです。
字幕をあてるのも、曲を画面に合わせるのも
編集作業によって為されているに過ぎず、
彼女と彼女のいる樹の下の世界は
作者の意図に従属せざるを得ないのです。

彼女の声なき叫びがこだまするかの様です。
もはや痛ましささえ感じます。
それでも、楽曲は収束していきます。

けれども…







クライマックスのシーン。
メロディは佳境を迎えますが、
ボーカルは割り当てられておりません。

しかしこの画面、今までのシーンと構成が異なりますよね。
画面下部の黒帯もありません。
どういうことなのか?

左下のゲームのロゴが表示されているのは、
PS4本体の「シェア機能」を利用して録画(あるいは配信)された映像に
必ず付随するものです。
つまり、PS4の機能です。
そして中央下部には「七彩ボタン」の歌詞。
これはゲーム、「アイドルマスター ステラステージ」
の機能によって表示されるものです。

これらが何を表しているのか?

これらはすべて、PS4及び「ステラステージ」の「仕様」を利用しています

つまり、
編集や加工を介さない、
「画面の向こうの女の子」からの
「仕様=彼女の存在する世界の法則に則った純粋な贈り物」であり、
メッセージなのです。

男の、彼の思い描いた理想を超えて
ただの男側からだけの一方通行ではない、
少なくとも相互の一方通行になり得た瞬間が
ここにはあるのです。






そして七彩ボタンの歌詞、
「出会ってくれてありがとう」
が画面に表示され、やがて動画は終了します。
両者の次元を超えた通信は成功したのです。





と、ここまで全部勝手な僕の解釈です
ホントにそうなのかどうかまではわかりませんが、
そうじゃなかったとしても、とにかく
見てるだけで自然と色んな思いがこみあげてくる作品だと思います。

楽曲による所も非常に大きいのは間違いないんですが、
歌詞の改変だったり構成だったり、シーンの切り抜き方だったり
一見淡々としている様でいて、その実
大変にドラマチックなものを感じさせてくれます。


アイマスのみならず、ゲームでこの様な思いを抱く事は
普遍的にありうる事だと思います。
よくいう「二次元」「三次元」の様に
次元の違いもあるし、
それこそそもそも創作じゃねーかっていうのもあるし。

人間の習性、社会的動物であることを考えると
同じ生き物の適正年齢の異性以外を想う事は異常、
と片付けられてしまうのは当然だししょうがないのですが、
精神活動にはゆとりが余りあるものです。

人間の脳とか心とかって
多分自分自身で思ってるよりも隙があって、
思い描く像に恋しちゃったら
その時抱いてる想いには、ウソとかホントとかの区別が
あんまり意味なくなってきちゃうと思うんですよね。


そういう、普通に生きてたら見落としてしまう、
見落としてしまっても良さそうな部分を
丁寧に抽出し、鋭く落とし込んだ
そういう素晴らしい作品なのだと思いました。







以上となります。

勝手に取り上げてしまって申し訳ございませんでした。











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