daibass77の今日のみ言葉♪

帰ろう

2014/04/02 23:48 投稿

コメント:2

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神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子をじる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

ヨハネによる福音書/ 03章 16節


聖書には愛についてこう語られています。

たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、がなければ、無に等しい。

全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、がなければ、わたしに何の益もない。

コリントの信徒への手紙一/ 13章 02節〜

愛がなければ無に等しい・・・何の益もない・・・そう書かれています。

この後に有名な愛の聖句が続きます、ご興味おありの方は、1コリント13章をお読みください。
ネットで検索しても読めます。



今日、書いておきたかったのは・・・信じる必要がある時が来る・・・いえ・・・信じられる時に信じて下さいと・・・いう事です。


わたしたちは、地上に足をつけて歩んでいます。
この地面がなかったら・・・肉における人は、生きていけません。

が、この地上が、ずっとある・・・という保障はどこにもないんです。



今日入ったラーメン屋さんでの話しです。

隣の席で二人の人が、食事をしていました。
何気ない日常の光景です。

食事が終わった様で・・・一人の方が、こんな風に言って席を立ちました。

「帰ろう」

と・・・ただ単純に家に帰るという意味です。

が、なにか不思議な印象を受けました。

食事が、終わったら・・・たいがいは、美味しかったね、とか・・・もしくは・・・・
帰ろうと言うにしても・・・お金を払う事とか、次の行動を気にするとか・・・

そんな会話がなされているのが、何気に聞こえてくる日常会話だと・・そういう認識があります。

が・・・ただ、唐突に・・・「帰ろう」


その一言に信仰的な感覚を覚えました。



わたしは、本当の事を知っています。

それは、この天地万物が神によって造られ、神は、キリストによって本当の家に迎えてくれるという事を・・・。


その方は、普段住んでいる家に帰ろう・・・といいました。


お読みくださるみなさま、いつもありがとうございます、わたしは本当に感謝します。


ここで伝えるのは・・・わたしたちが、今、ある当たり前の状態、状況は、いつどうなるのか分からないと言う事です。


地面が揺れています、貧富、飢饉、戦争の噂、民族紛争・・・・・

今、起こり始めています。

それは、聖書預言の産みの苦しみです。

こういった一連の流れが、イスラエル、中東諸国にフォーカスされていく時が近いかもしれません。

それから、イエスはたとえを話された。

「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。
天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

ルカによる福音書/ 21章 29節

この例えのいちじくは、イスラエル国家他の木は、異邦人の国家でしょうか。
聖書の終末預言は、新旧含めていたる所に語られていますが、ルカ21章をお読みくださると流れが、分かると思います。


神様の救いの福音は、
キリストが、十字架にかかって死に三日目に復活した。
悔い改め十字架の死が、自分の罪の身代わりだと信じる者は、聖霊を受ける。
どんな罪も赦されて神の永遠の命を分け与えられる・・・という事です。


この世と言う罪の中で苦しむすべての人に向けられた福音・・・キリストを信じる者永遠の命を与えるという神の愛です。


祈っています。

イエス様、あなたがわたしの救い主です。

そう口で告白してください。

救いは、主のみ名を呼ぶものに与えられます。

アーメン。。


それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。
マルコによる福音書/ 13章 19節


コメント

ラキシス
No.1 (2014/04/03 01:21)
今日のコリントの一節はキツく響きました。
深い信仰も多額の喜捨も愛が無ければ無だと。
!!!
それは愛が無ければ
神のみ国の住人にはなれないのだと。

当たり前の事でした。
天国に行きたくて、だけでの信仰や寄付では
そこにあるのは打算であり、
天国に行きたいという欲望。
神が求められているのはそんな信仰ではなく、
清さと愛に満ちた信仰だと気付かされました。

自分の寿命が先か世の終末が先かは
神様にしか分かりませんが、
その時までに自分の霊が清められるように
信仰していきたいと思いました。

天国で本当の礼拝を捧げる為に。

daiさんに多くの祝福がありますように
人類に主の平和がありますように
父と子と聖霊のみ名によってアーメン╋
(著者)
No.2 (2014/04/04 00:40)
>>1
ラキシス様、コメントをありがとうございます。

わたしが洗礼を受けた前の週の礼拝で・・・引退された牧師さんが来て話されていたのですが・・・

愛についてのメッセージでした。

互いに愛し合いなさい・・・そういうメッセージがありました。

僕が通っていた教会では、普段あまり引用されてない所からのメッセージで・・・
後に牧師夫人が、わたしに教えてくれました。

今日は、daibassさんの洗礼に向けてのメッセージでしたね。
その夫人は、もう天に召されたご高齢の方ですが・・・

霊的な証を手紙で送った事があります。
リベラルの教会で霊的な話しがない所でしたが・・・その夫人はよくわかっていてくれた様で・・・
ご返事を下さいました。

霊的な証があるから、まだ伝道者として頑張れます・・・と手紙を下さいました。

今、思えば・・・教会に行き始めた頃、言動においてたしかに神の愛を感じさせてくれたのは、その高齢のご夫人だったかもしれません。


神の愛、神は、愛・・・・そうストレートに信じれる方、その信仰の土台を受けた方は、わたしは、本当に幸いだと思います。

主イエス様に栄光あれ!

ハレルヤ!

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