肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。
コロサイの信徒への手紙/ 02章 13節〜
私たちは、人生の中で劣等感を持ちます。
劣等感を持つと言う事は・・・何かの規準に縛られているということ・・・何かと比較していると言う事だと思います。
もしこの世にわたしだけしかいなければ、劣等感はありません。
この世の中での比較をしてしまい・・・自分のイメージがいつも低くなります。
また・・・逆もあります。
比較する事で自分を優位とする感覚です、優越感というのでしょうか。
劣等感によって心がいじける、すねる・・・優越感によって高慢になり、また優越を得たあとの空虚感も味あうかもしれません。
人は、どこまでいっても心が満たされることはありません。
元気で調子が良いと思っていても・・・困難な状況は突然にやってきます。
病もあれば、突然の災害もあるからです。
聖書は、そのような人の有り様を・・・罪の中にいて死んでいる・・・と表現しています。
満たされない人の心・・・なにかをもとめて彷徨い歩く人の姿です。
その罪に中にいて死んでいる人を救うために来られた方がキリストです。
十字架の贖いとは・・・わたしたちが罪を赦されキリストと共に生きるためです。
また数々の劣等感、高慢な思い・・・そういった思いも十字架につけられて破棄されました。
一切無効なんです。
劣等感も高慢も・・・救われた人にとっては無効です。
救われてからも霊的な揺れ動きがあり・・・劣等感や高慢を持つことがあります。
しかしそれは、十字架によって無効とされています。
無効なんだから・・・心にそんなことを覚えても全く意味がありません。
意味を持つのはキリストのみ言葉、そして神の愛です。
互いに愛し合うこと・・・それは劣等感や高慢があれば出来ません。
ただ聖霊に満たされているから出来る証です。
今日は、最期にテモテという一人の伝道者が紹介されている聖句をあげておきます。
彼以外の人は、イエス・キリストの事ではなく・・・自分のことを追い求めている・・・
そうパウロは紹介しています。
クリスチャンであっても・・・自分のことを追い求めてしまう・・・ということがここで分かります。
また息子が父に仕えるように・・・福音につかえる・・・という事も書かれています。
これも大事な霊的な感覚です。
主を賛美します!
アーメン!
さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。
テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。
他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。
テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。
フィリピの信徒への手紙/ 02章 19節〜
コロサイの信徒への手紙/ 02章 13節〜
私たちは、人生の中で劣等感を持ちます。
劣等感を持つと言う事は・・・何かの規準に縛られているということ・・・何かと比較していると言う事だと思います。
もしこの世にわたしだけしかいなければ、劣等感はありません。
この世の中での比較をしてしまい・・・自分のイメージがいつも低くなります。
また・・・逆もあります。
比較する事で自分を優位とする感覚です、優越感というのでしょうか。
劣等感によって心がいじける、すねる・・・優越感によって高慢になり、また優越を得たあとの空虚感も味あうかもしれません。
人は、どこまでいっても心が満たされることはありません。
元気で調子が良いと思っていても・・・困難な状況は突然にやってきます。
病もあれば、突然の災害もあるからです。
聖書は、そのような人の有り様を・・・罪の中にいて死んでいる・・・と表現しています。
満たされない人の心・・・なにかをもとめて彷徨い歩く人の姿です。
その罪に中にいて死んでいる人を救うために来られた方がキリストです。
十字架の贖いとは・・・わたしたちが罪を赦されキリストと共に生きるためです。
また数々の劣等感、高慢な思い・・・そういった思いも十字架につけられて破棄されました。
一切無効なんです。
劣等感も高慢も・・・救われた人にとっては無効です。
救われてからも霊的な揺れ動きがあり・・・劣等感や高慢を持つことがあります。
しかしそれは、十字架によって無効とされています。
無効なんだから・・・心にそんなことを覚えても全く意味がありません。
意味を持つのはキリストのみ言葉、そして神の愛です。
互いに愛し合うこと・・・それは劣等感や高慢があれば出来ません。
ただ聖霊に満たされているから出来る証です。
今日は、最期にテモテという一人の伝道者が紹介されている聖句をあげておきます。
彼以外の人は、イエス・キリストの事ではなく・・・自分のことを追い求めている・・・
そうパウロは紹介しています。
クリスチャンであっても・・・自分のことを追い求めてしまう・・・ということがここで分かります。
また息子が父に仕えるように・・・福音につかえる・・・という事も書かれています。
これも大事な霊的な感覚です。
主を賛美します!
アーメン!
さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。
テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。
他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。
テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。
フィリピの信徒への手紙/ 02章 19節〜
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