だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
マタイによる福音書/ 06章 06節
神様は、天の父である。
イエス様は、そう語られます。
そしてイエス様、ご自身の父です。
神様が父であり、神様だけが、本当の父であると・・・そうはっきりと確信する事は、とても大切です。
この地上でも必ず両親がいます。
しかし中には・・・早くに両親との死別などを経験される方もおられると思います。
この親と子供の訣別、また一体の関係・・・これは聖書を通して語られるメッセージの土台でもあります。
アブラハムとイサクの関係、また相続の系図・・・イエス様と天の父・・・・。
親という存在があります。
この親には、色々な親がいます。
生みの親、育ての親・・・またアブラハムは信仰の父と呼ばれ・・・様々な世界で、第一人者の方が、○○の父と・・・呼ばれます。
一つの称号ですね。
この中で、肉の生みの父は、必ず一人しかいません。
生みの母も一人しかいません。
わたしは、小さい頃、、、2.3歳の時です。
まだ両親という存在をあまり意識はしていませんでした。
しかし・・・なぜか・・・両親を悲しませてはいけない・・・という心の思いがありました。
現実の行動は、悲しませてばかりだったと思いますが・・・
・・・それでも心には、親を悲しませてはいけない・・・という思いがあり、行動の基準になっていました。
親をある意味、知らないのに・・・そういう思いがあったのです。。
もちろん・・・罪びとである自分です。
だからそう心にあったとしても、行動は罪びとです。
ですから、そう思っていなくても・・・してきたことはあまり変わらなかったかもしれません。
(罪びとは、親を喜ばせる方法を知らないのです。。。。)
また父親の言葉で、中学生ぐらいの事でしょうか。
反抗期のころですね。
よく覚えていることがあります。
それは・・・母親という弱い存在に対してだけ強くいるな・・・という言葉でした。
これも不思議です。
クリスチャンになってから・・・やっとその事が、少しだけ実行させられている気がします。
わたしの人生、罪びとである自分は・・・ただただ卑怯者で臆病者で恐れを心にいただき・・・そしてまた自分を誇るものでした。
イエス様に出会って・・・少しづつ変えられています。
それは・・・やっと自分の親が・・・イエス様の父であられる神であることを覚えたからです。
クリスチャン、神の子として親である神を・・・悲しませたくはありません。
神様の喜びを・・・日々感じていられますように。
お読みくださりありがとうございます。。
キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。
ガラテヤの信徒への手紙/ 01章 04節
マタイによる福音書/ 06章 06節
神様は、天の父である。
イエス様は、そう語られます。
そしてイエス様、ご自身の父です。
神様が父であり、神様だけが、本当の父であると・・・そうはっきりと確信する事は、とても大切です。
この地上でも必ず両親がいます。
しかし中には・・・早くに両親との死別などを経験される方もおられると思います。
この親と子供の訣別、また一体の関係・・・これは聖書を通して語られるメッセージの土台でもあります。
アブラハムとイサクの関係、また相続の系図・・・イエス様と天の父・・・・。
親という存在があります。
この親には、色々な親がいます。
生みの親、育ての親・・・またアブラハムは信仰の父と呼ばれ・・・様々な世界で、第一人者の方が、○○の父と・・・呼ばれます。
一つの称号ですね。
この中で、肉の生みの父は、必ず一人しかいません。
生みの母も一人しかいません。
わたしは、小さい頃、、、2.3歳の時です。
まだ両親という存在をあまり意識はしていませんでした。
しかし・・・なぜか・・・両親を悲しませてはいけない・・・という心の思いがありました。
現実の行動は、悲しませてばかりだったと思いますが・・・
・・・それでも心には、親を悲しませてはいけない・・・という思いがあり、行動の基準になっていました。
親をある意味、知らないのに・・・そういう思いがあったのです。。
もちろん・・・罪びとである自分です。
だからそう心にあったとしても、行動は罪びとです。
ですから、そう思っていなくても・・・してきたことはあまり変わらなかったかもしれません。
(罪びとは、親を喜ばせる方法を知らないのです。。。。)
また父親の言葉で、中学生ぐらいの事でしょうか。
反抗期のころですね。
よく覚えていることがあります。
それは・・・母親という弱い存在に対してだけ強くいるな・・・という言葉でした。
これも不思議です。
クリスチャンになってから・・・やっとその事が、少しだけ実行させられている気がします。
わたしの人生、罪びとである自分は・・・ただただ卑怯者で臆病者で恐れを心にいただき・・・そしてまた自分を誇るものでした。
イエス様に出会って・・・少しづつ変えられています。
それは・・・やっと自分の親が・・・イエス様の父であられる神であることを覚えたからです。
クリスチャン、神の子として親である神を・・・悲しませたくはありません。
神様の喜びを・・・日々感じていられますように。
お読みくださりありがとうございます。。
キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。
ガラテヤの信徒への手紙/ 01章 04節
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