「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。
人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
ルカによる福音書/ 21章 25節~
イエス様が、この地上に再び来られる。
そのメッセージです。
この世の終わりとか・・・キリストの再臨とか・・・
そんなこと、おとぎ話でしょ?
と思われる方がほとんどかもしれません。
しかし・・・聖書にはそう書いてあります。
この終末に関するメッセージもとても大切なことです。
たとえ誰も聞かなかったとしても・・・こうして書き続けていきたいと思います。
イエス様が再びこられる、そして天に挙げられる。
このことを覚えるとき、すごくハッピーになります。
この挙げられるというメッセージは、励ましのためにあると聖書にあります。
それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 17節~
これは、まさに預言の大切な意味です。
励まし合うということ。
携挙については、いろいろな神学や聖書解釈があります。
おもしろい動画があったので貼り付けておきます(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=1HfX_2AO7Cw
一見、おもしろ動画の様に感じるかもしれません。
けれども・・・信仰によってある意味、世の中の人が信じられないことを探究し真理を求めるというのは・・・神様がよろこばれることではないかと、わたしは思います。
また信仰によって励まし合えることは、本当に恵みです、どんな時も元気でいれるのだから。
クリスチャン信仰は、とてもダイナミックです。
年齢を問わずただ神に愛されて赦されている・・・またこの世界の状況を霊的に見極めていくことが出来ます。
戦いもあります、成長もあります、ただ誰もがイエス様の愛の中でその務めを果たしていくという・・・神様中心の歩みです。
イエス様に感謝します。
本当に喜びにあふれています。
皆様にイエス様の祝福が豊にありますように。
アーメン!
少し長いですが、ユダの手紙から。
愛する人たち、わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを、勧めなければならないと思ったからです。
なぜなら、ある者たち、つまり、次のような裁きを受けると昔から書かれている不信心な者たちが、ひそかに紛れ込んで来て、わたしたちの神の恵みをみだらな楽しみに変え、また、唯一の支配者であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからです。
あなたがたは万事心得ていますが、思い出してほしい。主は民を一度エジプトの地から救い出し、その後、信じなかった者たちを滅ぼされたのです。
一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。
ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。
大天使ミカエルは、モーセの遺体のことで悪魔と言い争ったとき、あえてののしって相手を裁こうとはせず、「主がお前を懲らしめてくださるように」と言いました。
この夢想家たちは、知らないことをののしり、分別のない動物のように、本能的に知っている事柄によって自滅します。
不幸な者たちです。彼らは「カインの道」をたどり、金もうけのために「バラムの迷い」に陥り、「コラの反逆」によって滅んでしまうのです。
こういう者たちは、厚かましく食事に割り込み、わが身を養い、あなたがたの親ぼくの食事を汚すしみ、風に追われて雨を降らさぬ雲、実らず根こぎにされて枯れ果ててしまった晩秋の木、わが身の恥を泡に吹き出す海の荒波、永遠に暗闇が待ちもうける迷い星です。
アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる。
それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである。」
こういう者たちは、自分の運命について不平不満を鳴らし、欲望のままにふるまい、大言壮語し、利益のために人にこびへつらいます。
愛する人たち、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい。
彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。」
この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です。
ユダの手紙/ 00章 03節~
人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
ルカによる福音書/ 21章 25節~
イエス様が、この地上に再び来られる。
そのメッセージです。
この世の終わりとか・・・キリストの再臨とか・・・
そんなこと、おとぎ話でしょ?
と思われる方がほとんどかもしれません。
しかし・・・聖書にはそう書いてあります。
この終末に関するメッセージもとても大切なことです。
たとえ誰も聞かなかったとしても・・・こうして書き続けていきたいと思います。
イエス様が再びこられる、そして天に挙げられる。
このことを覚えるとき、すごくハッピーになります。
この挙げられるというメッセージは、励ましのためにあると聖書にあります。
それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 17節~
これは、まさに預言の大切な意味です。
励まし合うということ。
携挙については、いろいろな神学や聖書解釈があります。
おもしろい動画があったので貼り付けておきます(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=1HfX_2AO7Cw
一見、おもしろ動画の様に感じるかもしれません。
けれども・・・信仰によってある意味、世の中の人が信じられないことを探究し真理を求めるというのは・・・神様がよろこばれることではないかと、わたしは思います。
また信仰によって励まし合えることは、本当に恵みです、どんな時も元気でいれるのだから。
クリスチャン信仰は、とてもダイナミックです。
年齢を問わずただ神に愛されて赦されている・・・またこの世界の状況を霊的に見極めていくことが出来ます。
戦いもあります、成長もあります、ただ誰もがイエス様の愛の中でその務めを果たしていくという・・・神様中心の歩みです。
イエス様に感謝します。
本当に喜びにあふれています。
皆様にイエス様の祝福が豊にありますように。
アーメン!
少し長いですが、ユダの手紙から。
愛する人たち、わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを、勧めなければならないと思ったからです。
なぜなら、ある者たち、つまり、次のような裁きを受けると昔から書かれている不信心な者たちが、ひそかに紛れ込んで来て、わたしたちの神の恵みをみだらな楽しみに変え、また、唯一の支配者であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからです。
あなたがたは万事心得ていますが、思い出してほしい。主は民を一度エジプトの地から救い出し、その後、信じなかった者たちを滅ぼされたのです。
一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。
ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。
大天使ミカエルは、モーセの遺体のことで悪魔と言い争ったとき、あえてののしって相手を裁こうとはせず、「主がお前を懲らしめてくださるように」と言いました。
この夢想家たちは、知らないことをののしり、分別のない動物のように、本能的に知っている事柄によって自滅します。
不幸な者たちです。彼らは「カインの道」をたどり、金もうけのために「バラムの迷い」に陥り、「コラの反逆」によって滅んでしまうのです。
こういう者たちは、厚かましく食事に割り込み、わが身を養い、あなたがたの親ぼくの食事を汚すしみ、風に追われて雨を降らさぬ雲、実らず根こぎにされて枯れ果ててしまった晩秋の木、わが身の恥を泡に吹き出す海の荒波、永遠に暗闇が待ちもうける迷い星です。
アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる。
それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである。」
こういう者たちは、自分の運命について不平不満を鳴らし、欲望のままにふるまい、大言壮語し、利益のために人にこびへつらいます。
愛する人たち、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい。
彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。」
この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です。
ユダの手紙/ 00章 03節~
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