「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。
ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。 『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
ルカによる福音書 / 18章 10節~
イエス様のたとえ話です。
神様は、高ぶる者を低くされる・・・へりくだる者を高められる。
高慢な心というのは・・・神様のみ前に正しくされない・・・しりぞけられる。
聖書を読むとそう書いてあります。
人は、どんなに謙遜を目指しても・・・ちょっとした事で高慢の種が入る。
わたしの心を見たときに・・・ある一面は、謙遜でもある一面から見れば・・・高ぶりがある。
決して・・・誇れることではない事にも高慢になる。
これは・・・結局のところ、ゆるせない何かであるし、委ねられない何かだと感じます。
すべて・・・すべてのすべてを主にゆだねる。
神様のものとされているのだから・・・それでいい。
イエス様の十字架を見上げ・・・キリストを見ていくこと・・・
ゆるし続ける歩みをしていけますように。
感謝して。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
マタイによる福音書 / 11章 29節