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「言の葉の庭 」感想・・・すれ違いすぎ

2016/10/13 00:22 投稿

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  • 新海誠
現在絶賛ヒット中の映画、新海誠監督の「きみの名は。」この映画のヒットでふと思い出したのが、HDDに録ったまま忘れていたアニメ「言の葉の庭 」。






映画の予習にと観てみると映像はもちろんだが、話のほうも過去に観た新海誠監督の作品「ほしのこえ」「秒速5センチメートル」などと比べて、格段に深く良い 内容だったので驚いた。

しかしネット上などでこの映画の批評・感想を見ると、映像に対しての評価は
高いもののストーリーについてはあまり評価されておらず、
むしろ「単調な内容」や「地味」といった感じの感想が多いのが残念だ。
「男女のすれ違い」というテーマで作品を描き続ける新海誠監督。
そのひたむきな作風は一種の求道者のようにさえ感じられる一方、
その傾倒ぶりが何かフェチズム的な自身の趣向を作品に塗り込めているように
感じる。

本作の「言の葉の庭」はまさに「すれ違い」という本命テーマを40分の尺に
何重にも詰め込んだ快作だったように思う。

さて本作を振り返ると。
日々懸命に生きる主人公の秋月孝雄、家事・学校・バイト・靴作りと忙しい毎日を暮らしていた。だがその心中は決して明るい物では無かった。


日々に暮らしの中に、鬱々とした気分を孕んで生きていた。
そもそもの理由は自堕落な母が起因する家庭の乱れが原因だった。
孝雄は暖かい家族団欒への思いを引きづりながら生きる中で、彼の心はいつしか
幸せな思いでの中心にあった「靴」に魅力を感じるようになる。




 
この靴と家庭とを取り違えるというのも一つの「すれ違い」だろう。

そして公園での教師雪野との出会い、交わす言葉の「すれ違い」。雪野からみた 孝雄という男性に対する印象のすれ違い。



(雪野は酒のわかる孝雄を大人ぽい生徒・夢のある立派な青年と見るようになる)

しかしこうした偶然のすれ違いを重ねるからこそ近づけた二人の男女。
お互いを見誤るからこそ、近づけるという「すれ違い職人」の技ですね。


そんなすれ違いを繰り返す孝雄と雪野。二人は自身の心のすれ違いに気づかないまま、お互いの関係の中に本当の自分たちが求めている幸せの形を見る。

しかしお互いが素直な気持ちで自身を語り、すれ違いを解いてしまうと、二人は離れていってしまう・・・。

(愛に応えてもいいかな?と思い追いかけるも、孝雄が単なる高校生だという事に気づく雪野、ここのめまぐるしい表情の変化)

そして遠くにお互いを思いながらすれ違う二人、孝雄を待つ雪野。
孝雄は大人になったら雪野に会いに行こうと決意するも、彼の思い描く理想の大人像は高く曖昧だ。




もし彼が普通に大人として成長したなら、高校時代に焦がれた教師に会いに行くような事はしないだろう。そしてすれ違い続けるという・・・。


どんだけすれ違いが好きなんだこの監督!すれ違いマニア過ぎるだろう・・。
というのが一番の感想ですね。

足フェチなどの部位に魅力を感じる人・下着や制服など女性を象徴する物に興味をそそられる人などいるが、こうした「すれ違い」というシチュエーションに異常に興味を注ぎ続けるというのも珍しい。

何作も同じようなテーマに注力する姿は一般的には「気持ち悪い」とさえ
思われそうだ。


しかし一つのテーマを長年にわたり執拗に追い続け、芸術的なまでに仕上げる力量を見れば、こうした言葉は適切ではないだろう。一言でいえば「奇特」な人と作品だというのがしっくりくる感想ではないだろうか。

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