中国産のご機嫌なブロマガ

会いたくて 会いたくて 震える

2015/01/17 17:42 投稿

コメント:1

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1995年(平成7年)
1月17日午前5時46分52秒。


当時4歳の僕は、
もちろん熟睡中だった。


そんな幼き僕でさえ、
わけが分からず、飛び起きた。


いつもは、お酒が入ると
ふざけてケツ出すような父も、
僕の寝ていたところに急いで
覆いかぶさるように飛び掛って、
崩れる家具から僕を守った。


ゴゴゴゴゴと地球が音をたてた。


「阪神・淡路大震災」


母は、
六甲山が噴火したのかと思ったもの。
と語っていた。


もちろん、活火山でもないただの連なる山だが、
それほどにまでパニックになってたということだろう。


道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話。


ライフラインは寸断されて広範囲において全く機能しなくなった。


何が起きたかわけも分からず、
家族4人が固まりながら、
リビングに向かった。


食器という食器が、棚から飛び出して割れていた。


部屋の家具の配置がすべて動き変わっていて、
ヘタクソな模様替えみたいになってた。


どこかしらの犬がワンワン吼えていた。


近所の家からは泣き声が聞こえた。


つかない電気。


沸かない水。


使えないトイレ。


おぼつかない食事。


はしゃぐ僕。


叱る母。


そこからの二度寝の父。


余震で緊張が走る家族。


二度寝の僕。


常になにか作業してる母。


なぜか常に正座の2歳の弟。


はしゃぐ僕。


叱る母。


僕が初めて小学校に行ったのは、
ランドセルも持たず、
入学式でもなく、
念のための「避難」、という形だった。


こういうとき必要なのは、
「情報」だ。


家族の安否は?
被害状況は?
水はどこに?
食べ物は?
トイレは?
営業している店は?
行政の施策は?


親が避難所で知り合いとずっと話していたのを覚えている。


そんな、世界が少し違って見えた4歳の冬。


僕が幼稚園に入って、
弟と家で地震ごっこをして親に
「不謹慎」
と怒られた。


不謹慎の意味が分からなかった5歳の冬。


ちなみに、
日本がこの阪神・淡路大震災で受けた援助はこうだ。


米国: 地震専門家、毛布57千枚、飲料水23万リットル他

スイス: 捜索犬22頭、救助隊員26名

フランス: 救助隊員61名、捜索犬4頭

カナダ: 地震専門家、50万加ドル相当、テント他

英国: 毛布18千枚他

ドイツ: 50万マルク物資

オーストラリア: 20万リットル飲料水

中国: 10万ドル、320万元相当の物資

タイ: 副首相一行が救援物資と来日、医療チーム

韓国: 300トンの物資

スリランカ: 紅茶3トン

カンボジア: 2万ドル

インド: 1億円相当の物資

北朝鮮: 2000万円

台湾: 2000万円

パキスタン: タオル6トン

バングラデシュ: 茶5トン

モンゴル: 副首相が物資と共に来日

インドネシア: 合板

ネパール: ウールショール500枚



「お茶多っ。」

って思った23歳の冬。












コメント

もらいバビ
No.1 (2015/01/17 23:29)
正直ほぼ覚えてない
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