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里芋好きの智者 『徒然草 気まま読み』#96
アル中とあまり変わら おつかれさまでした。 そりゃうまいけど・・ 皮肉か? ブタゴリラ以来 いもがしらって響きが さわやか! よしりん先生とちと似 「それは私であった」 自己ドーパミン 自由という言葉があっ
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販売期間 2020年08月28日 11:55 〜 2037年12月18日 00:00
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今回扱うのは、第三十段。冒頭部分を紹介すると…眞乘院に、盛親僧都(じょうしんそうず)とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭(いもがしら)といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつゝ、食ひながら書をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日(なぬか)、二七日(ふたなぬか)など、療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭を選びて、ことに多く食ひて、萬の病をいやしけり。人に食はすることなし。たゞ一人のみぞ食ひける。仁和寺・眞乘院の盛親僧都という人の話。冒頭から「やんごとなき智者」という、最大級の賛辞で紹介されているのだが、なぜだかこの人が「やんごとなき智者」であることを表す具体的な話はその後一切登場しない。出てくる話は、どう見ても奇行としか言いようのないエピソードばかり。それでも奇人変人ではなく、「やんごとなき智者」なのだという。逆に、これだけの奇行をしていても人々に一目置かれているということ自体が「やんごとなき智者」の証なのか?なんとも不思議な印象を残す一段。
配信期間
2020年08月28日 11:55 から
2038年01月01日 00:00 まで
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