第74回ゴー宣道場in九州
九州大学・井上武史准教授を
ゲストにお招きし、
立憲的改憲論シリーズの
一区切りとなる議論が
自由民権運動の立役者・玄洋社の地にて
展開される!
記入項目は…
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ゴー宣道場ブログ
ゴー宣道場
月額:¥550 (税込)
コメント
今回の道場では井上先生のお話がわかりやすく、
他国の憲法と具体的に比較して日本国憲法を考えることが新鮮で
大変勉強になりました。
国民が授権したのだから当然権力に対して監視を怠らないことも国民の責任なのですね。
大変有意義な学びを得ることができました。
民主主義国家において重要なことだと思いますし、社会科の授業で、憲法九条や前文の暗唱よりも
この憲法とはそもそもの話を教育するべきだと思いました。
ただ、私は裁判員に選ばれたらやはり辞退したいです。
己にも本職があるわけで、裁判官という本職がいながらその職責や決定の一端を本職でない者が担うことがまだ腑に落ちません。負担が大きすぎる制度なのではないでしょうか。
自分たち国民一人一人が主体性をもって国家をつくると構えることは、胸躍るビジョンでもあるのですが
一方で、主権に伴う義務と責任を考えると悩ましくなります。
いずれにせよ、憲法について私は勉強不足で、このような学びの場に参加できてつくづくありがたかったです。
1.参加(視聴)の動機(目的)は何ですか?
よしりん先生のファンで、応援をしたいからです。
2.今回のゴー宣道場の感想をお聞かせください
① 第1部について
憲法が私たちの生活から乖離されている根拠がよく分かりました。井上先生の講義は分かりやすく、長さを感じさせませんでした。フランスの制度と日本との憲法観の違いも明確にされており、とりわけ男女議員数半々は、日本でもやってみてはどうかと思いました。山尾志桜里議員のおっしゃるクオータ制の均衡と均等の相違も興味深かったです。
小林先生の過去の話は、いつ聞いても気の毒だと思いますが、私はどうしても、それも母親の広い愛情だったのではないか、試練を与えて子供が一人で生き延びる強さを与えるように鍛えたのではないか、という錯覚にとらわれてしまうのです。自分語りはあまりしないように心がけていますが、自分の場合は、よく「借金の保障人にされるから気をつけろ」と言われました。自分のようなお人好しだとそうなる、というのです。「サザエさんのカツオくんを見習え」とも。そういうふうに言われた、という話をほかの人にすると、「あなたのどこがお人好しなんですか」と言われることもあり、混乱するのですが、母親の影響とは大きなものなのだと感じさせられます。どうも話を聞いていると違うのだ、本当に放任主義なだけなのだ、と気づかされてしまいますが、何となく記してみました。お忙しい中、駄文をすみませんでした(多分、自分の場合は、逆に過干渉なんだろうとも思います)
② 第2部について
山尾志桜里議員の意気込みが感じられて良かったです。朝日新聞がそのような記事を掲載した、というのは餘程のことなのでしょう。枝野さんの議員25周年記念は、野球選手とっか御相撲さんならまだしも、ただ国会議員の在任機関だけでは、選挙に何度も通ったという自慢話のようにも聞こえてくるので、断って当然だと思います。選挙は人気投票ではなく、実際に何を議員の間にしたか、どのような政策を打ち出すのかが要なのだろうと思います。実績のないノーベル平和賞授与と同じだろうと思いました。
小林先生が裁判員にならないように祈ります。それとも、相棒でもドラマ化できたのだから、フィクションとして構成し直せば通るのではありますまいか。仕事を持って、ほかに責任もあるのに、更に別のことを義務づけられるのは、無体なことと感じられてなりません。それも国民としての責務であるのでしょうが、第一部でも話があったように、死刑判決にかかわっていなくとも、その裁判官を選ぶプロセスに参加しているのなら、それで責任を果たしていることになるので、義務は果たしていると言えます。戸主の徴兵免除のようなものも、裁判員制度には存在しないのでしょうか。
③ 全体的な感想
話がいつになく盛り上がり、会場の熱気が、5月の時とは違った意味で感じられました。小林先生が己の墮落を感じられたという話ですが、裁判員のことでそんなに悩まれなくても良いと思います。むしろ、人一人の命を左右する際に、躊躇されるのは当然です。加えて、フランシス・アイルズの殺意という小説で、陪審員制度の問題が諷刺されていましたが、裁判員制度とはそうしたこととは一線を画するものなのだという認識も新たにしました。なんとしても、憲法を私たちのものにするために、立憲的改憲を実現しなければ、と思いました。
④ 今後「道場」や「ネット道場(動画)」で取り上げて欲しいテーマ(企画)があればご記入ください
あるのですが、もうその話はしない、と宣言しましたので、やめます。自分で形にするよう、努力します。少しだけ言わせていただければ、あれを古いとか旧とかアナクロとかいう意見こそ、アナクロで偏見なのだと主張しておきます。漢字のことも含めて憲法問題とよくにています。そのことについて、「感情論」ではなしに「論理」で「議論」をしたかったです。ここまでは言わせてください。
別の話題をあげるとしたら、よくギャグ漫画家の寿命が短いとか、漫画家は使い捨てだと言われますが、そのことについても何とかできないか、それ以前に漫画は芸術たり得るのか、作者の思想とか主張のようなものを反映しているのか、といった議論もとりあげてみて欲しいです。政治の話も重要ですが、文化が成熟していなければ、形だけで内実のないものだと思います。
それでは、次回の道場も応援しています。
いつも お世話になっておりますm(__)m
予言書を発見しました、
見ていただけると光栄です。
日月地神示、大日月地神示、続 大日月地神示
①http://kisu.me/Lk4
②https://goo.gl/kaebxD
③このブログは途中から大日月地神示のより分け
http://ogy.de/09bp
④http://ogy.de/gpyx
⑤http://ogy.de/beg7
⑥日本にしかない!貴重な予言書 一覧
http://kisu.me/NuC
⑦このブログで絶対に見てほしい!厳選動画
http://kisu.me/NuD
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候補者男女均等法が国民に認知されないことが話題に上がっていましたが、これに限らず、重要な審議や政治課題が国民に認知されないことを何もかも国会側のせいにするのは、問題の解決につながらないと思います。
「分かりにくい」、「面白くない」ものは避けて通ろうとするメディア側の姿勢が変わらないと、国民が正常な判断で主権を行使する機会を結果的に奪うことにつながるのではないでしょうか。そういう意味で、先日の朝日新聞の「立憲的改憲、静かな胎動」の記事は、メディア側の姿勢が変わりつつあるのではないかと期待を持たせるものでした。
今回は、国民主権の在り方についての議論が中心でしたが、国民主権が「手段」なのか「目的」なのか、改めて整理する必要があるように思いました。憲法の三大原則にあるので、国民主権自体が「目的」であるかのような認識が国民の間で定着している観がありますが、本来は個人の尊厳を守るための最も有効な「手段」として選ばれたものだったのではないでしょうか。そしてその「手段」の有効性が揺らぎはじめたら、選挙制度見直しや憲法裁判所などのメンテナンスを行うのかと私は考えるのですが、その点(国民主権が手段なのか目的なのか)について、井上先生、山尾さんの見解をお聞きしたかったです。