先日、修士のころの同級生たちと会う機会があったのだが、そこでちょっと考えさせられることがあった。

ふと思い立って、その場にいた面々に、フェースブックを使っているかどうか聞いてみたのだが、ほとんどの人がノーと答えたのだ。じゃあツイッターはと聞いたら全員がノー。いわゆるソーシャルメディアの類は使っていない、ということだった。

ソーシャルメディアを使っていない人がいること自体は、別に珍しくはない。この手の調査は数多く行われているが、ざっくりいえば、ネットユーザーの中でソーシャルメディアを利用しているのはだいたい3割から4割、といったあたりだろう。インターネットユーザーは人口の約8割だから、ソーシャルメディアの利用者は人口からみれば2割から3割そこそこ、という計算になろうか。だから、任意の1人を連れてきて「ソーシャルメディアを使っていますか」と聞けば、どう低く見積もっても半分以上の確率で、使っていないという人に出会うことになるはずだ。

だが、私がそのとき会っていた同級生たちは、コンピュータやインターネットに関する知識がないわけではない。私が彼らといっしょに勉強していたのは、90年代前半。インターネットの商用サービスが始まってまだそう時間がたっていなかったころだ。ヤフーもなければグーグルもない。「パソコン通信」がまだ健在だった。当時のインターネット普及の最前線は、大学や大学院であり、私たちは、その大学院で、インターネットに触れたのだった。

そして現在、彼らは、国際的に展開している日本企業や外資系企業などの第一線で活躍している。各自の机にはPCが置かれているであろうし、世界各地とメールのやりとりをするのはもちろん、ネットでニュースなどを見たりもするはずだ。グループウェアなどもあたりまえに使っているだろう。そうした人たちが、自分ではソーシャルメディアを使っていないというわけだ。

基本的には、興味がないということらしい。これもデータと整合的だ。総務省が2011年に行ったネット調査(リンク先PDF)をみると、ソーシャルメディアを利用しない理由として、「興味がないから」が、情報漏洩その他のリスクへの警戒などと比べて圧倒的に高い。もちろん、リスクを避けるためという理由も少なからずあるだろう。彼らが働いているのはネット業界やIT関連業界ではなく、どちらかといえば「リアル」なセクターに属するが、そういう理由もあるかもしれない。

繰り返すが、これ自体はびっくりするようなことではない。ただ、ソーシャルメディアについて考える際、ソーシャルメディア利用者とそうでない人を、年齢、職業、その他、いわゆる情報リテラシーに関連すると思われる「属性」で分けて語ってしまうことが多いよなあ、とそのとき思った。ソーシャルメディアを使わない人というとつい、デジタルデバイドの典型的な事例と関係付けて、高齢者や乳幼児、その他一般的に情報リテラシーが低めと想定される層の人たちを想像してしまいがち、ということだ(賢い皆さんはそんなことはないかもしれないが、少なくとも私はそうなのだ)。

いわゆる情報弱者と呼ばれる層に対してネット経由でのリーチが難しい点については割と広く認識されているように思う。だが、スペック的には情報強者に分類されていてもおかしくない人たちの間にも、実際にはソーシャルメディアとは縁遠い人がかなりの割合でいるということは、頭では理解していても、意外に忘れてしまったりしている。

別に、ソーシャルメディアを使わない彼らが遅れているとか言いたいのではない。そういえばこんな記事があった。米国の有力企業の経営者は、ソーシャルメディアを使わないと遅れてるといわれてしまいそうだが、そう決めつけたものでもなかろうとは思う。私がそのときいっしょだった同級生たちに有力企業の経営者はいなかったが、話は似ている。企業としてはともかく、企業人が全員、自分で使わなければならないとは思わない。

米経営者、ツイッターに及び腰」(WSJ日本版2012年9月26日)
CEOに関する情報を扱っているCEOドット・コムなどが5月に行った調査報告によると、フォーチュン500社番付に入っている企業のCEOの70%は、ツイッターやフェイスブック、リンクトインなどソーシャルメディアを使っていない。ソーシャルメディアを利用しているCEOの間でも、ツイッターにアカウントを持っているのは4%、実名でフェイスブックを利用しているのは8%にとどまっている。米国民全体では、ツイッターを利用しているのは34%、フェイスブックは50%に達している。

とはいえ、だ。

このことが気になったのは、社会の中での情報の流れに関するソーシャルメディアの役割が増大してきているという意識があるからだ。となると、利用している人といない人との間に生じる差(つまりデバイドだ)の影響がより大きくなるのではないか、と連想するのは当然だろうが、さらに、利用している人たち、あるいは社会全体にとっても、利用していない人がいることのデメリットは大きくなるかもしれない。いわゆるバンドワゴン効果と逆方向の話だ。

総論的な話はその分野でいろいろ語ってる人がたくさんいるはずなのでそちらに譲るとして、そのとき連想したのは、たとえば災害時に電話が通じなくなったりしたら、彼らとソーシャルメディアで連絡をとることはできないのだなあ、という点だった。

災害時の連絡というと、たとえば災害用伝言板というサービスがある。通信の負荷を分散させて、災害時の安否確認がスムーズにできるよう、電話会社が運営しているわけだが、この利用率があまり高くないようだ。ある調査では、東日本大震災の際、家族や知人への連絡手段として災害用伝言板等のサービスを利用しようとした人は数%程度しかいなかったとの結果が出ている。

問題は、「やり方がわからなかった」と答えた2割もさることながら、「利用しようとしなかった」と答えた7~8割だ。使おうと思えば使えたが使おうとは思わなかった、ということか。とはいえわからなくもない。端的にいって、人は緊急時に、ふだん使わないものを使おうとはしない。非常時にしか使えないメディアが非常時にあまり使われないのは、べき論はともかく、自然なことではある。

こうした人たちは、たとえばいっせいに電話をかけようとして、電話が通じにくくなったりした。いっせいにメールを送ろうとして、メールの遅配も発生した。一方、ツイッターやミクシィなどのソーシャルメディアを使った人たちは、比較的連絡がとれやすかったようだ。もちろん数がちがうのでいちがいにはいえないが、音声よりテキストの方が負荷は小さいだろうし、それがあちこちのメディアに分散すればさらに通じやすくなるかもしれない。少なくとも震災のとき、連絡手段としてソーシャルメディアが一定の役割を果たしたのはまちがいないし、今後も一定の役割を果たし続けるだろう。

つまり、災害時の連絡手段としてソーシャルメディアが使える人と使えない人とでは、連絡がとれる可能性に差が出てくるわけだ。これは、平常時にソーシャルメディアを利用するかしないかといった、好みの問題だけですむ話ではない。安否をすぐにでも知りたい家族や知人がいるとしたら、それらの人々「全員」と連絡がとれないと安心はできないだろうからだ。もちろんその他、ニュースなどの情報を取得するための補完的あるいは代替的手段としても、ソーシャルメディアは一定程度、有効に活用できる。そしてそれは、社会全体にとっても意義がある。

もちろん、だからといって、災害時のためにみんながソーシャルメディアを使うよう義務づけろなんて話になるはずもないしそうすべきでもない。ただ、個人レベルのリスクマネジメントとして、何かのときのために、ふだんから複数のコミュニケーション手段をもっておくことは有効、というのは、ひとつの考え方としてありうるだろう。よしあしは別として、ソーシャルメディアを使わない人、言い換えれば何かのときのコミュニケーション手段が相対的に限られている人がいることが、社会全体にとってのリスク要因、あるいはコスト要因ととらえられる時代も、ひょっとしたらくるのかもしれない。