はてな匿名ダイアリー、通称「増田」にこんな投稿があって、ツイッターの私のタイムライン上でこれに関するちょっとしたやりとりがあった。

高校1年だけどコンピュータ、インターネット創成期が羨ましい」(2012年10月12日)

ごく短い文章で、あの頃は「資本がなくても大富豪になるチャンスがあった」らしいからという理由だ。まあ非常にわかる気持ちではある。あまり深く考えず気楽にそのときの気分を書いたということなら別に気にしないが、どうもそうでもないかもしれないという気がしたので、少しだけ書いてみる。高校1年とあるので、できるだけかみくだいて書くよう努める。とはいえ最初にはっきり書いておくべきだろう。そもそも、「大富豪になるチャンスがあった」という論点そのものがまちがいだ。チャンスがあれば大富豪になれるのだったら、今の世の中、大富豪はもっとごろごろしているはずで、こういう議論にあまり意味はない。ひとことでいえば、宝くじはどの1枚にも当たるチャンスがあるが、だからといって買えば必ず当たるというわけではない、という話だ。

もう少し具体的な例を出してみる。歴史を知った上で戦国時代に戻れば、明智光秀の謀反を織田信長に知らせて恩を着せて大名に取り立ててもらうことだってできるだろう。うまく取って代われば天下統一だって夢ではないかもしれない。ではなぜ当時の織田家家臣は信長に知らせることができなかったのか。当たり前だが、知らなかったからだ。では自分が実際に当時生まれていたら、それをあらかじめ知ることはできただろうか。まあ無理と考えるのが妥当だろう。知っている理由がない。

これでも実感がわかなければ、では今、「チャンス」がどこにあるか考えてみることだ。あえて断言するが、20年後、今を振り返れば、「ああ、あの頃あれをやってれば今頃大金持ちだったのに」というチャンスは必ず見つかるはずだ。ではなぜ今それに気付けないのか。ネット創世期に「資本がなくても大富豪になるチャンス」に気づいていた人は、それほど多くはなかった。ドットコムバブルはやがてはじけると考えた人もいたし、ベンチャーなんてこわくてとても、という人も多かったろう。自分が当時生きていれば気づいていたはずだというなら、今の時点で、今あるチャンスにも気づけないはずはない。

もちろん、気づいていたからといって成功できるとは限らない。気づいた人がたくさんいれば、そこで競争が起きる。実際に当時ネットビジネスに乗り出した人も、その多くは競争に敗れて消えていった。楽天と同時期に「電子商店街」ビジネスを始めた会社はかなりの数あったと記憶している。90年代にはそこら中にあったホームページ作成会社は今どうしているだろう。今私たちが見ている、ネット創世期に「うまくやって成功した」ようにみえる人たちは、実際には、そういう競争を勝ち抜いてきた勝者だ。そういう人たちだけを見て「あの時代に生まれていれば簡単に成功できた」などと思うのは、甘い幻想でしかない。

投資の業界で、サバイバーシップバイアスということばがある。いろいろな投資ファンドの過去の収益率の平均をとると、実際より高めに出てしまうという現象だ。さまざまなファンドが資産運用を始めると、業績の悪いものはどんどん脱落していくので、生き残ったものだけで平均をとると実際より高くなってしまう。今のネット長者たちを見て「当時のネット業界では簡単に成功できた」などと考えるのは、同じ時期にビジネスを始めて、競争に敗れ消えていった多くの人たちを無視するというバイアスのかかった見方だということだ。

それから、当時と比べて今チャンスと思えるのは「医療とか沢山のお金が必要なものばかり」だからだめだという点も、大きく疑問符をつけたい。それがまさに、ネット創世期の大半の人と同じ発想だからだが、では本当に「沢山のお金が必要なものばかり」なのだろうか。確かに、沢山のお金が必要な事業の方が多いかもしれないが、それは当時とて変わらない。逆に、今はもう、あまりお金のかからない事業機会はないのかというと、そうでもないような気がする。

たとえばスマートフォンのアプリ市場は激烈な競争状態だが、アプリ自体を作るのには資本はほとんど要しない。低予算でも優れたアプリを作ることができれば、市場は世界規模だ。一気に億万長者になるチャンスだってあるだろう。たとえばインスタグラムは2人で始めて、公開から2年足らずで10億ドルで買収された。ものづくりの分野でも、たとえば3Dプリンタのような技術は、必要な資本を段違いに小さくすることができる。もちろんその他にも、チャンスはいろいろあるだろう。問題は、どの事業分野にチャンスがあるのかではなく、自分にどのような具体的なアイデアがあるか、それを実現できる力が自分にあるかという点だ。

多少の資金が必要な分野であっても、今はベンチャー資金が当時よりはるかに利用しやすくなっている。きちんとした技術とビジネスプランがあれば、それなりの規模の資金が集まるチャンスはあると思う。

もちろん、一般論としてチャンスがあっても、大半のチャレンジャーは競争に敗れる、というのは上記の通り。勝者となるのはごく少数だ。しかしうまく成長して生き残れば、20年後には、「2010年代 はチャンスが沢山あってよかった。あの時代に生きていれば」と言われるようになるだろう。かつて「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」と言ったのはサッカー選手のベッケンバウアーだったか。まあ、そういうことだ。

過去がうらやましいというのは、いってみれば今の時代の閉塞感を反映したものなのだろう。この先見通しは暗い。そう語る人が多い。実際、私もそう明るいとは思っていない。しかし、真っ暗かというと、そこまででもないだろうし、領域によってはかなり明るいところもあるように思う。実際、ネット創世期というのは、アメリカはともかく、日本ではバブル崩壊後の、どちらかといえば暗く感じられる時期だった(実際には景気が拡大していた時期もあるにはあるのだが、一般人に実感はほとんどなかったと思う)。ネット事業の好調が伝えられても、多くの人は暗い時代に咲いた徒花のように見ていたし、ドットコムバブルが崩壊したときには「それみたことか」といわれたものだ。そうした中でネットの「未来」を信じた人たちの中のさらにその一部が生き残った。その後参入した人たちも、多くが脱落して少数が生き残り、そうやって今のネット業界ができている。今の目からは「うらやましい」ようにみえても、当時の人にいわせれば、「そんなことはない」ということになるだろう。

この件で最も気になったのは、上記の「増田」を書いた「高校1年生」が、ビジネスに「正解」があるかのような考えを持っているのではないかと思われたことだ。ネットビジネスという「正解」を知った状態で過去に戻りたいという発想は、その「正解」が当時も自明の正解だったと考えていなければ出てこないのではないかと思う。しかし、ビジネスに限らず、人生全般にそうだろうと思うが、これが100%正解という類の正解は、現実の世の中にはほとんどない。数少ない例外が学校教育だが、高校1年といえばそろそろ大人の世界に入る準備をしてもいいころだ。「正解」がわからない世界について、ぜひ想像をめぐらせてもらいたい。

もちろん、大人の中にも、世の中には「正解」があるという幻想の中に生きている人はたくさんいる。だからそういう生き方も、望むならできなくはないだろう。しかしそういう幻想はしばしば打ち砕かれるし、そのために損をすることもたびたびあるように思う。少なくとも、「大富豪になる」ことをめざすような生き方をしたいのであれば、そういう幻想からは早く脱却した方がいいかもしれない。

ともあれ、こういうことなど何も考えていない高校1年生も多かろうから、考えただけ一歩先んじた、ともいえるかもしれない。今はシニカルな見方の方がはやりっぽいが、前向きな人は応援したいと思っているので、過去ではなく未来を見て、ぜひがんばってほしい。まずは学校の勉強をしっかりやることかと思う。その上で、世の中の動きをよく見て、いろいろな人と話して、いろいろ考えてみるといい。もちろん成功の保証はないが、リスクをなくすことまではできないまでも、小さくする方法はいろいろある。もちろん覚悟の上で、思い切って賭けるのもアリ。少なくとも成功者たちは例外なく、そうやって「賭ける」タイミングがあったはず。あらかじめ備えておけば、失敗は必ずしも破滅ではないし、再起のチャンスもめぐってくるかもしれない。あとは自分の選択だ。
(山口)