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【講義アーカイブ】“空有の論争”とは何か 日本編(講師:師茂樹)[2021年8月28日]
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※ レジュメ( http://ow.ly/hymA30rSivW )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。7世紀後半にインドを旅した義浄『南海寄帰内法伝』によれば、インドの大乗仏教には「中観」と「瑜伽」という二つの学派があったという。前者は、ナーガールジュナ(龍樹、2〜3世紀)の『根本中頌(中論)』で確立された空の理論を重視する学派であり、6世紀頃に活躍しバーヴィヴェーカ(清弁)が「中観派」を自称するようになる。一方後者は、「ヨーガを実践する人々」(ヨーガチャーラ)とよばれた人々が、空の理論や経量部の学説などを取り入れ、アーラヤ識説や三性説をはじめとする理論体系を構築した学派である。瑜伽行派、瑜伽行唯識派などと言われている。両派のあいだでは、空の理解について違いがあったため、「有空諍論」「空有の論争」「無と有との対論」などとよばれる論争があったと言われている。実際、両派の著作には、お互いを批判するような言説が見られる。しかし、玄奘の『大唐西域記』などでは、論争がなかったかのような記事も見られる。玄奘の弟子たちの著作のなかでは、バーヴィヴェーカを強く批判する者がいる一方、両者のあいだには論争はなかった、という者もおり、様々な議論が展開された。日本に仏教が伝わり、奈良時代になると、ナーガールジュナの著作にもとづく三論宗と、瑜伽行唯識派の流れをくむ法相宗のあいだで様々な対立が起きた。中国ではじまった三論宗においてバーヴィヴェーカの著作が研究されることはなかったが、日本の三論宗はバーヴィヴェーカの著作を自宗のものとして受け入れ、法相宗とのあいだでインド以来の議論を繰り返すような論争が行われた。本講義では、インドから日本に至る「空有の論争」について、その連続性と断絶とを意識しながら、解説したい。※ この動画は、インド〜日本編です。
配信期間
2021年08月29日 13:32 から
2038年01月01日 00:00 まで