年末年始の風習やテレビ番組などについての、肩のこらない雑学を30コ取り上げてみた。年末年始の話題に困ったときに、ちょっと振ってみてはいかがでしょう? (トップ写真は初詣の元祖とされる川崎大師(平間寺)大本堂)
●1,初詣は江戸時代の人はしていない
実は明治時代に盛んになった風習で、元々川崎大師の宣伝で使われたらしい。明治30年代まで川崎大師のキャッチフレーズ的なものだったようである。川崎大師そのものは鎌倉時代からある寺だが、今のように立派になったのは幕末から明治にかけてである。
初詣に近い「恵方詣」すら幕末に盛んになった行事で、非常に新しいものである。
(宝島社「神道を知る本」など)
●2,初詣は元々はある組織のステマだった?!
明治時代に電鉄会社が、自分の沿線にある神社仏閣を「恵方」だという一大キャンペーンを張ったので初詣が大流行した。この時、陰陽道で言う恵方は全く無視されたので一部から批判も出たが、なんとなくなし崩し的に広まってしまったというのが真相のようである。(宝島社「神道を知る本」)
●3,初詣訪問者ランキング上位の寺は実は教えが同じ
実は全て密教寺院である。新勝寺・川崎大師が真言宗で、浅草寺は戦後天台宗から独立した聖観音宗だが、これらは全て仏教で言う密教に属している。従って、得意分野は開運厄除けで、修行を積んだ阿闍梨が密教の秘法である護摩祈祷をしていただける。
●4,浅草寺の本尊の観音様の姿は未だによくわかっていない
秘仏とされ、姿を見た人がほとんど誰も居ないため、姿がわからなくなっている。
「浅草寺の裏観音像と同じ姿」「そもそも仏像ではなく金の龍の像」「両手足が破損した古い観音像」「別の寺院に移した」
など、噂は色々あるが実際は不明である。
明治時代に、観音様は実は存在しないという噂が流行ったため、当時の役人が調べた所、「奈良時代の様式の聖観音像で、高さ20センチほど、焼けた跡が伺え、両手足がなかった」という報告であったというのが、浅草界隈を長年取材している五木寛之氏の説。(五木寛之『百寺巡礼』)
●5,明治神宮の杜は太古からあったものではない
元々、明治神宮の敷地は肥後熊本藩の武家屋敷だった所で、森林などはなかった(だから熊本藩主の加藤清正が掘った『清正井』がある)。
今の森は大正時代に、「100年後に太古の森のように鬱蒼と茂るように」と当時の林学者が計画して作り上げたいわば人口の森なのだ。
●6、浅草寺のおみくじを発案したのはあの有名人。凶が多い理由もある。
浅草寺のおみくじはあの南光坊天海が観音様のお告げで発見したとされるもので、「大吉は運の頂点でそこから落ちていくだけ、凶もこれから良くなるのだから悲観しなくて良い」という教えのため、凶が非常に多く3割以上が凶だと言われている。
●7、明治神宮のおみくじは神様からのお告げの和歌が書かれている
明治神宮のおみくじは和歌の達人だったご祭神の明治天皇・昭憲皇太后の
御製が書かれているもので、「神様からのお告げ」なので吉や凶の表示がない。
この和歌のおみくじが大変良く当たるとネット上では話題になっている。
●8,おみくじは結ぶものではない
おみくじ思想史研究をしている大野出・愛知県立大准教授によると、
おみくじを木の枝に結ぶ風習は神道とも仏教とも何の関係もなく、大正時代あたりから始まった無意味な風習とされている。ある寺院の90を超える老僧に大野准教授が聞いた所「ワシの若い頃はそんなことをしておる者は誰もおらんかった」という回答が帰ってきたという。
結んだからといって凶が吉になるわけでもない。神社仏閣にあるおみくじを結ぶ棒は、木におみくじを結ぶと木が傷むためにやむなく設置してあるもので、専門の業者から購入している。
木に結ぶのは枝が折れたりするので神社仏閣では止めてほしいと
呼びかけているが、一度俗信が広まると中々収まらない。
(同氏著『神さまが嫌う最悪参拝 仏さまが喜ぶ最良参拝』講談社より)
●9、おみくじは本当はお経を3回、真言を333回読んでから引く
前出の大野准教授によれば、おみくじの本来の作法では、
「引く前に観音経を3回読み、聖観音、十一面観音、
千手観音の真言を333回読んでから引くこと」になっているそうだが、多分やっている人は誰もいないであろう。
神社によっては、生年月日を巫女さんに告げてから引くものもある。
●10,ランキング上位の神社仏閣で、最も古いのは氷川神社?
日本の古代の年代については諸説あるが、ビックデータ解析で古代史を研究している、数理文献学の大家・安本美典氏の研究を元にすると、概ね以下のようになるようだ。
氷川神社…第5代孝昭天皇3年4月(西暦340年ごろ?)
熱田神宮…第12代景行天皇の時代(西暦410年ごろ?)
住吉大社…第14代仲哀天皇9年(西暦430年ごろ?)
鶴ヶ岡八幡宮…康平6年(1063年)
浅草寺…推古天皇36年(628年)
川崎大師…大治3年(1128年)
太宰府天満宮…延喜19年(919年)
伏見稲荷大社…和銅年間(708年-715年)
成田山新勝寺…940年(天慶3年)
●11,ジャニーズ事務所と大岡越前は同じ神様を信仰している
赤坂の豊川稲荷別院を信仰している。赤坂の豊川稲荷は元々大岡越前の屋敷で、越前が信仰していたお稲荷さんが始まりであるという。
ここにはジャニーズ事務所所属タレントの奉納した提灯が多数掲げられているが、ちょうど大岡越前を演じている東山紀之氏の提灯もちゃんとある。こういうのも珍しい。
なお、愛知県にある豊川稲荷(妙厳寺)は、イチロー選手の父母が40年来信仰しているという(『東愛知新聞』「イチロー選手の両親が豊川稲荷参拝」2013年1月7日)。
●12,神田明神と新勝寺は一緒にお参りしてはいけない
神田明神の祭神は平将門公で、公が挙兵した時に、それを破るために敵軍が
信仰したのが新勝寺だから。江戸時代には神田明神の信者が新勝寺の信者を襲撃したりもしていたという伝説がある。今はまあ、そんなこともないんでしょうけどね。
ところが、歌舞伎の『助六』は日本橋魚河岸の話で、新勝寺のイメージキャラクター的存在の故・市川團十郎丈は日本橋の通りの石碑に揮毫していた。ところが日本橋は神田明神の氏子地域だったから、「神田明神の参拝者は成田山に参ってはならないとの言い伝えがあるくらい。成田屋さんにちなんだ通りができるなんて神田明神の陣地に殴り込みをかけたようなもの」と一部で問題にしていたら、その直後に團十郎の息子の海老蔵が暴行事件に巻き込まれたという本当かどうかよくわからない話がある。(『海老蔵の暴行事件は将門のたたり!?衝撃の噂を徹底調査』夕刊フジ、2010.12.25)
●13,唐沢山神社と神田明神も一緒にお参りしてはいけない
唐沢山神社の祭神は将門公を討ち取った藤原秀郷公である。要するに、
阪神ファンが巨人を応援するようなことになるのだな。
●14,明治時代以降に出来た有名な神社仏閣は意外と多い
明治神宮が大正時代の創建なのは有名だが、深川不動尊も明治2年の創建と意外と新しく、この他、「建武中興十五社」といわれる神戸湊川神社(祭神は楠木正成公)、鎌倉宮(祭神は護良親王)等の建武の新政で活躍した武将を祭った15箇所の神社も明治創建だし、建勲神社(織田信長公)・豊國神社(豊臣秀吉公)等の戦国武将を祭った神社も明治創建が多い。これは、旧藩主を崇拝する意味で家臣たちが城跡に祭った神社が地方には多数あるからである。
この他、有名な神社の分社である東京大神宮や出雲大社東京分祠も明治創建である。
●15,成田山は全国チェーンである
成田山新勝寺の公式ウェブサイトによると、
「全国に71カ寺の別院・分院・末寺・末教会・成田山教会があります。」ということで、北は北海道から南は沖縄まで全国各地に成田山があるのだった。さすがに海外にはない模様。
●16,靖国神社も全国チェーンである
戦前、戦没者を慰霊・追悼するために全国に靖国神社の分社である護国神社が作られ、各県ごとに少なくとも一箇所存在することとされた。
村々で祀っていたものが残っているところもある。
●17,全国で一番多い神社は八幡神社
國學院大學の岡田荘司教授の調査によると、全国で最も多い神社は八幡神社
(八幡宮)で、7,817社というから多い。これは武士の成立とともに
源氏が氏神の八幡神社をあちらこちらに立てたのと、戦場での名乗りの時に「姓は源氏」というと格好が良かったので、源氏でない武士でも源氏を称した者が多く居たかららしい。(歴史作家の八切止夫の説)なお、平家の氏神は厳島神社、藤原氏の氏神は春日大社だが、これらの神社はそれほど増えなかった。
●18,ほこらまで勘定すると一番多い神社はお稲荷さんになる。
17の岡田教授の調査は宗教法人登録済みの神社を調べたもので、
『神道史大事典』によれば個人が祀っているお稲荷さんのほこらまで加えると全国三万社となり、お稲荷さんの数が最も多いことになる。
●19,お稲荷さんが多い理由は実はよくわからない。
お稲荷さんが何故こんなに多いのか、八幡神社が多いのに比べると理由は実ははっきりしない。言われているのは、以下の様な理由である。
○徳川家康がお稲荷さんの信者だったので江戸市中に稲荷神社がやたらに作られ、「伊勢屋、稲荷に犬の糞」が江戸で多いものとされたため。
○伊勢神宮外宮とお稲荷さんが同一視されたため、お伊勢参りをした人が
やたらに建立した。
○やっぱり収穫は大事だから
○お稲荷さんを祀る密教の秘法「荼吉尼天(だきにてん)法」の霊験があらたかだというので、天海が家康に進め、天海の影響でお稲荷さんが増えた。
○弘法大師空海がお稲荷さんを東寺に祭った為、真言宗の坊さんがお稲荷さんを担いで回った。
○お稲荷さんは創建手続きが簡単だった。伏見稲荷に飛脚便で頼めた。
○江戸時代の笠間城主(歴代のどの城主かは諸説ある)の一族が宣伝して回ったため、お稲荷さんが増えた。
諸説あるものの根拠薄弱なものが多いと思われる。
まず、家康が稲荷神社を崇拝したという記録は江戸幕府の公式史料『徳川実記』になく、家康が信仰したのは八幡宮と鹿島神社、神田明神のようである。そもそも天海が荼吉尼天法を修した記録も余り無いのだった。「お稲荷さんの創建手続きが簡単だ」という話も、かなり眉唾で、全国のお稲荷さんの総本社とされる伏見稲荷大社では、江戸寛政年間に、奉行所から「土御門家の陰陽師がお稲荷さんを民家の藪に立てたいと言っているが問題ないか?」と聞かれたのに対し、「お稲荷さんの創建は一子相伝の秘事だから簡単に出来るものではない」
と断っており、飛脚便で宅急便が届くという話はかなり難しそうに思える。
記録が確かなのはお稲荷さんと真言宗との関係で、これが一番確からしいのではないかと思われるし、笠間城主の話ももっともらしい。笠間城主は代々幕府老中職を務めた名門であった。
●20,お寺のお稲荷さんはインドの女神である
ダーキニーという、今でもヒンズー教で「魔術により強風を起こし、虚空を飛ぶ魔女」とされているが、これが後に仏教に取り入れられ荼吉尼天となったものである。
<テレビ篇>
●21,紅白より「ゆく年くる年」の方が古い
1927年(昭和2年)にラジオで除夜の鐘を中継したのが始まりで、
第一回紅白歌合戦の24年前に既に放送されていた。今年で放送開始から86年を迎える、現在でも放映が続いている中で日本最古の番組である。
●22,「ゆく年くる年」は、昔は「除夜の鐘」というそのまんますぎる番組名だった。
●23,「ゆく年くる年」には民放版、タイガース版が存在した。
1988年まで民放各局が持ち回りでやっていた「ゆく年くる年」が存在したが、現在は放映されていない。阪神タイガースの中継が中心の兵庫県のサンテレビでは、阪神の選手がカウントダウンを行う番組があったが、今年は公式ページに記載されていない。
●24,紅白歌合戦は元々1月3日にやっていた
1951年の第一回紅白歌合戦は単なるバラエティ歌番組で、
大晦日にやっているものではなかった。
●25,紅白歌合戦はGHQから「紅白音楽試合」に改称させられた
紅白のプロトタイプ番組として、1945年11月に「紅白音楽試合」という番組があった。この時、NHKは当時日本を支配していたGHQに番組名を「紅白歌合戦」として届け出た所、『敗戦国がこの期に及んで「合戦=battle」とは何事かと激怒され、「試合=match」で許可を得た』(産経新聞)という。
この頃、軍国主義的ということで時代劇も禁止されていた。
●26,紅白歌合戦が大晦日になった理由は「正月だと会場が取れない」為
『正月の劇場は公演がめじろ押しで“空き”がないことから、
NHKは窮余の策として大みそかにずらしたといわれている。』(産経新聞)
●27,紅白の後、審査委員長は別の歌合戦番組「おママ対抗歌合戦」に出演する
審査委員長の平尾昌晃氏は、東京MXテレビをキー局とする「おママ対抗歌合戦」にその直後に出演する。今年で5年目を迎える「おママ対抗歌合戦」は、東京都内のスナックのママさんによる歌番組で、
あのマツコ・デラックスの出身母体である東京MXテレビが放つ、
『「場末の歌姫」日本一を決める仁義なきソングバトルの決勝大会』。
今年は、荒木久美子・中村京子・風間ルミ・藤原キリカといった、元セクシーアイドルが妍を競う。
●28,箱根駅伝の途中で挟まれる古い白黒の映像はテレビの映像ではなく映画の映像もある
日本テレビの箱根駅伝中継は第63回(1987年)から開始されたもので、それまではテレビ東京が一部を第55回(1979年)から放映していた。
以前の映像は古いニュース映画等の映像を用いているものと思われる。
●29,サッカー天皇杯の第一回は1921年(大正10年)11月26日で正月ではなかった
1月1日決勝は第48回(1968年度)から。昭和天皇から天皇杯を頂いたのは1948年7月なので、それまでは「全日本総合選手権」といわれていた。
●30,テレビ東京の新春ワイド時代劇は昔は単に映画を連続放映していただけだった
テレビ東京の常務取締役だった石光勝氏の著書『テレビ番外地』によると、正月番組の編成に悩んでいたプロデューサーが、映画館で連続ものの映画を一挙上映していたのにヒントを得て、1980年に映画『宮本武蔵』を5本一気に放映した所、好視聴率だったために今の定番番組になったという。(ウィキペディアでは、1979年の映画『人間の条件』一挙放映が始まりとしている)
(本稿は畏友・ののまる氏のご教示が大でした。御礼申し上げます)
川崎大師の画像は
(ウィキペディア「川崎大師」の項目より引用
※この記事はガジェ通ウェブライターの「松平東龍」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?
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