今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■続・「面白さ」とはなにか
前エントリ*1の続き。人間はなぜ同じ作品を繰り返し見たがるのか? 予測精度の向上を「楽しい」と感じるなら、常に新たな作品を求めるように思う。すでに見た作品は学習が済んだ経験なのだから、そこに興味はわかないはず。
*1:「「面白さ」とはなにか」 2013年02月08日 『メカAG』
http://mechag.asks.jp/527351.html
一つの理由は、学習の強化だろう。人間の脳をモデルとした人工知能ニューラルネットの学習でも、一定の学習が済んだ状態でもさらに繰り返し学習させることで、学習が強化される。
一つの作品を読んだすぐ後にもう一度読みたくなるのはこれが理由ではなかろうか。
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しかし暫らく経ってから、再び作品を読みたくなることもある。これは上記の理由とは別な理由ではないだろうか。前エントリでも述べたように学習とは局所最適解からいかに脱出するかが重要になる。くだけた言葉でいえばタコツボからの脱出(笑)。狭い視野で最適と判断した解と、視野を広げて判断した解は必ずしも一致しない。
この局所最適解からの脱出アルゴリズムはいくつかあるが、一つにタブーサーチというのがある。基本的な考え方は簡単で、すでにみつけた局所最適解を避けて、他の場所を探す。
局所最適解からの脱出方法の一番シンプルなものは焼きなまし法。最適解を一度見つけても、初期条件を少し変えて、また検索する。この方法の欠点は、初期条件の変更をランダムにすると、何度も一度見つけた解を再発見してしまうこと。人間でいえば「堂々めぐり」だろうか。その欠点を改善するために、一度見つけた解は再計算しないで他の場所を探すという戦略が、タブーサーチ。
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人間は過去に見た作品を再び見るときに、というよりも作品に限らず実体験でも、無意識にこれをやっているのだろう。最初に見た時の感動が薄れるのは、そのためだろう。逆に作品のおおまかな流れよりも、細部の方に注意が行く。
作品の場合、読者に読まれること、言い換えれば読者に学習させること、が前提だから、初回に読んだ時の印象が、すなわち最初に見つけた局所最適解が、ほぼ確実に全体の最適解になっているはず。これがリアルの経験とは違うところ。
しかしそれでも人間は作品の中から他の局所最適解を探そうとする。それはリアルの経験がそうさせるのだろう。逆にいえばリアルの経験が乏しい子供は、1個目の最適解を見つけて満足してしまう。2個めをわざわざ探すようなことはしない。子供向けの作品が比較的シンプルなのはこのためだろう。
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すでに見つけた最適解を回避すると一言で言っても、実際にはそう単純ではない。本当に同じ結論に到達するかは、実際に最後まで計算してみないとわからない。同じだと判断しすぎれば、発見できたはずの解を見逃すかもしれない。かといって注意深くなりすぎれば、同じ計算の繰り返しで効率が悪い。学習の要領の良さというのは、この辺りのチューニングなのだろう。
同じ作品を何度見ても飽きない人と、すぐに飽きてしまう人はこの差なのだろう。どちらがいいとは一概にいえない。すぐ飽きてしまう人の方が、効率よく学習すべき点だけを学習しているのかもしれない。もちろん学習すべき点を見逃している可能性もある。
同じ作品を何度も見る人間は、見落としがないか慎重に細部まで検索しているのかもしれないし、何度も堂々めぐりして計算時間を無駄にしているだけかもしれない。こればかりはどちらが正解か決めるのは学習結果だけだ。
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とはいえリアルと違って作品の場合は読者に解を見つけてもらうのが前提で作られているはずだから、学習の効率の良さはある程度それまで読んだ作品の量に比例するとはいえるかもしれない。
このタブーサーチのパラメータ自体が、学習で決まる局所解でもある。なにごとであれ覚えたては、自分がなんでもわかったような気分になる時期がある。それは子供がおおまかなストーリーだけ見て満足しているのと同じなのだが…。
つまりダブーサーチの範囲を大きく取り過ぎている。なんでも同じに見え、見つけるべき解を見逃してしまっている。失敗を繰り返すことで、すなわち自分が見つけられなかった最適解を他人が見つけて出し抜かれてしまう経験を積むことで、このパラメータのチューニングが進んでいくわけだ。
作品鑑賞でさまざまな人間と意見交換するのが楽しいのは、このためだろう。正義の味方が悪を倒した、やったー、かっこいい!でも悪者側にもそうせざるを得ない理由があるんじゃない?と。いかに自分が見つけにくい「解」を見つけられるか、競っているわけだ。学習方法を学習するというのは、こういうことだ。
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これは3次方程式のニュートン法のフラクタル。
(画像が見られない方は下記URLからご覧ください)
http://youtu.be/v-du-KjqniE
ニュートン法というのは、適当に初期値を決めて計算を繰り返すと、だんだんと正解の解に近づいていくという奴。上記は3次方程式なので解が3つでてくる。3色に色分けされた部分はその解を示している。
大雑把にはそれぞれ3色の領域の中心部に解があると考えていい。正しい解に近い初期値で始めれば、その解に近似計算は収束する。ある意味まったく自然なこと。つまりこの平面(複素平面)のどの点はどの解に収束するか、大雑把には意外とシンプルに予測できるわけだ。
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ところが境界部分を見てみると非常に複雑な形をしている。とてもじゃないけど「この辺りはこの解に収束する」とは言えない。しかもいくら拡大しても複雑さは変わらない。無限の複雑さを持っているといっていい。
この図形をフィクションのストーリーとすれば、大雑把に3色にわかれている、と見るのが子供であり、とりあえず間違いではない。しかしちょっと精神年齢が高い子供は、境界部分に注目するだろう。年齢が上がるたびに境界部分のより細かな予測を行うようになる。
やがていくら拡大しても「これが境界線だ」と言うものが見つからないことに驚愕することだろう。いわばそれが悟りの境地なのだ。子供の頃、正義と悪がハッキリ分かれているように見えたのは、遠い昔の事になってしまった。もはや両者の境界は極めて曖昧。境界付近はほんのちょっとずれただけで正義と悪が入れ替わってしまう。予測の精度向上の道は無限に続く。諸行無常(笑)。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年02月21日時点のものです。
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