今回はoptical frogさんのブログ『flip out circuits』からご寄稿いただきました。
※すべての画像が表示されない場合は、http://getnews.jp/archives/656511をごらんください。
■メモ:クルーグマンの発言として出典不明のデタラメを広める岩上安身氏(flip out circuits)
「ジャーナリスト」を称する岩上安身(いわかみ・やすみ)氏を主な発信源として、ポール・クルーグマンが次のように言ったという話が、ごく一部で広められている:
2008年のリーマンショック以後、ノーベル経済学賞のポール・クルーグマンが言った言葉が忘れられない。「この大不況を乗り切るためには惑星一個分の新たな輸出市場か、第三次世界大戦が必要だ」。
(参照:IWJ Independent Web Journal*1)
*1:『IWJ Independent Web Journal』
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/140101
岩上氏は,Twitterでも同様のことを述べている:
参照:「岩上安身@iwakamiyasumi」 2012年07月14日 『Twitter』
https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/224244800029868032
(画像が見られない方は下記URLからご覧ください)
http://getnews.jp/img/archives/2014/08/i01.jpg
とくにこのツイートでは、クルーグマンの発言とされるものと「収奪」を結びつけている点に注意したい。
さて、クルーグマンがこうした発言をしたとは、まず考えられない。理由は次のとおり:
1. 上記の岩上氏も含めて、この話の出典がない。
2. クルーグマンが惑星間貿易や世界大戦に言及した例はあるが、それはまったく別の文脈のことであり、「大不況を乗り切るため」にそれらが本当に必要だと主張してはいない。
このエントリでは、上記2点を順に取り上げて、最後に、岩上氏の発言のどこがとくによくないのかを述べよう。
●1. 発言のソースについて
岩上氏はいずれの引用でも、出典を明示していない。文章ではなく、口頭の発言で記録がなかったとしても、いつ・どこでなされた発言なのかは示せるはずだけど、彼はそうしていない。(念のために、彼にTwitter上でソースについて問い合わせた*2ものの、あっさり無視されてしまった――これは、たんにうっとおしいリプライを無視しただけかもしれないけど。)
*2:「岩上安身@iwakamiyasumi」 2012年07月14日 『Twitter』
https://twitter.com/optical_frog/status/224317601310965760
●2. 似て非なるクルーグマンの実際の発言
クルーグマンが「惑星1個分の輸出先が必要」と似て非なることを言ってる文章はある。たとえば、次のような例が確認できる。
まず、2009年5月14日、台北でのフォーラムでの発言:
世界的リセッション(景気後退)はある意味で「日本の失われた10年よりも悪い」として、初期の落ち込みがより深いことに加え、日本とは異なり外需によって景気を回復させることができないと解説。「世界全体が大幅な貿易黒字を出すためには、相手方となる別の惑星を見つけなければならない」と語った。(参照:ブルームバーグ*3;強調引用者)
*3:『bloomberg.co.jp』
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-KJMGS90D9L3501.html
ある国の輸出は別の国の輸入だから、当然ながら、世界全体が大幅な貿易黒字を出すためには、まったく新しく他の国・別の惑星がないといけない。この主張の眼目は、別の惑星が見つかるなどということは現実味のない話であって、そんなことをアテにできるわけがないよね、という点にある。
また、ブログでも、ドイツをとりあげた際に同様のことをクルーグマンは述べている:
今日の『タイムズ』の記事で、不況対策案としてドイツが財政緊縮を信奉しているのを取り上げている。ヨーロッパがきちんとした対策をとってくれるのを望んでいる人にとっては、読んでて悲しくなる記事だ。とくに、ドイツがいまだに「拡張的緊縮」という信念にこうものめり込んでいるのにはいらだつ。この1年半あまりにわたって、この観念が実証的に完膚無きまで反駁されてきたっていうのに(たとえばIMFのワーキングペーパーを参照)。でも、ドイツ人は、じぶんたちの経験は緊縮策が機能するのを示していると信じている:ドイツは、10年前にきびしい経験をしたけれど、倹約にはげんで、最後にはうまくおちついた。
でもこれは万能ってわけじゃないんで、ここでぜひ指摘しておきたいのは、ドイツの経験がひろく一般化できるのは、貿易相手のエイリアンがすぐさまみつかる場合にかぎられるってことだ。
なんで? なぜなら、この10年間でドイツ経済事情のカギとなっているのは、経常赤字から経常黒字への大幅転換だからだ。
さて、ドイツじしんにこの経常黒字を消し去る気があるなら、ヨーロッパの他の国々もドイツを模倣できるだろう。でも、もちろんドイツにそんな気はない。ということは、ドイツが要求してるのは、みんながじぶんみたいに経常黒字になることなわけ――そんなことは、みんなの輸出品を買ってくれる相手がみつからないかぎり不可能だ。
相変わらず、世界がどれほどわずかな知恵で統治されているかをみるにつけ、目を見張るね。
(参照:The Conscience of a Liberal*4; 訳文と強調は引用者によるもの)
*4:「Germans and Aliens」 2012年01月09日 『The New York Times』
http://krugman.blogs.nytimes.com/2012/01/09/germans-and-aliens/?_php=true&_type=blogs&_r=0
ここでも、要点は、世界中の国がそろって経常黒字になれるわけないでしょ、という点にある。まして、どこかの国を「収奪」しようなどという提案はどこにも読み取れない。
次に、「世界大戦」に言及がある例を挙げよう:
さて、これ〔伝統的な金融政策〕以外にも政策を選ぶ余地はある。裁量的な財政政策を使う手もある。つまり、需要を喚起するべく景気刺激策を打ってもいい。また、非伝統的な金融政策を使って長短金利格差を押さえてみたり、あるいは/さらに、予想インフレ率を上げてみてもいい。そうすれば、ゼロ下限の問題を回避できる。ただ、歴史的にみて、国はこういうことをしない傾向があるし、やったとしても不十分な規模でしかやらない。なんで? 政治とか。知的混乱とか。惰性とか。見当違いな恐れとか。基本的に、裁量的な財政拡大なり非伝統的な金融政策を追求しようってなると、FF金利を下げたりするときよりもずっと明快さと一貫性が必要になる。で、そういう明快さと一貫性を世間に示すことのできる国なんて、めったにない。まさにそれこそ、大恐慌をおわらせるのに戦争が必要になってしまった理由だ。経済学の観点から見れば、べつに軍事支出が特別なものってわけじゃ全然ない。ただ、政治問題として、ヒトラーは刺激策へのおきまりの反対論をうまく乗り越えられたわけ。
(参照:The Conscience of a Liberal*5; 訳文と強調は引用者によるもの)
*5:「Bubble, Bubble, Conceptual Trouble」 2012年10月20日 『The New York Times』
http://krugman.blogs.nytimes.com/2012/10/20/bubble-bubble-conceptual-trouble/
大規模な財政支出は不況期の政策として有効だが、政治的にこれを実現するのは困難であり、ヒトラーの場合には軍事支出というかたちでそれが正当化できてしまった、といっているのがわかる。原則としては、不況対策にわざわざ軍事支出をしなければならない理由はなく、政治的に可能ならばそんな事態に陥らないで済む方がよいという趣旨に理解すべきだろう。つまり、岩上氏の引用するように「第三次世界大戦が必要」であるどころか、クルーグマンの見解からすれば「不必要」だということになる。
クルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』(p194) にも、同様に軍事支出が結果として需要不足に解消に寄与したと述べた箇所がある:
第二次世界大戦がアメリカ経済を大恐慌から救った理由は朗かだった。軍事支出は不十分な需要の問題を十分すぎるくらいに解決した。もっとむずかしい問題は、なぜ戦争が終わった時にアメリカが不況に逆戻りしなかったのか、ということだ。(画像*6)*6:「画像」
https://2.bp.blogspot.com/-_NLLFQ3oj7k/U_xKu2y0IGI/AAAAAAAADCY/Fr1kq-1hjzA/s1600/krugman_194.jpg
これも、ヒトラーのケースと同様で、需要不足の局面で政府による大規模な支出がこれを解消する役に立つという主張であって、それが必ず戦争でなくてはならないという話にはならない。(参考までに、大恐慌時代に政府の財政政策が有効に機能したという主張については、大恐慌を研究しているクリスティーナ・ローマー「大恐慌から得られる今日の政策への教訓*7」が簡略ながら有益だ)
*7:「クリスティーナ・ローマー「大恐慌から得られる今日の政策への教訓」(2013年3月11日)」 2013年08月08日 『経済学101』
http://econ101.jp/クリスティーナ・ローマー「大恐慌から得られる/
もっと広く見て、「戦争」全般を積極的に肯定するような発言も見つからない。見つかるのは、ブッシュ時代にいくつものコラムで展開されたイラク戦争批判*8であり、戦争は割に合わないという議論の紹介*9であり、下記のような憤慨だ:
*8:「嘘つき大統領のデタラメ経済」 ポール・クルーグマン(著), 三上 義一(翻訳) 『amazon』
http://www.amazon.co.jp/dp/4152085398/
*9:「メモ:クルーグマン「なんで戦争なんかやっちゃうのか」(2014年8月17日)」 2014年08月19日 『flip out circuits』
http://flipoutcircuits.blogspot.jp/2014/08/2014817.html
かつてアメリカは未来を大きな視野で考える国だった。主要な公共プロジェクトは、エリー運河から州間幹線道路まで,国の繁栄を支える要素としてよく理解されていた。ところが、近頃では、政治家どもがやりたがる大きなプロジェクト、どんな費用をかけてもやりたがるプロジェクトは、戦争くらいしかないらしい。ふざけたはなしだね。
(参照:New York Times*10, April 12, 2012; 訳文は引用者によるもの)
*10:「Cannibalize the Future」 2012年04月12日 『The New York Times』
http://www.nytimes.com/2012/04/13/opinion/krugman-cannibalize-the-future.html
こうした議論を展開しているクルーグマンが、「この大不況を乗り切るためには惑星一個分の新たな輸出市場か、第三次世界大戦が必要だ」と主張するとは考えがたい。まして、近年の大不況への処方箋として世界大戦がのぞましいと述べることなど、ありそうにない。クルーグマンが従来から提言しているのは、インフレターゲット政策と積極的な財政政策だ*11。できることはあると言っているのに、どうして戦争を待望する必要がある?
*11:「クルーグマン『そして日本経済が世界の希望になる』(PHP新書,2013年) 」 2013年09月14日 『flip out circuits』
http://flipoutcircuits.blogspot.jp/2013/09/php2013.html
本当にクルーグマンがそんな発言をしたのなら、岩上氏ははっきりと確認できる資料を提示して、クルーグマンの矛盾と二枚舌を批判すべきだ。だけど、やってもいない発言をやったと吹聴して回るのは、ただのデマであり、一方では読者をだまし、他方では言論公表者としてのクルーグマンの名誉を不当におとしめることになる。
●3. で、なにがいけないのか
最後に、岩上氏が上記のツイートや文章でやったことのわるい点をまとめよう。
第一に、第三者が確かめようもない出所不明の話を「引用」していること。誰であっても引用にあたって出典の明示はやるべきだけど、ジャーナリストを自認している岩上氏なら、必ずそうしなくてはならない。
第二に、その不確かな引用をもとに、クルーグマンがおよそ示唆するはずのないことをあたかも示唆しているかのように印象づけていること。すでに示したように、異星間貿易や世界大戦は、岩上氏がほのめかしているのとはまったく異なる議論のために言及されている。それにも関わらず、岩上氏はそうした確認しやすいソースをまったく参照することなく、それらと背反する主張をクルーグマンがやったかのようにほのめかしている。これはきわめて悪質だ*12。
*12:「岩上安身@iwakamiyasumi」 2011年11月13日 『Twitter』
https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/135824105197940737
以上をもっと短くするとこうなる:岩上氏は,デタラメによって他人の名誉をおとしめる発言をした。
執筆: この記事はoptical frogさんのブログ『flip out circuits』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年08月31日時点のものです。
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