1900年代前半のノーベル物理・化学賞
1900年代前半は科学的な大発見が続いた時期だった。2つの世界大戦を 挟んで新しい科学技術が多数発見され、大きな変化をもたらした。そして発見・発明に貢献した科学者が、次々にノーベル賞を受賞した。
飛行機の発明は、空を飛ぶという人類の夢を実現したものだった。しかし、同時にそれまで巨艦大砲主義だった戦争のやり方に一大変革をもたらした。ハーバー・ボッシュ法では爆薬に必要なアンモニアを、空気から生み出すことを可能にした。
電子・原子・分子の発見は、量子力学を生み出したが、原子爆弾の発明にもつながった。我が国に2度も投下され、徹底的な殺戮と破壊をもたらした。ノーベル賞の創設者ノーベル自身が発明したダイナマイトもそうだった。
残念なことに、多くのノーベル賞の研究が戦争に悪用された。戦争に協力した科学者も多くいた。その中には愛国心ゆえに協力した科学者も多かっただろう。だが、原子爆弾の使用は酷すぎた。勝敗のほぼ決まった昭和20年8月。どう考えても、原子爆弾を投下する必要性はなかった。
1900年代前半のノーベル物理・化学賞を俯瞰してみると、2つの分野に集約されると思う。それは原子爆弾に代表される原子の性質に関する各物理学の分野。そして、もう一つはアインシュタインやボーアらを中心とした、量子力学の分野である。この2つの分野について、科学者は時に競い合い、時に話し合い、協力して問題解決に当たった。
1927年と1930年、ソルベー会議でのアインシュタインとボーアの議論は、量子力学の誕生の逸話として有名である。基本的にはアインシュタインが量子力学の欠陥に関する論証を発表・指摘し、ボーアがそれに反論して量子力学の正当性を主張するという構図だった。アインシュタインの攻撃の焦点は、量子力学が自然現象の説明に確率論的解釈を導入したことに対するものだった。
その結果微小世界の粒子、例えば電子は、量子とよぶ1つ1つ数を数えられる存在であるものの、その存在場所の特定ができず、あたかも幽霊のような不確実な存在であることがわかった。これまでの物理法則からは予想もできないことも、現実に起こりうることがわかってきたのである。現在、2000年代前半は、量子力学の世界を手さぐりで探っている…そんな時代である。
量子力学と核物理学の立役者、最後の大物
1954年のノーベル物理学賞は、こうした量子力学の立役者の1人であるマックス・ボルンと、原子核物理学の立役者の1人、ヴァルター・ボーテに贈られた。どちらもドイツの物理学者であったが、ボルンはユダヤ人であったためにイギリスに亡命した。
マックス・ボルン(Max Born、1882年12月11日~1970年1月5日)は、ドイツ生まれのイギリスの理論物理学者。量子力学の初期における立役者の一人である。
マックス・ボルンは最初相対性理論の研究から始めたが、共同研究者ミンコフスキーの突然の死により、格子力学への研究へと転じた。N.H.D.ボーアの刺激を受けたボルンは、量子論を原子内電子の振る舞いに適応して、厳密な数学的理論を築く仕事を発展させた。
1924年、これを量子力学という言葉で表現し、翌25年、W.K.ハイゼンベルグが電子の位置と運動量関係づける規則を発見すると、ハイゼンベルクとP.ヨルダンと共同して行列力学を定式化し、行列形式による量子力学の体系を築いた。
この発見の約1年後の26年にE.シュレーディンガーは波動力学により同じ理論を表現、ボルンはこの波動力学を使い、ボルン近似の方法と波動関数の統計的解釈を与えた。この発見により、1954年のノーベル物理学賞を受賞した。受賞理由は「量子力学、特に波動関数の確率解釈の提唱 」である。
ボーデは、カイガーの下で実験物理学者としての研究生活を始めた。ガイガーと協力して、霧箱中でβ線の散乱について実験し、小角散乱や多重散乱について研究。
1929年には、コインシデンス法の改良を行い、宇宙線がγ線のみではなく、透過性の高い粒子を含むことを発見している。1930年にはベリリウムにα線を照射して透過力の強い放射線を観測し、ベリリウム線と報告した。ジョリオ・キュリー夫妻(1935年ノーベル化学賞)は、このベリリウム線をγ線と解釈したが、ジェームズ・チャドウィック(1935年ノーベル物理学賞)は中性子線と結論づけた。
1954年原子核物理学の実験的研究に対して、ノーベル物理学賞が贈られた。受賞理由は「コインシデンス法による原子核反応とガンマ線に関する研究」である。
マックス・ボルン
マックス・ボルン(Max Born、1882年12月11日~1970年1月5日)は、ドイツ生まれのイギリスの理論物理学者。量子力学の初期における立役者の一人である。1954年ノーベル物理学賞を受賞。
ボルンは、ドイツ領のブレスウラ(ポーランド領)に生まれた。ブレスウラ、ハイデルブルグ、チューリッヒ、ゲッティンゲンの各大学に学び、1907年に学位を取得した。ブレスラウ大学でロザーネスから学んだ代数学が後に、弟子のベルナー・ハイゼンベルクの行列力学の完成に役立つことになる。
1909年ゲッティンゲン大学の教授に就任、1915年にはマックス・プランク(1918年ノーベル物理学賞)の招聘でベルリン大学の院外教授になり、アルベルト・アインシュタイン(1921年ノーベル物理学賞)と親しくなる。第一次世界大戦に応召した後、1919年から、フランクフルト・マイン大学教授を、1921年にはゲッティンゲン大学の教授に就任した。この間に数多くの量子論に関する著書、論文を発表している。
1924年にはニール・スボーア(1922年ノーベル物理学賞)の量子論に数学的厳密解釈を加え、「量子力学」の基礎を築く。この頃にハイゼンベルグとともに「行列力学」を完成させている。
1926年に発表されたエルヴィン・シュレーディンガー(1933年ノーベル物理学賞)の波動力学は、瞬く間に難解な数学的解法の行列力学から、量子力学の主役の座を奪ったが、ボルンは波動関数に統計的解釈を加え、その絶対値の2乗が粒子の統計的分布に相当するとしたコペンハーゲン解釈の基礎を示したが、この解釈がなかなか認められず受賞が遅れた。
1933年ナチスに追われてイギリスに亡命、ケンブリッジ大学を経て、エディンバラ大学自然哲学テイト教授職に就任しイギリスに帰化した。後にドイツに帰国している。
ボルンは第二次世界大戦後、原水爆の脅威を世界中に訴えかけ、平和問題で社会にアピールを続けた。
ヴァルター・ボーテ
ヴァルター・ヴィルヘルム・ゲオルク・ボーテ (Walther Wilhelm Georg Bothe, 1891年1月8日~1957年2月8日)はドイツの物理学者、数学者、化学者である。1954年 コインシデンス法(同時計数法)による原子核反応とガンマ線に関する研究によってノーベル物理学賞を受賞した。
ボーデはベルリンに近いオラニエンブルクに生まれた。ベルリン大学でマックス・プランクの元で学び、学位を得た。第1次世界大戦ではロシア軍の捕虜となり、5年間シベリアの収容所で過ごした。戦後、ベルリンの物理工学院(Physikalisch-Technische Reichsanstalt)でハンス・ガイガーと共同で、複数のガイガー計数管を使って、粒子を同時に測定しその信号の差から粒子の入射角度を決定する方法を開発した。
この装置を使って、コンプトン効果を研究した。また、コインシデンス法は散乱現象の近代的な研究手段の先駆けとなった。
コンプトン効果とは、自由電子によって散乱されたX線の波長が長くなっていること。これはX線の持つエネルギーが、散乱される前に比べて減少したことを意味している。つまり電磁波が持っていたエネルギーの一部が自由電子に移ったと解釈できる。コンプトン効果は光の粒子性を証明する実験の一つとされた。
コインシデンス法は同時計数法ともいう。2個以上の計数管に同時に粒子が入射した現象のみを計数する方法。そのための回路を同時計数回路という。 1928年 W.ボーテと W.コルヘルスターが初めてこの回路を使用したが,30年 B.ロッシが性能のよいものをつくったので、ロッシの回路とも呼ばれる。
1920年代は宇宙線の研究を行い、宇宙線にガンマ線だけでなく、高エネルギーの粒子(メゾン)が含まれることを示した。1927年にはアルファ線の衝突による軽元素の核変換の研究にコインシデンス法を用い始めた。
1929年には、コインシデンス法の改良を行い、宇宙線がγ線のみではなく、透過性の高い粒子を含むことを発見している。1930年にはベリリウムにα線を照射して透過力の強い放射線を観測し、ベリリウム線と報告した。ジョリオ・キュリー夫妻(1935年ノーベル化学賞)は、このベリリウム線をγ線と解釈したが、ジェームズ・チャドウィック(1935年ノーベル物理学賞)は中性子線と結論づけた。
ボーデはハイデルベルグ大学などの教授を歴任し、1934年からマックス・プランク医学研究所の物理学研究所長となり、第二次世界大戦中は、ドイツの核開発研究に従事した。彼が示したグラファイトの中性子減速効果の結果が誤っていたことからドイツは重水を減速剤として使用することを決定し、原子爆弾開発が遅れたといわれている。
1943年にはサイクロトンを完成させている。戦後もマックス・プランク研究所で研究を続けた。1953年マックス・プランク・メダルを受賞し、1954年ノーベル物理学賞を受賞した。
画像 マックス・ボルン http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Max_Born.jpg ヴァルター・ボーデ http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1954/bothe-bio.html
※この記事はガジェ通ウェブライターの「なみたかし」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?
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