今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■ジャーナリズムの堕落(メカAG)
ネット時代になってジャーナリズムがより大衆側にシフトしたように思う。というかジャーナリズムは大衆のためのものだと思い込んでいるジャーナリストも多いのかもしれない。専門家しか知らない知識を大衆に分け与えるのがジャーナリズムである、と。
むろんそれもジャーナリズムの重要な役割ではあるが、ジャーナリズムの本質は隠れた情報の発掘。それはなにも専門家→大衆というだけではない。それこそ犯罪組織しか知らない事実を暴きだすとか、暴露相手は必ずしも大衆とは限らないわけだ。
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ただ大衆相手のほうが金は儲かるだろう。数が多いのだから本は売れるし名前も売れる。一躍人気者。でもそればっかに走ると、結局は専門家から知識を仕入れて、大衆相手にセンセーショナルに発表するという、ある意味ルーチンワークに陥ってしまう。それはジャーナリズムではなく、単なる「解説者」にすぎない。難しい専門知識をわかりやすく面白おかしく大衆に説明する。
マンガ「こち亀」によくでてくる動物の紙芝居による説明。両津勘吉相手に「馬鹿なおまえにも分かるように、説明してやる。森のクマさんが…」と。
ネット時代になって専門家が自分が持っている情報をブログなどで一般に発表することが多くなった。すると「解説者」的ジャーナリストの役割は減っていくように思う。やっぱ専門知識では付け焼き刃のジャーナリストは本職に叶わないからね。
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よく取材し勉強しているなと思う本はいろいろある。でも、あたりまえだけど、頑張って専門知識を理解しようとしてるな、というのが分かっちゃうんだよね。いや、それが悪いというのではない。ジャーナリストは研究が本職ではないのだからそれでいい。むしろそこまで取材対象の勉強をしたと評価されるべき。
ジャーナリストの価値は機動力にあると思う。個々の専門知識では本職に叶わないが、どうしてもタコツボ化しがちな専門家たちの間を渡り歩いて、時にはジャンルを飛び越えて、さまざまな専門家を縦横無尽に取材することで、それまでなかった情報を浮かび上がらせる。それこそがジャーナリズム。
極端なはなし、ニュースソースが1つしかない記事はジャーナリズムではないと言ってもいいだろう。ソースと記事が1対1ではだめで、多対1である点、情報の統合にジャーナリズムの本質があると思う。
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そういう視点でみると、ネットにあふれているジャーナリズムもどきは、ニュースソースが一つ、政府発表だったりOECDのデータだったり、そのソースの難しい専門用語を省いたり置き換えたりしただけ、そして申し訳程度に大衆の視点、と言っても単なる素人の感想「消費税が上がって困りますぅ~」みたいな、レベルのものが大半に思える。
まあそういうのは今後金をとれなくなるだろうね…。情報の「流通」によって金をとれる時代はネットによって終わった。もはや情報は誰の手も借りずに自律的に流れ、拡散していく。新たな情報、オリジナルな情報に対する付加価値を生み出せないジャーナリストは存在できない。
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情報を生み出すというのは、まあ情報に限らず新たなものを創造するというのは、複数のものを統合するということだ。研究者はさまざまな研究データから何らかの傾向を見出し、体系化する。
音楽家は自分がこれまで聞いた無数の音楽、見たり読んだりした音楽以外の書物や映像、それに自分の実生活での体験、を統合して自分の作品を作り出す。
ジャーナリズムも同じで、さまざまなデータを集め、その中からぼんやり浮かび上がるものを探求していかなければ、もとの情報以上のものは生み出せない。それができるのが本当のジャーナリスト。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年05月11日時点のものです。
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