編集部より)『ガジェット通信』のシリーズ連載「書店・ブックカフェが選ぶ今月の一冊」の京都編です。京都編の裏テーマは「本屋に行こう」。店主さんのおすすめ本やお店の日常を京都在住のライターがほぼ飛び込みで取材を行い「本のある場所に通うたのしみ」をライブでお届けします。
●HiFi Cafe店主・吉川孝志さんが選んだ一冊
書名:新編漂着物事典―海からのメッセージ著者名:石井忠
出版社:海鳥社
『HiFi Cafe』は、寺町御池を北へ上がって『一保堂茶舗』の角を曲がり、一筋目をまた北へ上がってすぐ、はじめての人はちょっとドキドキしてしまう細い路地奥にひっそりと佇んでいる。カラカラと戸を引くと、おばあちゃんちのように懐かしい町家の空間。たいていは古いレコードがかかっていて、靴を脱いでお店に入ると時間の流れがぐっとゆるやかに変わる。
そこにあるのは、「おいしい自家焙煎珈琲を飲みながら、大人がひとりでゆっくり音楽と読書をたのしむ空間」である。お店の方から「ブックカフェ」とか「読書喫茶」などのキャッチコピーを掲げることは決してないが、京都市内でここほど読書に適したお店を私は知らない。
店内にいくつかある本棚には店主の吉川さん個人の蔵書が並べてある。音楽、旅行、歴史・社会、アート、文学、小説……今日はどんな本を選んでくれるのだろうか? 「僕、この本好きやから」とぼそぼそと言いながら手渡されたのは、分厚いハードカバーの本『新編漂着物事典』だった。
「海からのメッセージ」というサブタイトルはもちろん、『海鳥社』という出版社名にも海のロマンが漂う。「なんでこの本が好きなの?」と聴いてみると、吉川さんはなんだかスケールの大きな話を聴かせてくれた。
※本記事で紹介した書籍は非売品ですがお店で閲覧できます。
●男の子的なワクワク感を刺激する“図鑑”のヨロコビ
『新編漂着物事典』は、海流に乗って玄界灘沿岸に流れ着くさまざまなモノを紹介する“波打ち際の百科事典”である。生物や植物から日用品まで総項目219、図版390点を収録し、漂着に関する調査研究の方法までを紹介している。著者の石井忠氏は漂着物研究のパイオニアであり、30年にわたるフィールドワークをもとに編纂されたのがこの本だ。
とはいえ、決してムズカしい学術書の類いではない。まず、目次を開くとそこに並ぶ“漂着物”のリストにほっこりする。ガラス瓶、水中メガネ、ライターなど、いかにも漂着物っぽいモノもあれば、ゾウやスナメリ、あるいはドリアンやアボカドなど「いったいどこからどんな状態で?」と首を傾げるものもある。ついつい気になってどんどんページをめくって見て(読んで)しまう。
「男の子的に面白い本ですよ、これは。小学生の頃に昆虫図鑑のページを毎晩ワクワクしながら開いていたのとほぼ同じで。それに、ストーリーものは途中でやめたら読み返さなきゃいけないけど、こういう本はいつでも開いたところから読める。ものすごい気が楽やねん」。
なるほど、仕事の合間に本を読むカフェ店主らしい本に対するまなざしである。
●風と潮が生むロマンスと音楽のルーツを訪ねて
吉川さんが漂着物に興味を持つようになったのは、好きな音楽のルーツ探しがきっかけだった。たとえば、学生時代にバイクで日本一周旅行をしたとき、「沖縄民謡を聴いて、徳島で阿波おどりのお囃子を聴いて、大阪に帰ってきて河内音頭を聴くと改めてぐっときた」という。
「河内音頭と阿波おどりのお囃子、沖縄のカチャーシーとか、ああいうダンス音楽にはものすごく似ているところがあるから、何らかのつながりがあるんじゃないかと思ったんです。そもそも沖縄音楽とインドネシアの音階は同じだったりと環太平洋でのつながりもある。」。
今、自分が日本にいて当たり前に思っていること——その“当たり前”のルーツは何なのか? なぜ自分はその音楽に反応するのか? ルーツ探しとは“自分探し”にもつながり、「興味は尽きなかった」と吉川さんは言う。「大きい視野でとらえると、個人という点に、大きな歴史が集約されるわけです。逆に言うとね、僕という個人から世界や歴史に展開するわけですからね」。
なんだか、話のスケールが時間的にも空間的にもぐっと広がってきた。
「グローバル化って言いますけど、昔と今ではスピードが違うだけやと思うんですね。かつては太平洋を半周するのに何ヶ月もかかったのに、今はせいぜい30時間あれば飛行機でどこでも行けちゃうじゃないですか」と吉川さん。最後に「自分がここにいるということがすでにグローバルなんです」とシメの台詞を決めて仕事に戻っていった。
●時には坐り込んで、海を、浜を、じっと眺める一日を
取材の後、あたたかい珈琲をいただきながら『新編漂着物事典』をぱらぱらと読んでみた。目次から興味引かれる言葉を選んであっちこっちと本のなかの海岸を散歩しているようでかなり楽しい。
吉川さんは国内外を旅するときに、実際に海岸を歩いて漂着物を収集したこともあるらしい。『新編漂着物事典』によると、玄界灘沿岸に漂着物が寄るのは「北西の季節風の時」。海水浴場周辺が清掃される夏以外の季節に、満潮線や波打ち際を見て歩くとよいようだ。漂着物収集の携行品についてもページを割いて書かれている。
まえがきのページでこんな一節に出会った。
「時には坐り込んで、海を、浜を、じっくりと眺めてみるのもよい。海や浜の小鳥たち、砂浜のカニたち……、そこには動物たちのドラマがある。波にもいろんな表情がある。一日じっと見つめていても飽きることはしない。私たちはそんな一日の使い方を忘れていないだろうか。さあ海へ、海へ出よう。」(『新編漂着物事典』より)
『HiFi Cafe』というお店は、こういう文章がすんなり心に響くしずけさのある読書空間だと思う。
●『HiFi Cafe』について
店名:HiFi Cafe
住所:京都市中京区新烏丸通り夷川上る藤木町41-2
電話:075-201-6231
ウェブサイト:http://hificafe.exblog.jp
ハンドロースターで自家焙煎した豆をネルドリップで出してくれる珈琲専門店。濃く甘い深煎りの味わいを楽しんでほしい。珈琲はもちろん、ランチのギネスキーマカレーや珈琲に合うお菓子(かぼちゃケーキ、黒糖カステラ、カスタードプリン)など、すべてにおいて“ていねいな味”がする。
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